世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第53回】ニコラ・アネルカ(フランス)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。

世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第53回は「フランスが生んだFWの最高傑作」と評されたニコラ・アネルカを取り上げる。プロデビュー前から注目を集め、ビッグクラブ移籍後も結果を残したものの、彼の魅力は引退後もあまり世間に広まっていない。アネルカという選手は、どういう人物だったのか──。

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【欧州サッカー】ニコラ・アネルカは不器用だけど誠実 ベンゲル...の画像はこちら >>
 パリ・サンジェルマンに始まり、アーセナル、レアル・マドリード、リバプール、マンチェスター・シティ、チェルシー、ユベントスと、超一流クラブを渡り歩いた。移籍金の合計は推定1億3000万ユーロ(約203億円)。才能の証(あかし)といって差し支えない。

 ニコラ・アネルカである。

「私が指導したなかで最高のアタッカー」

 アーセナルの監督だったアーセン・ベンゲルも高く評価する。ただ、ひとつのクラブに落ちつこうとしないアネルカの信用度はイマイチで、サポーターの間でも人気は薄かった。

「あの男はクラブに忠誠を誓わない」

 のちにアネルカは「いろいろなクラブでプレーしたかった」と語っている。エージェントも顧客の希望に沿って動いていただけだが、契約交渉のたびにクラブと揉めていた印象が強い。

 ローマのフランチェスコ・トッティ、ミランのパオロ・マルディーニ、マンチェスター・ユナイテッドのライアン・ギグス、トッテナム・ホットスパーのレドリー・キング......。移籍せずに生涯を捧げた「ワンクラブマン」は、今でもサポーターに愛されている。

 アネルカの内向的な性格も、不人気に少なからず影響しただろう。ファンサービスも消極的で、アネルカが笑顔で写真撮影に応じたり、サインしたりするシーンはほとんどなかった。誰が言ったのか、「The Incredible Sulk(不機嫌な男)」という異名までつけられた。

【ファーガソンもペレも絶賛】

 当然、アネルカはメディア対応も苦手だった。単独インタビューのオファーが届いても断っていたのだろう、テレビや雑誌への露出は極端なほど少なかった。自身を語るのが恥ずかしかったのか、原形をとどめないほどのインタビュー内容の脚色を恐れていたのか。

 いずれにせよ、アネルカという男の魅力は、世間に広くアピールされなかった。現役を退いて10年が経過した今も、決して多くを語らない。

 1996年にパリ・サンジェルマンでプロキャリアを刻み始めた当時から、アネルカの才能は注目されていた。1歳半上のティエリ・アンリ、ダヴィド・トレゼゲを上まわり、「次のフランス代表を担う男」と各方面から高く評価されていた。

 1996‐97シーズンの半ばに18歳の若さでアーセナルに移籍したあとも、プレミアリーグの高い強度にフィットした。

マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督が「あの若造、ふてぶてしいな。気に入った」とエールを送り、あのペレをして「ストライカーとしてすべての才能を装備している」と言わしめてもいる。

 1998-99シーズンのプレミアリーグで17ゴール。ジミー・フロイド・ハッセルバインク(リーズ)、ドワイト・ヨーク(マンチェスター・ユナイテッド)、マイケル・オーウェン(リバプール)の18ゴールに次ぐ好記録だ。アーセナルの得点源として確かな手ごたえをつかみ、プレミアリーグの得点王も夢ではなかった。

 ところが、レアル・マドリードが触手を伸ばしてきた。前述したようにアネルカも「いろいろなクラブでプレーしたかった」し、ベンゲル監督も基本的に選手を引き留めたりしない。

 フランスの名将が懸命に残留交渉し、アネルカもラ・リーガ行きを拒否したとしよう。1999年8月、アーセナルはユベントスからアンリを獲得している。アネルカとの2トップが誕生したとも考えられはしないだろうか。

 いや、アネルカが移籍したからこそのアンリ獲得だろうか。ケガの影響でレアル・マドリードにおけるキャリアはわずか1年で終わっている。

あの時、アーセナルに残っていればと悔やまれてならない。口数が少ないアネルカは何も語らないが......。

【代表で活躍できなかった理由】

 レアル・マドリードを離れたあと、古巣パリ・サンジェルマンとリバプールを経て、2002-03シーズンからマンチェスター・シティに新天地を求めている。1シーズン目は14ゴールで得点ランキング7位、2003-04シーズンは16ゴールで7位。アブダビ・ユナイテッド・グループに買収される以前のマンチェスター・シティは優勝戦線に絡めなかったものの、アネルカはひとり気を吐いていたと言っていいだろう。

 的確なポジショニングを取り続け、これ以上ないタイミングで相手最終ラインの裏に飛び出す。爆発的なスピードでマーカーを置き去りにし、GKと1対1を迎えた場合はクールに決める。しかも、左右両足で硬軟自在だった。

 アシスト感覚、ポストプレー、ドリブル突破、空中戦......いずれも優れており、前線のあらゆるポジションに適応した。深い位置まで下りてきてボールをさばき、その直後にスプリント全開でロングフィードの受けもこなしていた。

 攻守ともにオフ・ザ・ボールの動きは秀逸。スペースメイクや頻繁なプレスバックでもチームに貢献。好調時のアネルカは常に楽しそうだった。

ピッチ上ではご機嫌だったのである。

 2008年から2012年まで所属したチェルシーでは、センターを託された1トップ、ディディエ・ドログバとの2トップ、さらには左右のウイングでも活躍。2008-09シーズンは得点王に輝き、翌シーズンはプレミアリーグとFAカップのダブル獲得の原動力にもなっている。

 デビュー当時から「アンリをしのぐ」と言われていた才能がついに花開き、当時チェルシーを率いていたフース・ヒディンクも称賛した。

「マルコ・ファン・バステンに勝るとも劣らないタレントだ」

 しかし、チェルシーで最盛期を迎えたアネルカも、フランス代表における実績は乏しい。EURO2000の優勝メンバーとはいえ、貢献度は高くなかった。

 選手選考に偏りがあったジャック・サンティニや高圧的なレイモン・ドメネクといった代表監督とは、反りがまったく合わなかった。また、年長者に敬意を示さないサミル・ナスリやフランク・リベリーといった次世代の選手たちとも距離を置いていた。マンチェスター・シティやチェルシーでは少しだけ陽気になれたアネルカは、フランス代表になるとまた不機嫌になった。

【アネルカはとことん誠実だった】

 ただ、ベンゲル(アーセナル)やケビン・キーガン(マンチェスター・シティ)との関係は良好だった。全方位に心は開かないが、信頼できる監督には全力で尽くすタイプなのではないだろうか。

「ニコラは日常のうっぷんを内に溜めるタイプで、何かの拍子に不満が爆発する。

でも、根は正直で、とてもいいヤツなんだ」

 ベンゲルの評価こそが、アネルカの人間性を表わしている。

 立ちまわりがヘタクソで、正直すぎるがゆえに多くの敵を作る。しかし、ベンゲルやキーガンがメディアから責任を追及された時は、たったひとりで敢然と立ち向かっていったという。

 人それぞれに性格がある。内向的なのだから、無理に明るく振る舞う必要はない。心を通わせた者に対して、アネルカはとことん誠実だった。

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