世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第54回】フランチェスコ・トッティ(イタリア)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。

世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第54回は「ローマの王子」フランチェスコ・トッティを紹介する。四半世紀にわたってローマひと筋でプレーしたバンディエラ(長期にわたってひとつのチームで活動し続けた選手)は、イタリア史上最も偉大なサッカー選手のひとりと言って間違いないだろう。その彼がついに、再び愛すべきローマに戻ってくるかもしれない。

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【欧州サッカー】ローマの王子・トッティは中田英寿との交代に不...の画像はこちら >>
 顔面偏差値は非常に高いが、目は笑っていない。ちょっとだけ気難しそうにも映った。人懐こいファビオ・カンナヴァーロとは異なるタイプだ。

 フランチェスコ・トッティの第一印象である。

 彼がローマで頭角を現した1990年代中期のセリエAは、インテル、ユベントス、ミランの三強が牛耳っていた。放映権バブルの影響でローマとラツィオ、フィオレンティーナ、パルマを加えた「セブンシスターズの時代」という考え方もあるとはいえ、メディアの数、影響力でイタリア北部を本拠とする三強には敵わなかった。

 また、日本的な視点では1998-99シーズンのペルージャをスルーできない。中田英寿が開幕節のユベントス戦で2ゴール。

鮮烈なデビューを飾るとともに、最終的にはふた桁得点を記録している。そして「日本代表史上最高のタレント」とも評されるMFは、のちにトッティのキャリアに関わっていく。

 トッティは1993年にローマでプロデビューした。身長180cm、体重80kgと恵まれた体躯を誇り、ボール扱いも流麗だった。「憧れはジュゼッペ・ジャンニーニ」と語ってはいたものの、1980年代に「ローマのプリンチペ(王子)」ともてはやされた技巧派MFより、トッティは強く、それでいてしなやかだった。

【「ゼロトップ」のパイオニア】

 1997-98シーズンから4位→5位→6位と、徐々に降下していったローマに転機が訪れたのは、2000-01シーズンのことだった。得点源としてガブリエル・バティストゥータをフィオレンティーナから、中盤の要にレバークーゼンからエメルソンを補強し、新監督に名将ファビオ・カペッロを招いた。

 トップ下のトッティはバティストゥータ、マルコ・デルベッキオの2トップを操り、ローマに18シーズンぶりのリーグ優勝をもたらしている。ただ、不快感を露わにするシーンがあった。

 中田(2000年1月にペルージャから移籍)との交代である。

 カペッロ監督は優勝を決定的にした32節のユベントス戦で、トッティを下げて中田を投入した。この交代は見事に的中し、日本代表MFは反撃の狼煙となるゴールを奪い、さらに同点弾の起点となるシュートも放つ大活躍。ローマは0-2から貴重な1ポイントを手に入れた。

「今となっては理解できる。試合が膠着状態に陥り、なんらかの変化が必要だった。でも、まさか俺とナカタが交代するなんて、ふざけるなよと思った」

 トッティの述懐である。中田の実力は認めるが、「ローマの軸は俺」と自負していた当時の選手交代だ。しかもユベントスとの大一番だ。不快感はイタリア人として当然の感覚だったのかもしれない。

 なお、中田との間に一切の遺恨はなく、つい先日も日本のメディアで仲睦まじく対談していた。

 残念ながらローマでは、リーグ優勝が1回、コッパ・イタリア制覇も2回にすぎない。トッティの実力を踏まえると少なすぎる。

 しかし、最前線より下がった位置からゲームを創り、状況に応じて得点も狙う戦術的なポジションをこなしていた。「ゼロトップ」はトッティがパイオニアかもしれない。

 チームメイトの特性、立ち位置を瞬時に理解し、これ以上ないタイミングとスピードでボールを届けるアシスト技術には、誰もが見惚れた。

 さらにチップキックやループシュートといった多彩、かつエレガントな技術で相手GKを無力にし、フリーキックで高い成功率を誇っていた。PKでは「パネンカ(※)」を得意にしていた。

※パネンカ=PKで左右いずれかに飛んだGKを欺き、中央へふわりと浮かせたシュートを放つ大胆不敵なテクニック。1976年の欧州選手権でチェコスロバキア代表のアントニーン・パネンカが披露したことが名前の由来。

【ロマニスタにとって永遠のアイコン】

 あらゆる角度から正確に狙えるシュート力、ゴール前での落ち着き、ピッチ全体を俯瞰できる状況判断、プレス耐性......等々。トッティは他選手が嫉妬するほど天賦の才能に恵まれていた。

 だからこそ、キャリアの晩年を迎えた2006-07シーズンに26ゴールでセリエAの得点王に輝くことができたのだろう。フィジカルの低下に抗いながら、卓越した戦術理解度によって個人タイトルを手にしている。

『sky sports』のインタビューに応じたカペッロ氏も、次のように語っていた。

「トッティに技術的なアドバイスは不要だった」

 トッティはローマで育ち、キャリアを閉じた。いわゆる「ワンクラブマン」である。

 現代フットボールでは死語に等しい。下部組織出身の若手はサポーター間で特に愛され、出場するだけで大歓声が送られる。

ローマではトッティとダニエレ・デ・ロッシ、バルセロナのカルレス・プジョルやシャビ・エルナンデス、バイエルンのトーマス・ミュラー、ミランではパオロ・マルディーニなど、錚々たる顔ぶれだ。

 だが、フットボールがビッグビジネスとして成立する今、経済力に秀でたプレミアリーグの各クラブは世界中にスカウト網を張り巡らせている。最近ではサウジアラビアリーグも大金をちらつかせる。

 それでもワンクラブマンが依然として愛されているのは、その生涯を古巣に捧げたからに違いない。

 ロマニスタにとってトッティは「永遠のアイコン」であり、夢のような監督候補だという。マルディーニが率いるミランを相手に、トッティ監督、副官にデ・ロッシのローマが相まみえる構図は鳥肌が立つ。ただ、現実味は薄いかと......。

 2019年にスポーツディレクターの職を辞した後、トッティはローマと距離を置いていた。ところが今年の2月中旬、オーナーのフリードキン・グループ、ジャン・ピエロ・ガスペリーニ監督とトッティの接触が明らかになった。「永遠のアイコン」が古巣に復帰する可能性が急速に浮上している。

【ラニエリが復帰についてコメント】

 来シーズン、ローマはクラブ設立100周年を迎える。そのメモリアルイヤーにトッティがなんらかの形で、監督ではなくとも重職を担えば、ロマニスタは快哉を叫ぶに違いない。

 シニアディレクターを務めるクラウディオ・ラニエリが「彼はローマの一部だ。復帰を真剣に検討している」と語り、スポーツディレクターのフレデリック・マッサーラも、「フリードキン・グループ(ローマのオーナー)とトッティの関係は常に極めて良好だ」と、前向きに発言している。

 そして、当の本人も単なるお飾りではなく、自らの意見を現場に反映できるポジションを望み、数回にわたって上層部に接触したとの情報も飛び交いはじめている。

 トッティが監督として、あるいはゼネラルマネジャーとしてローマに復帰する日が確実に近づいてきた印象が非常に強い。かつてロマニスタを......いやいや、世界中のカルチョ愛好者に支持されたファンタジスタが、満を持して戻ってくる。

 2026-27シーズンは、楽しみがまたひとつ増えた。

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