蘇る名馬の真髄
連載第39回:サクラバクシンオー

かつて日本の競馬界を席巻した競走馬をモチーフとした育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)。2021年のリリースと前後して、アニメ化や漫画連載もされるなど爆発的な人気を誇っている。

ここでは、そんな『ウマ娘』によって再び脚光を浴びている、往年の名馬たちをピックアップ。その活躍ぶりをあらためて紹介していきたい。第39回は、日本競馬屈指のスプリンターとして今も語り継がれるサクラバクシンオーを取り上げる。

『ウマ娘』でも自慢のスピードで躍動 日本競馬屈指のスプリンタ...の画像はこちら >>
 思い込んだら一直線。周囲を気にせずバクシンする行動派。レースでは類まれなスピードを持ち、短距離戦では圧倒的な強さを発揮する――それが『ウマ娘』のサクラバクシンオーだ。

 このキャラクターは、モデルとなった競走馬・サクラバクシンオーから受け継がれたもの。1993年、1994年とGⅠスプリンターズS(中山・芝1200m)連覇を果たすなど、1200m~1400mでは無類の強さを誇った。馬名に「サクラ」の三文字を冠する"サクラ軍団"は、伝統的にスピード豊かな馬が多いが、そのなかでも「最高傑作」と言われるほどの1頭だ。

 1992年、4歳(現3歳。※2001年度から国際化の一環として、数え年から満年齢に変更。以下同)でデビューしたサクラバクシンオー。

当初から1200m~1400mのレースで強さを見せ、白星を重ねていった。一方で、1600m以上ではあっさり負けることもあり、スプリント路線での適性が突出していたことは間違いない。

 ゆえに、この馬の最大目標は自然とスプリンターズSになっていった。当時、1200mの国内GⅠはこの一戦だけ。それこそ、サクラバクシンオーの能力が余すことなく発揮される、年に一度の舞台だったと言える。

 最初にスプリンターズSを勝ったのは、1993年。この年、5歳となった同馬はスタートから3番手でレースを進める。直線に入ると、余裕十分の手応えで抜け出し、ライバルたちを引き離していく。それでも、デビューから全戦で手綱を取ってきた小島太騎手は、まるで愛馬を鼓舞するかのようにムチを連打。最後は追いすがるGⅠ3勝馬のヤマニンゼファーに、2馬身半差をつけて快勝した。

 6歳となった翌年もその強さにまったく衰えは見られなかったが、連覇を狙う大舞台に引退レースとして臨んだ。有終の美を飾るべく、陣営も仕上げには万全を期した。

鞍上を務めるのは、もちろん小島騎手だ。

 迎えた1994年のスプリンターズS。サクラバクシンオーは、自身の韋駄天ぶりを存分に見せつける。

 ゲートが開くと、3、4頭が壮絶なハナ争いを繰り広げた。その結果、前半3ハロン32秒4というハイペースとなったが、サクラバクシンオーは動じることなく、先を行く4頭の後ろで悠々と追走していった。

 そうして、3コーナーを回ったあたりからサクラバクシンオーが少しずつ進出。直線入口では2番手まで上がって、先頭のヒシクレバーを射程圏に捉えた。小島騎手の手はまだ動かない。持ったままの状態だった。

 圧巻だったのはここから。残り200mの地点に入って鞍上が軽く手綱を動かすと、一気にサクラバクシンオーが躍動。ヒシクレバーを並ぶ間なくかわして先頭に立つと、瞬く間に後続との差を広げていった。

 さらに小島騎手がムチを入れると、スプリント王は一段と加速。テレビの実況アナによる「これは最後の愛のムチ!」といった声が響きわたるなか、1頭だけ次元の違う走りを見せた。

 最終的には4馬身もの差をつけてゴール板を通過。着差のつきにくいスプリント戦において、その差はまさに異次元のもの。勝ちタイムの1分7秒1も、当時の日本レコードだった。

 引退戦で圧倒的な力を見せつけ、完璧な走りを披露したサクラバクシンオー。長い競馬史にあっても、「日本競馬屈指のスプリンター」としてこの馬を挙げるファンは少なくない。

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