市原吏音インタビュー前編
(RB大宮アルディージャ→オランダ・AZアルクマール)
ロス五輪世代のディフェンスリーダーが、満を持してヨーロッパへ向かった。RB大宮アルディージャの市原吏音(いちはら・りおん)がオランダ・エールディヴィジのAZアルクマールに移籍したのである。
市原は2005年7月生まれの20歳だ。今の日本代表のセンターバック陣との比較では、19歳でシント・トロイデン(ベルギー)入りした冨安健洋に次ぐ若さだ。21歳の誕生日直前でトッテナム・ホットスパー(イングランド)に移籍した高井幸大と同じ、ということになる。
その事実こそ、市原のポテンシャルと将来性を裏づける。ちなみに「吏音」という名前は、フランス・リーグ・アンのオリンピック・リヨンに由来するという。
将来性豊かなセンターバックとして、中学生年代から日本代表候補に名を連ねていた。トップチームデビューは高校3年生だった2023年7月12日で、クラブ史上最年少となる18歳5日で天皇杯に出場した。J1のセレッソ大阪とのアウェーゲームで堂々たるパフォーマンスを披露すると、4日後のJ2リーグで初スタメンを飾る。ここからシーズン最終節まで、17試合連続でフル出場するのである。ユースでは4バックのセンターバックだったが、トップチームは3バックを採用していた。しかし、システムの違いに戸惑うこともなく、相手の攻撃を跳ね返していった。ポジショニングとその予測に優れることで、持ち味である空中戦の強さが際立っていた。
攻撃にもしっかりと関わっていく。右利きだが左足のキックがスムーズで、「遠く」を見る眼を備えていた。攻撃のスイッチとなる縦パスを「ズバッ」と、中長距離のサイドチェンジを「スパーン」と通すことができるのだ。
そのうえで、プレーキャンセルができる。ギリギリで判断を変えられるのである。大学生までサッカーに打ち込んだ父親に、「幼少期から叩き込まれてきた」という。身体能力に頼ることなくクレバーに、そしてもちろんタイトにプレーできることが、市原の魅力として認識されていった。
【年上にも物怖じすることなく意見】
クラブがJ3に降格した翌2024年シーズンは、プロ1年目にして副キャプテンに指名された。背番号も主力選手に与えられる「4」となり、開幕からスタメンに名を連ねていく。アンダーカテゴリーの日本代表として活動しながら、3バックと4バックを併用するチームで最終ラインを担った。チームはJ3優勝でのJ2復帰を果たし、自身はJ3リーグのベストイレブンに選出されたのだった。
オフのたびに去就が注目されてきた。ユースからトップチームに昇格した2023年のオフも、プロ1年目から中心選手として稼働した2024年のオフも、国内外からオファーがあった。
「海外へ行くのであれば、1年とか2年で帰ってくることがないように」という考えに立って、「行ってしっかり活躍できるタイミング」を見計らってきた。その結果として、2025年はJ2へ復帰したRB大宮でプレーすることを選んだ。「このクラブの一員としてJ1へ行きたい」との思いも、モチベーションとなっていた。
2025年も副キャプテンに指名された。キャプテンのガブリエウが負傷で離脱すると、左腕に腕章を巻いた。スタメンでは最年少ながら、リーダーとして振る舞った。
J1、J2の6つのクラブに在籍してきたMF和田拓也は、「あの性格が才能です」と言う。J1、J2、J3のすべてで優勝を経験している35歳は、「明るくてポジティブで、誰にも嫌味なくモノが言える」と、市原のリーダーシップを高く評価する。
年上のチームメイトにも、物怖じすることなく意見できるのだ。同世代ではほぼもれなくリーダーを務めてきた。2025年秋に行なわれたU-20ワールドカップでも、チームのキャプテンに指名された。
「ワールドカップの前後1カ月ぐらいで、いきなり技術的にうまくなることはないですよね。だからやっぱり、世界を相手に自分が今までやってきたことが通用したりとか、それが自信につながったりとか、ふだんはやらないような国を背負うっていうところで、目に見えない成長はあったんじゃないかなと思います」
【もともと海外志向があまりないタイプ】
チームはグループステージを3連勝で首位通過し、ラウンド16でフランスと対戦した。試合内容で圧倒しながらスコアレスのまま延長戦へ突入し、ハンドによるPKで大会からの撤退を余儀なくされた。
「優勝できるチームでしたし、悔しい負け方でした。個人的には世界との差というか、自分の立ち位置がわかったし、できるなという感覚はありました。それは僕だけじゃなく、みんなが感じたんじゃないかな」
それまで抱いていた自信に、太い芯が通った。
ステップアップを、いよいよ、強く、意識するようになった。
「もともと海外志向があまりないタイプで、小さい頃から海外で、という感じではなくて。日本代表で活躍するのが夢で、海外でやらなきゃそこに入れないなと思って、去年ぐらいから少しずつ視野に入れるようになりました。U-20ワールドカップで世界を相手にして戦った時に、海外に挑戦したいなと思ったのもあります」
2026年2月開幕のJ2・J3百年構想リーグへ向けて、チームは1月初旬に始動した。市原の名前は「交渉中」としてメンバーリストに入っておらず、そのままサウジアラビアで開催されたU-23アジアカップに出場した。
大岩剛監督は21歳以下の編成で大会に臨み、チームは見事に優勝を勝ち取った。市原はこのチームでも主将を任され、最終ラインを引き締めながらチーム全体をまとめ上げた。
「アジア制覇を目標にしていましたけれど、口で言うほど簡単じゃないとずっと思っていました。今回も難しい大会になると覚悟していましたけど、うまく勝ち上がれて優勝できてよかったです」
そして帰国後の1月31日、AZへの完全移籍が発表された。オランダ出発を明後日に控えたタイミングで、市原はRB大宮のクラブハウスを訪れた。宮沢悠生監督とスタッフ、チームメイトに挨拶をするためだった。
慌ただしいなかで取材に応じると、「いよいよ来た、という感じです」と切り出した。
「僕のなかでは、去年のJ2リーグでどれくらいできるのか、というのを指標にしていました」
【移籍金はJ2史上最高額で取引】
J2でプロデビューを飾った2023年から2年を経て、2025年のJ2でどんなプレーができているのか。市原は2025年シーズン終盤に、こう答えている。
「2年前よりできることは増えているし、余裕も出てきている。2年間にJ2にいた選手と今シーズンまた対峙すると、当時は考えられなかったような余裕がある。と言っても、多少ですけどね」
およそ2カ月前の思いは膨らみ、自らの背中を押した。
「自分の実力的にも、クラブ的にも、しっかりタイミングを見計らって、今ならこの冬に行って活躍できるだろうと。ここまで来るのにいろいろとありましたけど、このクラブが一番成長できると思ってやってきました。
RB大宮の強化を担うスチュワート・ウェーバーHS(ヘッド・オブ・スポーツ)は「たくさんのクラブから関心を寄せられたのは、まったく驚きではない。彼は我々のトップチームで、この2年間にわたってコンスタントにいいパフォーマンスを見せていた」と話した。また、「J2史上最高額と思われる移籍となり、すばらしい取引です」とも語っている。具体的な金額は公表されていないものの、150万ユーロ(約2億8千万円)と言われる市場価値と同等と推察される。
RB大宮が属するレッドブルサッカーは、「翼を授ける」のアイデンティティで「選手育成とスカウト」を重視している。レッドブルグループ間での移籍ではないが、市原のポテンシャルと将来性に見合う金額が動いたのだった。
(つづく)
◆市原吏音・後編>>6月のワールドカップへ「滑り込みでも入れるように」
【profile】
市原吏音(いちはら・りおん)
2005年7月7日生まれ、埼玉県さいたま市出身。大宮アルディージャのアカデミーで育ち、2023年7月の天皇杯・セレッソ大阪戦でクラブ史上最年少18歳5日でのトップチームデビュー。翌年トップチームに昇格し、いきなり副主将に任命されてJ3優勝に貢献。日本代表歴は各カテゴリーで呼ばれ、2026年のU-23アジアカップではU-21日本代表の主将を務めた。2026年1月、オランダ1部のAZアルクマールに完全移籍。ポジション=DF。

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