日本ボクシング世界王者列伝:長谷川穂積 3階級制覇を成し遂げ...の画像はこちら >>

井上尚弥・中谷潤人へとつながる日本リングのDNAたち20:長谷川穂積

 一代の名ボクサーだった。華やかな技巧がリングに映えた。

その速さは史上でも一、二を争う。きびきびと動き、あくまでも攻撃的。圧倒的なスピードスターは、やがてすばらしいカウンターのタイミング、アイデアに富んだ攻防の術式を体得し、有数のKOアーティストになっていく。長谷川穂積。世界王座在位5年、10連続防衛、3階級制覇。打ち立てた数字も偉大ながら、それ以上に魅惑のボクサーとして評価されたい。

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【まったくの無名から5年かけて"日本代表"に】

 デビューからしばらく、世間の注目とは無縁だった。アマチュアで戦った経験はない。5戦目までに2度の敗戦を喫している。本人の弁によると、大きな熱量を持ってジムの門を叩いたわけではなかった。小学生の時に元プロボクサーの父に手ほどきを受けたが、やがて投げ出した。高校を中退し、「プロボクサーになるから」と故郷から神戸に出てきたのも、半分、言い訳にすぎなかったという。

 中途半端な気持ちが、「強く」なることにとことん従順な"向上心"に変わるのは指導者の熱意による。

暴力団犯罪を捜査する刑事を本職とした山下正人トレーナー(のちに真正ジム会長)は当時、ボクシングは素人だったが、だからこそ、新しい発想を提案できた。父の教えのかすかな記憶を頼りに「打たせずに打つ」技術を丁寧に育む若いボクサーに、トレーナーが編み出した「新策」がうまく練り込まれた。

 いつの頃からか、長谷川の戦いは飛躍的に進化していく。2002年10月にはインターハイ準優勝の熟山竜一(加古川ジム)との関西のライバル対決を制し、その名をファン界隈で轟かせると、2003年には、日本選手に対し9勝1敗と圧倒的に強かった"日本人キラー"ジェス・マーカ(フィリピン)からダウンを奪って判定勝ちし、東洋太平洋バンタム級チャンピオンになる。いよいよ期待は高まった。

 2004年10月、東京デビューは、両国国技館で行なわれた世界戦の前座だった。対戦相手は自身と同じサウスポーで、アマチュア経験豊富な鳥海純(ワタナベ)。9連勝と好調の波に乗るベテランは、技巧の冴えとともに切れ味鋭いパンチにも定評があった。この一戦は実質的に世界タイトル戦への日本代表決定戦でもあった。長谷川は持ち前のスピードで圧倒する。5ラウンド、左カウンターを浴びてグロッギーに追いやられるも、判定勝ちにこぎ着けた。この時から長谷川の名前ははっきりと全国区になった。

【無敵の快進撃も念願の一戦で痛恨の敗戦】

 晴れて挑むことになったWBC世界バンタム級王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)こそ、日本の仇敵だった。平成の大ヒーロー、辰吉丈一郎(大阪帝拳)からタイトルを奪い去り、辰吉との再戦、そして次代を担う最右翼とみなされた西岡利晃(帝拳)の4度の挑戦をはねのけて14連続防衛。ムエタイ出身で強靱な体力と精神を最大の武器にどこまでも冷徹、また執拗に対戦者を追い詰める。まさに鉄人だった。

 2005年4月16日、日本武道館。長谷川はそのタイ人相手に果敢に戦った。アウトボクシングがベーシックな戦法でも、このボクサーに逃げはない。自分のポジションをしっかりキープし、常に好戦的だ。無敵王者に対しても同じだった。左ストレートを飛ばし、角度のある右アッパー、フックをフォローする。ウィラポンも負けていない。重い右パンチを先行させて、果てしなく出てくる。白熱の12ラウンドの末、長谷川は僅差判定ながらも勝利を得る。

そして、この時点から日本のエースと目されるようになった。

 11カ月後、地元・神戸でウィラポンと再び相まみえ、9ラウンド、右フック一撃で鮮やかに倒した(TKO勝ち)。

 長谷川の戦力と存在感は一段とスケールアップする。さらに2年の月日の間、カウンターパンチの極意を身につけた。続く1年半の間に5連続TKO防衛。最長4ラウンド、2戦連続で3分以内に決着をつけた星も含まれる。まさに独壇場だった。

 ただし、実際は過酷な日々でもあった。バンタム級の体重53.5kgを維持するには10kg以上もの減量を要していた。試合直前には水分を完全に断ち、そのために乾ききった足裏の皮膚には深い亀裂が走る。ロードワークのたびに靴下が深紅に染まった。それでもバンタムにとどまったのは、チャンピオンとしての責任、そしてプライドだった。

 2010年、長谷川の執念は実を結ぶはずだった。11度目の防衛戦、相手は現役のWBOチャンピオン、フェルナンド・モンティエル(メキシコ)。当時、日本ボクシングコミッションはWBAとWBCしか認めていなかった。形の上ではWBC王座の防衛戦ながら、実質的な王座統一戦だ。そして、長谷川は完璧に準備してリングに臨み、リング上では常に反応が鋭かった。モンティエルが振り出すパンチには見るからに破壊力が宿っていたが、長谷川の速い身のこなしの前にはとても届くはずはない----。だが、勝利の女神は肝心なところでつれなかった。

 4ラウンド終了まで残り10秒を報せる拍子木。長谷川の脳裏に一瞬の"真空"が彷徨(さまよ)う。不幸にも、その瞬間、モンティエルの左フックが着弾する。意識が飛んだ長谷川はロープに力なくもたれたままレフェリーストップに救われた。野望はこうしてひとつ潰えた。

【劇的3階級制覇で栄光のキャリアの幕を閉じた】

 痛切なる敗北から7カ月。長谷川はスーパーバンタム級を飛び越え、一気にフェザー級にウェイトを上げてWBC世界王座決定戦に臨んだ。減量の足かせを取り外した挑戦は賢明な判断だったと思う。そのとおり、不敗の強打者ファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)との激しい打撃戦を制し、飛び級での2階級制覇の偉業を達成する。

 しかし、繊細な長谷川の心のうちは揺らいでいたのだ。ブルゴス戦に先立つ1カ月前、母を病で失っていた。長谷川は亡き母に勝利を捧げるためだけに戦っていたとのちに明かしている。初防衛戦は2011年の4月。この時は1カ月前、東日本大震災があった。当初、東京開催だったのが、イベントにかかる電力不足が懸念され、急きょ、神戸に試合地を移された。「こんなときにボクシングをやっていいのかな」と何度か気持ちはうねったという。そして試合、あっけないほどのもろさでKO負けを喫し、王座から陥落した。

 長いスランプが続いた。スーパーバンタム級に落としてIBF王座に挑み、TKOで敗れた一戦以外は負けなかったが、どの試合も物足りなかった。かつての弾ける勢い、そして、このボクサーの最大の美点、野性味もかすんでいた。それでも自分の宿命はリングで勝利を追いかけることと自身の気持ちを確かめながらも、浮き沈みのなかで希望と失望が交錯していた。

 2016年9月、35歳の長谷川にもう一度、チャンスが与えられる。WBCスーパーバンタム級王者ウーゴ・ルイス(メキシコ)への挑戦だった。大柄なチャンピオンに対し、長谷川は奮戦する。わずかにリードを奪ったまま迎えた9ラウンド、ルイスのアッパーカットを浴びて足がもつれた。ロープを背に防戦一方。しかしその直後、長谷川は思いのすべてを投げ出し、反撃に転じた。左右のパンチが次々にカウンターとなってルイスの体に揺さぶった。長谷川の闘志に怯えたようにルイスは戦意を失い、ラウンド終了後に棄権を申し出た。

 あまりにドラマティックな勝利、3階級制覇達成にも長谷川はどこか冷めていたようにも見えた。長い苦難の日々を耐え、この日のこの一勝を待ちわびていたはずなのに。プロフェッショナルボクサー、長谷川の闘志の残り火はルイス戦の9ラウンドで尽きていたのだろうか。同年12月、36歳の誕生日を1週間後に控え、長谷川はグローブを壁に掛ける(引退)と発表した。

「ボクシングでやるべきことがなくなった」

 ボクサー長谷川穂積としての、最後の言葉である。

●Profile
はせがわ・ほづみ/1980年12月16日生まれ、兵庫県西脇市出身。1999年、千里馬神戸ジムよりプロデビュー。後に真正ジムに移籍している。バンタム級で頭角を現し、2003年に東洋太平洋王座を獲得。2005年、強敵ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)に勝ってWBC王者。このタイトルを10度防衛。10年にはフェザー級でWBC王座を獲得。16年、やはりWBCのスーパーバンタム級王座を奪取し、3階級制覇王者になったあとに引退を表明した。どこまでも好戦的なサウスポーだった。引退後はKOBE長谷川ボクシングジムを開設し、解説者としても活躍している。戦績は41戦36勝(16KO)5敗。

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