『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(25)

大阪ブルテオン エバデダン ラリー アイケー 前編

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【ミドルとして"目立たなさ"を売りにする】

 大阪ブルテオンのエバデダン ラリー アイケー(25歳)は、ファンキーな髪型が示すように、その明るさで周りを和やかにする空気を持っている。集団のなかでネガティブな要素にならない。誰よりも気を遣うが、一方で気を遣われることを嫌っているからだ。

 もっとも、その"優しさ"はどちらにも転ぶ。競争を強いられる世界では弱さや脆さにつながる要素にもなり得るからだ。

「たぶん、自分の性格はバレーに合っていない。というか、スポーツに合っていません。思い描くアスリート像と、自分の性格は違うんです」

 ラリーは笑顔を浮かべながら、本質に迫ることを口にした。彼自身、誰よりも自分と対峙しているのだ。

「たとえば、チームメイトの西田(有志)さんや(アントワーヌ・)ブリザールは闘志に溢れているじゃないですか。"この一本に集中する"というでかい炎が燃え立っています。それに比べて、僕の炎はちっちゃいし、燃え盛ることはない。アスリートとしては明るくないし、眩しくないです。

 でも、『だからこそ』とポジティブにも捉えていて。僕はミドルブロッカーというポジションなので、隠れていきたい。

ブロックも、クイックもいきなり現れて決める。"目立たなさ"を売りにしたいんです。

 代表合宿でセッターの深津(旭弘/東京グレートベアーズ)さんに『おまえ、助走する時に見えないんだよ』と言われたことがあって。『どういうことですか?』って聞いたら、『気づいたら、そこにいる』と。その"黒子感"がうれしくて、『本当っすか!?』ってテンションが上がりました」

 ラリーは低く、よく通る声で言った。隠形の身ながら、陽炎のごとく災難を祓う摩利支天か。隠れ通して、「必勝」に導くのだ――。

【春高バレーに3年連続で出場】

 岐阜県海津市、ふたつの川に囲まれた町に生まれたラリーがバレーを始めたのは、小学4年の時だった。3歳上の兄を追いかけてクラブに入ったが、「野球をしていたんですが、日光が苦手で」という程度の動機だった。周りに「とにかく何か、運動競技をやりなさい」と言われ、消去法的に選択した。

「本当は何もやりたくなかったんです」

 ラリーはそう言って、あけすけに笑う。ただ、好む好まざるにかかわらず、運動センスは抜群で、最初はうまくなる初期段階を楽しんでいたという。スパイクを打つのにハマった。

ただ、レシーブはヘタで成長が鈍化した。率先して始めたスポーツではないため、「バレー選手になりたい」とはつゆほども思わず、勝手に「中学でひと区切り」と考えていた。

 しかし、身長は中学1年から10cmずつ伸び、中学3年で190cm近くになった。

「身長が一気に伸びて、中学でJOC(ジュニアオリンピックカップ。各都道府県の選抜チームで争われる全国大会)に呼んでもらいました。そこで『将来の日本代表だな!』ってめちゃめちゃ言われたんですけど......自分はヘタだと思っていたし、自信もなかったので、『なんで、そんなにおだてるの?』って不思議に思っていました」

 ラリーは当時をそう振り返ったが、巨躯を自在に動かせるスピードとパワーは同年代で異彩を放っていた。結局は兄と同じく、長野の創造学園高校(現・松本国際高校)に越境入学することになった。

「全然うまくならなくてきつかったし、『高校で終わろう』と思っていましたね。なんで続けたんですかね(笑)」

 ラリーはそうとぼけるが、同期のバレー部員との生活は楽しかったという。

「仲間がいたのは大きかったです。高校は寮生活(バレー部の監督が自宅を改築)で、ずっと一緒。みんなで朝食をとって、監督が運転するバスで高校に向かい、掃除をして、授業を受けて、部活をして、同じバスで寮に戻る。

外出禁止で携帯電話も回収されていたし、それは仲よくなりますよ(笑)」

 月1回のオフ、同期7人と寮の部屋で鍋を囲む時間が楽しかった。みんなでスーパーに行って食材を買う。それだけで特別だった。恋愛禁止だったが、仲よくなった女の子がいると、同期に打ち明けた。青春の1ページだ。

 春高バレーには3年連続で出場。3年生の時、準々決勝で優勝候補の洛南高校(京都)と激闘を演じた。最後は力尽きたが、のちに日本代表で"戦友"になる大塚達宣を擁した強豪を相手に一歩も引かなかった。

「周囲に『絶対に勝てない』と思われていたからこそ、勝ちたかったですね。ただ、手応えを感じたし、そこまで悔しくはなかったです。『次につながるな』って」

【先輩の日本代表ミドルから入れられた喝】

 ラリーは、筑波大学でもバレーを続けることにした。Vリーグでプレーする気持ちはまだなかったが、転機があった。

「大学で、やっとこさバレーに手応えを感じるようになりました」

 ラリーは照れたように言う。

「論理的な指導が新鮮だったんです。『頭を使ったバレーは面白いな』と思いました。大学3年の天皇杯の試合で、パナソニック(現在のブルテオン)のロラン・ティリ監督や南部(正司)さんに見てもらって。(大塚)達宣がチーム練習に参加予定だったので、僕も"お呼ばれ"したのかなって思っています。たぶん、達宣がいなかったら参加できてませんね」

 彼はきっぱりと言ったが、高校時代のライバルである大塚とチームメイトになる巡り合わせは、自らが引き寄せたものだろう。

「達宣の存在は大きいですよ。やっぱり、同期は特別。弱さを見せられるし、『俺のことも知ってほしい』と思える、変な感じがいいですね。なんでも喋れるんです」

 こうした彼の質朴なキャラが、彼自身に力を与えるのかもしれない。大学在学中に代表に選ばれるなど台頭著しく、パリ五輪のメンバー入りこそ逃したが、その挫折も次の飛躍のためのトリガーとなった。

「パリ五輪は、"選ばれなくてもともとの精神"でした。自分はそれをチームのなかで、『俺は選ばれない。

みんな頑張れよ』と振り撒いていた。達宣にも『お前は絶対に選ばれるからな』って声をかけていました。気を遣われるのが嫌だったので、メンバー発表もわざとケロッとしていたんです。

 その時、(小野寺)太志さん(サントリーサンバーズ大阪)に『そんな場じゃねえから』と、半分冗談、半分真剣に喝を入れられました。あれは"周りに気を遣いすぎるな"ってことかなって思います」

【「"日本バレーの顔"になるのは絶対条件」】

 ラリーは自らの"優しさ"とあらためて向き合った。そして昨シーズンは、新たに開幕したSVリーグで勇躍し、ミドルとしてベスト6に選出された。今シーズンもブリザールとのコンビで活躍し、アタック決定率は外国人選手を差し置いて、堂々の1位(2月24日現在)だ。

「決定率はブリザールの功績ですよ。クイックでの得点は80%、90%はセッターのおかげ。セッターはまずミドルを見るし、"ミドルなくして攻撃は成り立たない"からこそ、自分はセッターの右腕"ウエポン"としてやっていけたらいいですね」

 彼は相変わらず謙虚で周りを立てるが、新たな決心も吐き出した。

「これからは"日本バレーの顔"になるのは絶対条件だなって。できなくても言わないといけない。

西田さんも『口にして責任感を持つのは大事』って言っていますよね。だから、自分もちゃんと言います。日本バレーのミドルの顔になります。

 今、初めて言いました!(サポートメンバーで帯同した)パリ五輪ではイタリアに逆転負けして、『土壇場に弱い日本』と言う人もいました。次のロサンゼルス五輪では、"日本が本気を出したらやばい"というところを見せてやりますよ」

 得点後、彼が両腕で力こぶを作る"ラリーポーズ"はファンにお馴染みになった。そのポーズが連発される時、優しさに満ちた彼の炎は、勇ましい火柱となる。それは味方を加護する吉兆だ。

(後編:エバデダン ラリーがベストメンバーに選んだ、澤村大地の「一番、鳥肌が立った」セリフとは?>>)

【プロフィール】

エバデダン ラリー アイケー

所属:大阪ブルテオン

2000年8月18日生まれ、岐阜県出身。身長195cm、ミドルブロッカー。ナイジェリア出身の父と日本人の母を持つ。長野・創造学園高(現松本国際高)でインターハイや春高バレーなどに出場。筑波大3年時の2022年にパナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)に加入しVリーグデビュー。同年に日本代表に初招集された。リーグ終了時に一度退団し、翌2023年にパナソニックに入団した。

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