Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第31回】ミキッチ
サンフレッチェ広島湘南ベルマーレ

 Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。

Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。

 第31回はミハエル・ミキッチを取り上げる。サンフレッチェ広島のクラブ史上最長となる9シーズンにわたって紫のユニフォームを着た外国人選手だ。2009年から2017年までの在籍で通算221試合出場は、同クラブの外国人最多でもある。3度のJリーグ優勝に貢献した愛称「ミカ」は広島のクラブ史に残る助っ人だ。

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【Jリーグ】「日本が大好きになって」サンフレッチェ史上最長9...の画像はこちら >>
 プロフェッショナルとして長く活躍する選手は、自分なりの「武器」を持っている。「強み」や「個性」といった言葉に置き換えてもいい。同じポジションを争う選手との比較で、監督やコーチに「この選手を使おう」と思わせるものが明確なのである。

 ミキッチの武器は「ドリブル」だ。

 右サイドのタッチライン際を、スピード豊かに駆け抜けた。フェイントでDFの逆を取るというよりは、緩急を織り交ぜながら縦へ突き進んでいくイメージである。柔らかさよりも、力強さを感じさせるドリブルだった。

 切り返しからのクロスも印象的だ。キュッと音がするように身体の向きを変えて、左足でクロスを供給した。

 サンフレッチェ広島のサポーターではなく、対戦相手のチームを応援する立場でそのプレーを見た観衆にも、右サイドで見せる打開力は強烈に刷り込まれたに違いない。紫のユニフォームの「14」と言えば、個人的にはミキッチのイメージが強い。

【家族みんな日本食が好き】

「ドリブルは僕のストロングポイントです。プロフェッショナルとして生きていくためには、自分なりの武器がないといけない。

 そのうえで、チームのスタイルにフィットしていくことが大事です。広島では森保一監督をはじめとして、何人かの監督のもとでプレーしましたが、それぞれの監督の要求に応えるための努力は怠りませんでした」

 日々のトレーニングから、全力で取り組んだ。プロとしての真摯な姿勢が、一切の妥協を排除していった。

「シンプルに目の前の選手に負けたくない、という気持ちが強いんです。練習から1対1で負けたくない、ミニゲームでも勝ちたい。

 それに、ひとつのリーグに長く在籍していると、こちらのプレースタイルを相手に分析されます。それを上回るには、自分のプレーを磨いていかないといけないですから」

 ドリブル突破を阻まれても、ボールを失っても、強気な姿勢を崩さない。

状況に応じて味方選手を使いながら、貪欲にチャンスクリエイトをしていった。

「Jリーグでプレーする自分は、外国人選手です。クラブは限られた外国人枠を自分に使っているのだから、ピッチでその価値を証明しなければならない。自分はアタッカーですから、ゴールに結びつくような仕掛けをする、クロスを供給することが仕事です。

 ミスを恐れてセーフティなプレーをしたら、ピッチに立つ資格はありません。それに、サポーターはゴールを待っているわけですから」

 オフ・ザ・ピッチでも意欲的だった。オフには家族で外出をして、日本食を好んだ。日本に溶け込んでいくその姿勢がまた、サポーターの共感を呼んだ。

「僕と家族が日本食を食べていると、その場にいる人たちはすごく驚いて、そのあととてもうれしそうにする、ということがありました。その反応が面白かったですね。僕たちは無理をしているわけでなくて、美味しいから食べているだけなんだけどね」

【引退後は指導者の道へ】

 2017年シーズンを最後にサンフレッチェを離れると、2018年は湘南ベルマーレの一員となった。すでに38歳となっていたが、サッカーへの情熱は衰え知らずである。

さらに言えば、Jリーグに、日本に、魅せられていた。

「Jリーグは年々レベルが上がっており、機能的に運営されている。サンフレッチェというチームも、広島という街も大好きだったので、契約が満了になったのはとても残念でした。でも、日本が大好きになりましたから、できるかぎり日本でプレーを続けたいと考えていました」

 ミキッチはタッチライン際を何度もアップダウンしながら、ディフェンスでもハードワークできる。曺貴裁(チョウ・キジェ)監督が作り上げた縦に速く高強度のサッカーは、彼のプレースタイルに合致するものだった。J1定着へ向かっていく成長過程のチームでは、ピッチの内外で影響力を発揮することも求められただろう。

 しかし、ベルマーレで過ごした2018年シーズンは、彼が思い描いていたものとは違った。リーグ戦の出場はわずか6試合に終わり、メンバー外で過ごす時間も長かった。オフには契約満了を告げられた。

 ピッチでその雄姿を披露する機会は限られていたが、その現実が彼のプロフェッショナリズムを際立たせた。サブのままで出番がなかったり、メンバー外だったりした翌週の練習で、ミキッチははっきりとした闘争心を見せるのだ。

「選手なら誰だって試合に出たい。

けれど、誰を選んで誰を使うのか、決めるのは監督です。その決定に従うべきで、次の試合で使ってもらえるようにがんばる。

 いざ出番が来た時に、しっかり貢献できないのが、選手として一番つらいですからね。応援してくれるサポーターを、悲しませてしまうことにもなるし」

 ベルマーレ退団後も現役続行を希望したが、オファーは届かなかった。2019年4月にスパイクを脱ぐことを明らかにした。

 引退後は指導者の道を進んでいる。古巣のディナモ・ザグレブなどでコーチを務め、スロベニアのクラブでも仕事をした。

 日本のサッカーを深く理解し、日本の文化に馴染み、所属したクラブのサポーターと心を通わせたミキッチなら、どんなチームを作るのだろう。どんなスタッフを集めるのだろう。

 サンフレッチェのかつてのチームメイトとともに、ミキッチがJリーグで采配をふるったら──Jリーグを愛し、Jリーグに愛された彼のキャリアには、続きがあっていいと思うのだ。

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