流しのブルペンキャッチャー回顧録
第5回 菅野智之(ロッキーズ)前編

 2011年春のリーグ戦の少し前だったように思う。この日、私は、当時アマチュア球界ナンバーワン投手とも評されていた東海大4年の菅野智之投手の全力投球を受けに、神奈川県平塚市にある東海大グラウンドのブルペンを訪れていた。

東海大相模高校の3年時も受けていたから、菅野投手のボールを受けるのは、この時が2回目だった。

「腕の振りは7、球威は10」 東海大・菅野智之の150キロを...の画像はこちら >>

【破壊力抜群のストレート】

 受けてから、もう5時間も経っているのに、心の火照りがまだおさまらない。一度はバッグにしまったミットをまた取り出し、右手をグーにしてポンポンとやってみる。捕球の衝撃が、まだ手の平に残っている。

 すごいボールだった......。

 菅野のストレートは、機関車のようにやって来た。ボールの左右に車輪がついている。それがシュッシュッ、シュッシュッと蒸気を上げながら、ミットを構えるこっちに向かってくるのだ。上から投げ下ろしてくるのに、機関車は坂道を駆け上がってくる。

 その腕の振りで、このボールかい!

「7」ほどの力感の腕の振りから、「10」の破壊力のボールが飛んでくる。

 右打者の外いっぱいに、ミットを構える。来た! スッとミットに入った。

「ダメだよ、こんなの! 真ん中だよ!」

 精一杯の強がり。

ほんとは、やっと捕ったのに。

「どうですかねぇ、140(キロ)後半は間違いないと思いますけど......」

 あとで、「150出てたかな?」と聞いたら、菅野は涼しい顔でそう答えた。いや、出ていた、絶対に出ていた。

 菅野だと思うから速いのか、菅野だから速いのか。

「カモン、トモ! ボックスのラインで!」

 呼び名のトモは、彼のリクエスト。
 
 来た! バッターボックスのラインをよぎった「150キロ」が、注文どおり右打者の外に突き刺さる。やっと間に合ったミットを、高めでピャーンと跳ね上げる。

「いいなあ、このボール。すんごいスピン!」

 返す声に、若干の震え。怖くはない、震えているのは心だった。

【捕球できず右肩を直撃したカットボール】

「こっち側にお願いします!」

 インコースにシュート回転だ。動かしてくる。

速いだけじゃ満足できないヤツ。これがピッチャーだ。

 次のシュート回転がスッと垂れた。トモの顔がゆがむ。力んでいる。力んでくれている。ありがとう。

「カーブ、いいですか」

 カーブを投げて、ストレートの腕の振りを修正してくる。雄大なアーチ。「18.44」に、虹がかかる。

「カットボールいきます!」

 カット...? そんなボール、知らない。オレたちの時代には、カットボールなんてなかった。

曲がらずに来た。

「あんまり曲がらない、カット?」

 まただなと思って捕りにいったら、目の前でウソみたいにキュッと曲がって、そのままこっちの右肩を直撃していったから驚いた。そんな恐ろしいボール投げておいて、「こんなもんじゃないですよ、ほんとは、自分......」なんて、悔しい顔をする。

「今日は安倍さんだったんで、自分も意識して、力入っちゃって......あんまりいいボールが行かなかった」

 ボールを握ったグラブを顔の前に置いて、こちらのミットに狙いを定める菅野の目が、いや、姿そのものが怖かった。投げる前から、この威圧感で、もうすでに半分、向き合う打者をやっつけているのだ。

 ミットを構えて向き合っていると、投げる剛球以外にも、そのすごさが実感でわかる。やっばり受けてみないと、逸材の「ホントのところ」はわからない。

 そして、「今日は安倍さんだったから......」の言葉。ビビりながら、ひるみながら、強がり全開でミットを構えるこちらをいじってくる時の、切れ長のやさしいまなざし。

 なんだか、懐の深そうな若者だった。

つづく>>


菅野智之(すがの・ともゆき)/1989年10月11日生まれ、神奈川県出身。東海大相模高から東海大を経て、2012年ドラフト1位で巨人に入団。

1年目から先発ローテーションを守り、2017年から2年連続で沢村賞を受賞。2024年に最多勝、最高勝率、自身3度目のMVPに輝き、同年オフにオリオールズと1年契約。今季からロッキーズに移籍した。

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