木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第6回:金田喜稔評(6)

JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。

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 木村和司の代名詞とも言えば、FK――。そのイメージは、今でこそ万人に定着しているが、木村のキャリアをさかのぼれば、若い頃から、たとえば10代の頃から、それを武器にしていたわけではない。

 ならば、どうやって生み出されたものなのだろうか。

 高校時代から木村を知る、金田喜稔も「県工(県立広島工業高校)の時、和司らの代は(金田たちの代以上に)悲惨なぐらい走らされた。だから、(キック力の)ベースはそこ(走り込み)にあると思う」と言い、FKにつながる才能の片鱗について、こう振り返る。

「和司はガニ股っていうのもあるのかもしれんけど、(高校時代から)内転筋は異常に強かった。そうじゃないと、あんなふうに(サイドでの直線的なドリブルからクロスを)曲げて蹴れっこないから。だって、日産時代でもフィジカルトレーニングなんてやってないからね。たぶん、そういう(もともと得意だったクロスを上げる)キックがFKにもつながっているんだと思うよ」

 金田は、「(木村が明治)大学の時は、ワシは見てないからわからないけど」としながらも、日産自動車に入った木村のFKを見た時、すぐに「これは明大で相当やってきたんやな、と思った」という。

「遊びで(FKをゴールの)ポストに当てたりっていうのをやってたって、自分でよう言ってたから。アイツの場合、たぶん大学で相当うまくなったんじゃないかな。だって、曲げて落とすんやで。

あんなキックできるヤツ、いないから」

 もちろん金田は、「(高校時代から)和司がキックうまいのは知ってたよ」。

 しかし、木村が後輩ということもあり、その存在をそれほど意識することはなかった。金田は高校卒業後も、常に木村の先を行っていたのだから無理もない。

 だからこそ、日産で木村のFKを見て、「コイツ、すごいわ」と純粋に驚いた。

 木村のFKが、いかに特別なものだったのか。それは「日産は、和司のために"壁"を作ったんだから」という事実にも表われている。

 現在では、FKの練習用の壁は珍しいものではない。その種類はさまざまだろうが、プラスチックなどで作られた人形が5、6体並んだ器材と言えば、最も一般的でわかりやすいだろう。

 だが、「当時はどこのチームも持ってないような壁を、金属製だったか、木製だったか、(材料は)ちょっと覚えてないけど、日産はお金をかけて作った」という。

 金田の記憶によれば、「壁の高さは180センチぐらいにそろえてあった」が、木村のFKにかかれば、「全然関係なかった。普通に決めとった。ワシらが蹴ったら絶対(壁に)当たるのに、『コイツ、どうやって越せるんや』と思って見ていた」。

 高校時代から木村に負けず劣らずの技巧派で鳴らした金田でさえ、「ワシ? いや、無理無理。もう和司のキックを見とったら、ワシはできないと思った」と、張り合う気も起らなかった。

 金田はその後も含め、多くのFKの名手たちに出会ってきた。だが、「世界でもトップクラスだったんじゃない? 和司のFKは」。それが贔屓目抜きでの評価である。

「アイツ、PKより壁があるFKのほうが決めますよ。いや、ホンマにそうやから(笑)。壁があると、GKはキックの瞬間が見えなかったり、軌道が見えなかったりする。だから、全部決めよったからね。マジですごかったよ、和司のFKは。メヒコの時(1985年のメキシコワールドカップアジア最終予選)みたいに、距離があっても強いキックで決めるし、ペナに近いところで距離がなくても、(回転をかけて)落としよったからね。どうやって蹴るんかなって思ってたよ」

 金田は実戦のみならず、練習を通じても数多くのスーパーFKを見てきただけに、特に印象に残っている"木村の1本"を挙げてもらおうにも、「う~ん」と言って、首をひねる。

「FKもたくさん決めてきてるんで、ワシがちょっと覚えきれてないっていうのがあるし......。JSL(日本リーグ)の時には、1試合で(FKを)何本か決めたゲームだってあるはず」

 だが、現在では後進の指導に力を入れている金田は、木村のFKのすごさを間近で見てきたからこそ、その名手が病に倒れた今、悔やむ思いもある。

「もう現役上がって......、だいぶあとになってからやけど」

 金田がそう言って振り返るのは、ふたりが現役を引退したのち、サッカー教室などのさまざまなイベントを通じて、金田が木村に「どうやってFKを蹴っているのか」と尋ねた時のことだ。

「親指から入れるんや」

 木村の答えは、それだけだった。

「和司は基本的に、言語化能力がない。だから、『親指から入れるんや』って言われても、『おまえ、わけわからんこと言うなよ』みたいな(苦笑)。でも、和司はそれが許されるキャラやし、別にその時はそれでよかったけど......。

 たぶん、それが和司のヒントなんですよ。でも、ワシらは、それをどう入れていいかわからんわけ。だから、悔やまれるのよ。アイツが軸足の置き方、足の入れ方、ボールのどこを捉えるのかっていうのを、子どもらに伝えてくれるのをずっと楽しみにしてたからね、ワシは。そこがホンマに......、もったいないなっていう気持ちはあるよね」

(文中敬称略/つづく)

木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。

広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。

金田喜稔(かねだ・のぶとし)
1958年2月16日生まれ。広島県出身。

広島工業高→中央大を経て、1980年にJSLの日産自動車入り。同郷で1年後輩の木村和司らとともに一時代を築く。大学2年生の時に初選出された日本代表でも奮闘。変幻自在のドリブルと独特なフェイントで攻撃の主軸を務めた。19歳119日という日本代表最年少得点記録を保持する。1991年に現役引退。以降、解説者、指導者として奔走し続けている。国際Aマッチ出場58試合6得点。

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