世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第50回】ロベルト・バッジョ(イタリア)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。

世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第50回は「イタリアの至宝」ロベルト・バッジョだ。彼の足によって魔法をかけられたフットボールファンは数知れず。度重なるケガや監督との確執、1994年アメリカワールドカップ決勝のPK失敗といった悲劇のストーリーも、彼を唯一無二のヒーローへと押し上げた。

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【欧州サッカー】ロベルト・バッジョを表紙にすれば即完売 ファ...の画像はこちら >>
 筆者がサッカー専門誌の編集長を務めていた1990年代当時、ロベルト・バッジョはまさに「キラーコンテンツ」だった。

 彼を表紙に起用したり、特集を組んだりすると完売、ほぼ完売が相次ぎ、とある書店から「すべての在庫を買い取れますでしょうか」との問合せもあった。決して盛ってはいない。事実である。

 身内に「バッジョばかりで芸がない」と批判され、読者の方からは「ユベントスの広報誌か」とお叱りもいただいたが、編集長は売り上げも気にしなくてはならない。バッジョ推しを貫いた。

 顔面偏差値が高く、憂いを漂わせた瞳は女性ファンに厚く支持された。流麗なテクニックでゲームを創り、自らゴールも決めるファンタジスタは、まさしく「銭になる男」だった。

老若男女を問わず、バッジョの人気は非常に高かったと記憶している。

「ロベルト・バッジョ」という名前が日本に伝わってきたのは、セリエAが日本でレギュラー放映される3~4年前だったろうか。

フィオレンティーナに美しいゲームメーカーがいるらしい」

 当然、さまざまなルートからVTRを取り寄せる。いったい、どのような選手なのか。文字情報どおりなのか、過大評価なのか、報じるうえでチェックしなければならない。

【1993年にはバロンドールも獲得】

 さっそく映像を見てみた。

 肩のフェイクだけでマーカーを簡単にあざむく。意表を突いたスルーパスでゲーム全体を動かす。中距離のパスも正確だ。さらにFKの精度も高く、ペナルティボックス内にも絶妙のタイミングで姿を現した。

 そして、すべてのアクションがさりげない。フィオレンティーナの同僚だったドゥンガがなにかにつけてリアクションして周囲の失笑を買っていた分だけ、バッジョの自然体は神々しくさえあった。

 ただ、プロビンチア(イタリア語で地方のクラブ)の多くがそうであるように、多額の負債を抱えるフィオレンティーナも「カネの力」には抗えなかった。

1990年イタリアワールドカップ終了後、バッジョはユベントスに移籍する。150億リラ(当時の報道では約16.5億円~20億円)という移籍金は、経営難にあえぐフィオレンティーナにとって魅力がすぎていた。

「ふざけるなよ、ありえない」
「よりによってバッジョを!?」
「汚い手段を使ってでも阻止」

 多くのサポーターは抗議行動に打って出たが、決定が覆るはずもない。

「フィオレンティーナのサポーターと私は恋に落ちていた。その関係を知っていながら、移籍交渉は私が知らないところで進んでいく。邪推に基づくデマまで乱れ飛んでいた。釈然としなかったな」

 35年以上前の出来事を振り返るバッジョは、現在も納得していない様子だった。

 そんな事情があったにせよ、バッジョはユベントスでも光り輝いた。「ラ・ヴェッキア・シニョーラ(イタリア語で老貴婦人)」の異名を持ち、イタリア全土......いや、世界中で支持される超名門クラブの中心として活躍した。

 ポジションは最も得意とするトップ下。サルヴァトーレ・スキラッチ、ピエルルイジ・カシラギ、ジャンルカ・ヴィアッリ、ファブリツィオ・ラヴァネッリといったアタッカーを自在に操った。

 1992-93シーズンは21ゴールを挙げて得点王争いを演じ、UEFAカップ優勝の立役者にもなった。

1993年にはバロンドールも獲得している。

【監督との出会いはことごとく失敗】

 しかし、ユベントスに所属した5年間で、リーグ優勝はラストシーズンとなった1994-95シーズンだけだ。残念ながらそのシーズンは、アレッサンドロ・デル・ピエロの台頭と自身の負傷で、バッジョは絶対的な主力でなくなっていた。

 また、時代が必要以上に結果を求めるようになり、バッジョをはじめとするファンタジスタは軽んじられるようになっていった。しかも、1994-95シーズンからユベントスの監督を務めていたマルチェロ・リッピは、自他ともに許す現実主義者だ。両者のそりが合うはずはない。

 その後、監督との出会いはことごとく失敗に終わっている。

 ミランではファビオ・カペッロ、アリゴ・サッキの下で冷遇され、ボローニャでは「オーナーから押しつけられただけだ」というレンツォ・ウリビエリの無礼な言葉に傷ついた。決まりかけていたパルマ移籍は、カルロ・アンチェロッティによって拒否された。

 1998-99シーズンのインテルでは、ルイジ・シモーニ→ミルチェア・ルチェスク→ルチアーノ・カステリーニ→ロイ・ホジソンと1年の間に監督が4人も変わる不幸に見舞われ、翌シーズンにはあのリッピが指揮官に就任した。

 ひとつの時代を築いたヒーローが「結果最優先」という新しい時代の波に飲み込まれるとは、なんとも切(せつ)ない、切なすぎる。

 ファンタジスタの是非論は、いまだに決着がついていない。アスリート色が濃くなる一方の近代フットボールでは、「絶滅危惧種」とさえ言われ、不要論すら聞こえてくる。

 その一方で、リオネル・メッシマンチェスター・シティで一世を風靡したダビド・シルバのように、意図的にスピードダウンしながらフットボールの奥深さを具現するタイプは、変わらず高く評価されている。

「速くて強ければいいってものではないのだよ」

 誰しもが憧れるのは、ハードワーカーではなくクリエイターということか。

【選手生活が危ぶまれるケガの数々】

 ファンタジスタの呼称が定着したのは、おそらくバッジョが初めてではないだろうか。類(たぐい)まれなテクニック、視野の広さなどが幻想的で、ほかの選手とは一線を画していたからに違いない。

 もちろん、ハードワーカーは必要だ。先発11人がすべてクリエイティブなタイプではゾッとする。ただ、プレー強度を意識するあまり、近代フットボールは「華」が咲かなくなってきた。

 プロスポーツにはエンターテインメントの側面もある。結果を追い求めるばかりでは見る者が納得せず、フットボールの魅力もいずれ損なわれていく。

 守備重視のセリエAにおいて、相手を削ることをいとわない環境で、バッジョは右ひざ十字じん帯、および外側じん帯、さらに膝蓋骨骨折、半月板損傷などに甚大なダメージを負った。彼がプレーしていた当時の医学水準では、選手生活が危ぶまれるほどの重傷に苦しんだ。

 しかし、そのたびに立ち上がり、世界中のファンを幻想的なプレーで魅了した。

スピードに乗ったドリブルから華麗なステップで相手をかわし、さらに緩急のフェイントを入れるとGKは尻もちをついた。ワンタッチ、ツータッチでボールを遊ばせながら、これ以上にないスルーパスで決定機を創出した。

 バッジョの一挙手一投足には、フットボールの魅力が満載されていた。「ファンタジスタ」という表現に、最も似つかわしい。

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