東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第33回)

Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。その育成の秘密に迫っていく連載の第3章がスタートする。

ここからは、同クラブのアカデミーで育ち、指導者としても後進の育成に尽力してきた面々、菊原志郎氏と冨樫剛一氏による実録譚。同アカデミーの歴史、伝統、環境、哲学、本質......すべてが解き明かされていくこととなる――。

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 1993年に誕生し、すでに30年以上の歴史を持つJリーグにおいては、数多くの10代選手がそこでプロとしてのキャリアをスタートさせ、目覚ましい活躍を遂げてきた。

 そのなかには当時、まだ現役の高校生、あるいは中学生だった選手も含まれる。

 たとえば、J1リーグ最年少得点記録(15歳11カ月28日)を持つ森本貴幸は、中学3年生にして東京ヴェルディでJ1デビューを果たすと、それからわずか1カ月半ほどで、歴史的ゴールを決めている。

 以下、同得点記録ランキングのトップ5には、いずれも17歳時に初ゴールを決めた久保建英、徳田誉、稲本潤一、阿部勇樹が続くが、森本も含めた全員が、Jクラブのアカデミー出身という点で共通する。

 若い才能の発掘、育成という点において、Jクラブのアカデミーがいかに大きな役割を果たしてきたか。それを物語る記録だろう。

 かつてJリーグが誕生する以前、日本の最上位リーグである日本リーグを構成していたのは、そのほとんどが企業チームだった。

 そこでプレーする選手も当然、自社に勤める会社員。高校、あるいは大学を卒業し、強豪サッカー部を有するいずれかの企業に入社することが、日本最高峰の舞台でプレーするためのルートだったのである。

 つまり、どんなに優れた才能があろうと、高校卒業前の選手が日本リーグでプレーすることは、極めて困難。

17歳の高校生、ましてや15歳の中学生が日本のトップ選手たちに混じってゴールを決めることなど、日本リーグ時代には、まずありえなかった。

 ところが、そうした"日本の常識"に一石を投じるがごとく現われたのが、1983年に日本リーグ初制覇を果たした読売クラブである。

 他の企業チームとは異なり、その名のとおりクラブチームだった読売は、あたかもヨーロッパや南米のクラブのごとく、選手育成のための自前の下部組織を備え、年齢に応じたチームがそれぞれに活動しながらも、優れた選手は飛び級で上のカテゴリーに引き上げられ、より高いレベルでのプレー機会が与えられた。

 そんな"準プロクラブ"が生み出したのが、1986年に当時日本リーグでの最年少出場記録を作った天才少年、菊原志郎(現FC今治U-12監督)である。

「読売(の指導)がどうだったかなって振り返ると、あまり教えてくれないんだけど、自然と学べるし、学んじゃう。サッカーは教わるものじゃなくて、見て学べ、見て盗め、という感じでした」

 そう語る菊原は、高校1年生だった16歳にして日本リーグにデビュー。大人たちに混じって当たり前にプレーする高校生は、読売という特別な環境だからこそ育まれた、特別なタレントだった。

 菊原は読売のプレー環境について、こう語る。

「どっちかって言うと、(教えるというより)"お題を出す"みたいな感じです。要は、『いいスルーパスを出せ!』『パスは相手に読まれないように出せ!』って、それしか言ってくれない。だから、子どもたちは一生懸命考えたり、スルーパスのうまい人がどうやって出しているのかを見たりして、工夫しながらいろいろ試すことで、自分のできることが増えていくんです」

 当時を振り返る菊原は、「そこには"読売のサッカー"っていうざっくりしたものが、何となくあった」とは言うが、それを具体的、かつ細かく習った覚えはない。

「僕は小学4年生から読売に入ったんですけど、練習場へ行くと、小学生とか、高校生とかが、もういたるところでサッカーをやっている。

それを見ていると、『読売ってこんな感じなのかな』っていう雰囲気を肌で感じるんです」

 そんな読売ならではの雰囲気を象徴するもののひとつが、強い競争意識だろう。

 たとえば、小学生の選手も、大人のコーチも関係なく、みんなが混じってゲームをする。

 そこではゲームという形式を採る以上、一応は勝敗を競う。たとえば、先に3点取ったほうが勝ち、といった具合だ。

 しかし、「心のなかでは(勝敗は)どっちでもいい。そういうストリートサッカーに近いようななかで、"誰が一番うまいか選手権"をやっているみたいな感じでした」とは、菊原の述懐だ。

「どうやっていいスルーパスを出そうかとか、どうやって点を取ろうかとか、選手みんながそのワンプレー、ワンプレーにこだわりながら、ゲームを続ける。

 だから、もう(ゲームが)終わらない。先に3点取って勝ったほうが『もう一回やりたいの?』ってあおり、負けたほうが『お願いします』って頭を下げると、『わかった。もう一回やろうぜ』と。それがもうお約束になっていて、延々とやり続ける(笑)」

 話を聞いているだけなら、ただ遊んでいるだけのようにも思えるが、実はそのストリートサッカー的なゲームに、選手が成長するための要素が詰め込まれていた。

 菊原が続ける。

「夢中になってやり続けるなかで、自分のこだわりだとか、考える力だとか、他の人のプレーを見て自分のなかに取り入れていくだとか、そういうことができていく。誰もサッカーを教えてくれないし、教わるものでもないって思っているんだけど、体はどんどん学んでいく。そういう感じでした」

(文中敬称略/つづく)◆元祖・天才が語る、他とは一線を画していた読売クラブの指導哲学>>

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