世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第51回】デビッド・ベッカム(イングランド)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。

世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第51回は「貴公子」デビッド・ベッカムを取り上げる。2002年の日韓ワールドカップでは「ベッカムヘア」で大ブームを巻き起こし、日本でも世代を超えて老若男女に愛された。圧倒的なカリスマ性は引退後も色あせず、今もサッカー界のアイコンであり続ける。

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【欧州サッカー】ベッカムはヘアスタイルでも一世風靡 スーパー...の画像はこちら >>
 今から30年以上も前の話だ。記憶は都合よく書き換えられたり、消去されたりもしている。

 複数のルートを用いて、マンチェスター・ユナイテッドの練習を見学できた。ただ、時間は全体練習終了後の15分程度に限定され、写真撮影はもちろん、メモをとることすら許されなかった。

 逆サイドに並べられたコーンにめがけ、およそ60メートルのキックに磨きをかけている男がいた。百発百中。寸分の狂いもなく、次から次へとコーンを弾き飛ばしていく。

 デビッド・ベッカムとの出会いは衝撃的だった。

 いわゆる「ファーギーズ・フレッジリングス(アレックス・ファーガソンのひな鳥たち)」の一員だ。ライアン・ギグス、ポール・スコールズ、ニッキー・バット、ガリー・ネヴィルとともに、将来をおおいに嘱望されていた。

 ベッカムが憧れたのはブライアン・ロブソンである。偉大なるキャプテンのシューズを磨き、すべてのシーンに全身全霊を捧げる姿に憧れた。ポジションの違い(ロブソンは中盤センター)こそあれ、ベッカムは常にロブソンを目指していた。

「ほんの少しだけ近づけたかな」

 マンチェスター・Uのキャプテンを初めて務めた時、涙ぐんでいたベッカムの表情は少年のように清々しかった。

【キラキラした瞳が印象的】

 1992年にプロデビューし、1995年からトップチームに定着したあとは順風満帆。ロブソン、エリック・カントナ引退後のマンチェスター・Uで必要不可欠の存在になった。

 彼の右足から繰り出されるクロスは正確無比。アンディ・コール、ドワイト・ヨーク、テディ・シェリンガムといったストライカーに、数多くのゴールをアシストした。後世に語り継がれる「カンプ・ノウの奇跡」(1998‐99シーズンのチャンピオンズリーグ決勝)は、後半アディショナルタイムの2ゴールともにベッカムのCKが誘発している。

「ベックス(ベッカムの愛称)とは2シーズンしか一緒にプレーしなかったが、彼がルックアップした瞬間、『決定機につながる』って確信できる。歴史に残る名クロッサーのひとりだ」

 ルート・ファン・ニステルローイも絶賛していた。

「デビッドに初めて会ったのは、彼が12~13歳のころだった。フットボールがうまくなりたい、一番になりたいっていう感情が誰にも伝わり、キラキラした瞳が印象的だった」

 ファーガソンは著書『My Autobiography(自伝)』のなかで明らかにした。ただ、「いつの日かフットボールに対する情熱を失っていた」とも著している。

 ふたりの関係は、スパイス・ガールズの「ポッシュ」ことヴィクトリア・アダムス(現ヴィクトリア・ベッカム)の出現で亀裂が生じた。自らのビジネスを最優先し、ベッカムの知名度を利用しようとした彼女を、ファーガソンは許せなかったという。

 レアル・マドリードやパリ・サンジェルマン、ミランへの移籍も、ベッカムではなくヴィクトリアの周囲がリードしたビジネスであり、LAギャラクシーを選択した理由も彼女のハリウッド進出という野望が見え隠れする。ポッシュ(POSH/日本語で気取り屋)とはよく考えられた愛称だったのかもしれない。

【単なるイケメンではない】

 ロブソンに憧れ、一番になりたかった少年は、異なる人生を歩んでいった。しかし、努力家であることに変わりはなかった。レアル・マドリード移籍後、一時はレギュラーどころかベンチにすら入れなかった。ファビオ・カペッロ監督(当時)は「ベッカムを起用する予定はない」とまでダメ出しされている。

 それでも彼は黙々と練習に励み、右のクロスを磨きあげた。守備の強度向上にも取り組んだ。

「デビッドを見直してもらえませんか」

 ラウル・ゴンサレスやグティ、ロベルト・カルロスといった主力も監督に直訴した。

 頂点に立った男は、屈辱的な扱いを受けながら見事に復活する。最も得意とする右ウイングはルイス・フィーゴに譲ったものの、中盤センター(奇しくもロブソンと同じポジションだ)で異彩を放った。単なる美形のアイドルではない。ベッカムは「メンタルモンスター」でもあった。

 数々の逸話で知られるベッカムは、イングランド代表でも天国と地獄を味わっている。

 1998年フランスワールドカップのアルゼンチン戦で、ディエゴ・シメオネに対する報復行為で一発退場。「10人の勇者と、ひとりの愚か者」とメディアに罵られ、イングランド全体から激しいブーイングが浴びせられた。

 しかし3年後、リベンジの機会が訪れる。2001年10月6日に行なわれた日韓ワールドカップ欧州予選。イングランドは最終節を残した時点で同組のドイツと勝ち点で並び、得失点差で首位に立っていた。

 ところがイングランドは、ホームでギリシャに苦戦する。

1−2のまま後半アディショナルタイムとなり、先に試合を終えたドイツはフィンランドと引き分けたため、このまま負ければプレーオフ行きとなる危機的状況だった。

 その時、イングランドに約30メートルのFKが与えられる。最後のチャンス。覚悟を決めた表情のベッカムがボールをセットする。そして......。

 次の瞬間、オールド・トラッフォードが大きく揺れた。ベッカムの右足から放たれたボールは、綺麗な弧を描いてゴールに突き刺さったのだ。3年前のフランス大会ですべてを否定された男は、この一撃でイングランドの救世主となった。

【人の痛みがわかる貴公子】

 ユニフォームを脱いだのは2013年。第一線を退いたあとのベッカムは、インテル・マイアミの共同オーナーとしてMLSの繁栄にいそしんでいる。

 同世代のスコールズやバット、ガリー・ネヴィルと異なり、古巣マンチェスター・Uを罵倒したりしない。上から目線でイングランド代表をネガティブに表現もしない。

時おり聞こえてくるメッセージは愛にあふれ、耳ざわりが心地よい。

 自らを正当化したいがための他者批判は、みすぼらしくて滑稽だ。人を傷つけることに躊躇しないタイプが増えつつある今、ベッカムはフットボールの最前線に戻って来ないだろう。現役当時に自分が味わった屈辱を同じ形で返しても、負の連鎖が繰り返されるだけということを承知しているに違いない。

 2003年にレアル・マドリードの一員として来日した際には、子ども向けのサッカー教室をドタキャンした某主力に代わって急遽参加し、父兄から大喝采を浴びた。エリザベス女王の葬儀が厳かに執り行なわれた2022年9月、ベッカムは一般の弔問客とともに12時間も列に並んだ。長年の功績が認められ、2025年11月には「サー」の称号を英国王室から授与されている。

 スーパースターでありながら常識人。人の痛みがわかるサー・デビッド・ベッカムに幸多からんことを──。

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