元ホンダ・浅木泰昭 連載
「F1解説・アサキの視点」第7回 前編
2026年シーズンのF1は大がかりなマシンレギュレーション変更が行なわれる。過去の歴史を振り返ってみると、レギュレーションが変わった時にはパワーユニット(PU)の出来が勝負のポイントとなったケースが多かった。
オフのテストでは、PUメーカーごとの性能差が明らかになり、少なくともシーズン前半戦はPUが結果を大きく左右しそうだ。そうしたなか、シーズンを通してPUであまり大きな差がつかないように、低い性能のPUメーカーに対しては追加でアップグレードする機会を与えられるという新たな制度が施行される。
さらに今年からPUメーカーにも厳密なバジェットキャップ(予算制限)が導入されている。これらが今シーズンの戦いにどんな影響を及ぼすのか? 元ホンダ技術者でF1解説者の浅木泰昭氏に話を聞いた。
【コストダウンと勝利は相反しない】
2026年シーズン、PUメーカーは新レギュレーションに沿った技術開発だけでなく、コストキャップ(開発予算制限)の規則に対応することも非常に大事になっています。PUメーカーにも厳格なコストキャップが課され、開発費の上限は年間約1億3000万ドル(約200億円)となりました。
新規参入のメーカーには多少の予算の増額やテスト機会の延長もされていますが、PUをイチから開発・製造していかなければなりません。さらに開発やテストのための整備投資も行なう必要がありますので、どうしてもお金がかかってしまう。
一方、既存のメーカーは過去の遺産を使えますので、何を変えて何を変えないのかを選択して、お金や人材をどこに集中するのかが大切になります。レギュレーションが新しくなるからと言ってPU設計を全部変えてしまうと、お金と時間の両方が足りなくなると思います。その結果、大事な開発ができなくなってしまう可能性もあります。
そういう意味では各メーカーのPU開発のリーダーには経営的なセンスも問われると思います。私がホンダでPU開発の責任者を務めていた時代は、まだバジェットキャップはありませんでしたが、経営会議で「なぜこんなにお金がかかるんだ」と言われ、コストを相当抑えてきました。
膨大な予算を使っていると、バジェットキャップ以前に、企業のなかでF1活動のサスティナビリティ(持続可能性)がなくなってしまう。それに現在のレギュレーションのもとでは、無駄なお金を使っていると弱くなると思います。
私が2017年にホンダのF1プロジェクトに復帰した当時は「できることは何でもやれ」という方針のもとで、たくさんの図面を引いて部品を作っていましたが、一度もテストをしていない部品が山のようにありました。
そのために膨大なお金や時間がかかるだけでなく、テストの結果をきちんと分析していないので開発の効率が非常に悪かった。選択と集中ができていない。それが一番ダメなんです。
そこで私は優先順位を決めて、「何をやめて何をやるか」ということを明確にしました。パフォーマンスを上げるためには「テストの回数×当たる確率」なのですが、そのうち当たる確率が高くなっていき、開発が狙いどおりに進んでいくと、PUの性能が上がってコストが下がってきました。
要は捨てる部品が減ったのです。コストダウンのために無駄を省いていったのではなく、勝つために開発をしていたらコストダウンにつながっていきました。コストダウンと勝つことは相反することと思いがちですが、じつはそうではないのです。
結局、時間と労力が限られているなかで無駄なことをしていたらお金はかかるし、レースでも勝てない。
【ADUOは使い方次第】
新レギュレーションでは、『ADUO(追加開発アップグレードの機会)』と呼ばれる制度も導入されます。
PUは2月末でホモロゲーション(認証)され、それ以降は原則としてパフォーマンス向上のためのアップデートはできませんが、国際自動車連盟(FIA)がPUの性能を6戦ごとに測定し、他のメーカーよりも著しく低い性能のPUには追加のアップデートの機会を与えるというものです。ADUOに関しては、適正な運用が大事だと考えています。
F1では、BOP(バランス・オブ・パフォーマンス)と呼ばれるマシンの性能調整を行ない勝ったり負けたりの接戦を演出してはいけないと私は思っています。F1は「忖度なし、容赦なし、配慮なし」の世界です。強いチームが勝ち続け、弱いチームが負け続ける。そういう究極のレースがF1という競技です。
ヨーロッパの技術者たちも私と同じように思っているはず。2022年、PU開発に遅れをとっていたルノー(アルピーヌ)がBOPではありませんが、パワーを向上させるための特別ルールを適用してほしいと訴えました。でも各PUメーカーの代表は拒否しています。
ただし、あまりにも他メーカーのPUとの性能差があって、株主や投資家などから批判されて撤退論がささやかれるようなメーカーが出てきた場合、F1につなぎ止めるために追加の開発をする機会を与えるのは仕方がないと思います。
それはBOPではなく、本当の意味で救済措置と言えます。セイフティーネットのようなものですから、他メーカーの人たちも反対はしないでしょう。みんな仲間ですし、とくに新規参入のPUメーカーは最初うまくいかない可能性も高い。
ホンダも2015年にマクラーレンと組んで復帰した当初は、PUにトラブルが続出し、まともに完走することさえできませんでした。パートナーを組むマクラーレンだけでなく、社内からもバッシングされて、「撤退か」というどん底まで追いつめられました。
あの頃は年間で使用できる内燃機関やターボチャージャー、MGU-H(熱エネルギー回生システム)、MGU-K(運動エネルギー回生システム)などのコンポーネントの数はすでに決まっていた。でも、ホンダは年間に使用できる数をはるかに超える内燃機関やコンポーネントを変更していました。
当時は他のメーカーも変えることができましたが、マクラーレン・ホンダのフェルナンド・アロンソ選手やジェンソン・バトン選手は50グリッド以上の降格というペナルティを科されたことがありました。2018年からホンダとパートナーシップを組んだトロロッソのピエール・ガスリー選手やブレンドン・ハートレー選手もグリッド降格のペナルティをたびたび科せられ、最後尾からスタートするというレースが何度もありました。
当時のホンダは「戦略的ペナルティ」などと言っていましたが、それをFIAが容認していたのは、ホンダ救済の意味合いがゼロではなかったと思います。
でもADUOによって性能が向上したメーカーのPUを搭載したマシンが優勝するなんてことになると、実質的なBOPです。それはあってはならない。ADUOの使い方次第ではF1を破滅の道に追い込む可能性もあります。
後編につづく
<プロフィール>
浅木泰昭 あさき・やすあき/1958年、広島県生まれ。1981年に本田技術研究所に入社し、第2期ホンダF1、初代オデッセイ、アコード、N-BOXなどの開発に携わる。2017年から第4期ホンダF1に復帰し、2021年までパワーユニット開発の陣頭指揮を執る。第4期活動の最終年となった2021年シーズン、ホンダは30年ぶりのタイトルを獲得。2023年春、ホンダを定年退職。現在はF1コメンテーターとして活躍。初の著書『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』(集英社インターナショナル)が好評発売中。



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