東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第45回)
番外編:冨樫剛一インタビュー(中編)

Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。その育成の秘密に迫っていく同連載、今回も前回に続いて同クラブのアカデミーで育ち、後進の育成にも携わった冨樫剛一氏(現横浜F・マリノスユース監督)のインタビューをお送りする。

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――1997年のコンサドーレ札幌を最後に現役引退したあと、どんな経緯で指導者への道に進むことになったのですか。

冨樫剛一(以下、冨樫)実は(札幌をやめたあと)、今のRB大宮アルディージャ、当時のNTT関東の練習に行っていて、入れそうな感じだったんです。だけど、12月31日に連絡が来て、「取れない」っていう話になった。それで、ヴェルディの小見(幸隆)さんに連絡をしたら、「年が明けたらクラブに遊びに来いよ」と言われて行って、「(NTT関東と)契約できなくなって......」という話をしたら、「じゃあ、(ヴェルディに)帰ってくるか」と。

 当時、(ヴェルディのホームタウンが)川崎だったので、川崎市の巡回コーチをやらないかと言われて、土日に川崎の小学校を回ることになりました。

――もともと指導者になりたい、という気持ちはあったのですか。

冨樫 現役の最後のほうに、たまたまいろんなことがあって......、札幌の選手だった時、監督とケンカしたんですよね。そこでコーチが間に入ってくれたんですけど、僕は「コーチとして、そんなことしか言えねぇのかよ」って思いながら、「オレなら、こう言うのに......」っていう感覚になったんです。その時、「あっ、オレ、コーチになりたいんだ!」って気づいて。

 札幌をやめることになり、このタイミングでしか(ヴェルディに)戻ってこられないかなっていう気持ちもあり、巡回コーチをやることにしました。

――そこをスタートに、アカデミーのコーチになっていったのですか。

冨樫 いや、巡回コーチは、土日だけのバイトみたいなもので、僕は当時、子どもも生まれていたので、週2回(の仕事)だけでは生活ができない。

それで、トップとサテライトの練習の手伝いをすることになったんです。

――手伝いとは、どんなことをしていたのですか。

冨樫 まだ現役をやめてすぐだったので、(体が)動けたこともあって、紅白戦にも入ったりして......。そんな感じで、手伝いっていうか、本当にいろんなことをやりました。

 荷物運びもそうだし、(練習の)人数が足りなければそこに入るし、(全体練習開始の)1時間前からGKが練習するってなると、(GKコーチだった)藤川(孝幸)さんに言われて、本並(健治)さんや(菊池)新吉さんを相手に(シュートやクロスを)蹴るんですけど、「タイミングが違うんだよ!」とかって注意されながらも、キックはうまくなる、みたいな(苦笑)。ずっとそういう感じでした。

――まさに、手伝い、ですね。

冨樫 トップは川勝(良一)さん、サテライトは森(栄次)さんが監督だったんですけど、そこで重宝されたら、ユースの監督の田口(貴寛)さんからも、「ユースも手伝ってくれ」と言われてやるようになって。そのうち、ユースの(練習時間の)前にサッカースクールがあったので、そこも手伝うようになりました。

 ということで、(練習時間順に)毎日トップ、サテ、スクール、ユースと練習を手伝って、土日は川崎の巡回コーチ。今思うと、いいように使われていました(笑)。

――その時は、指導者になるんだという意識でやっていたのでしょうか。

冨樫 夕方のユースの練習を手伝っていた時、当時の高校3年生に飯尾和也がいて、一個下に飯尾一慶、平本一樹、相馬崇人、もう一個下に富澤清太郎とかがいて、すごいレベルだったんですよね。「こういう子たちがトップに上がるんだな」って思った時に、「これに携わるのは大変なことだな」って感じたのが、一番大きかったですね。

「(指導者は)責任のあることをやっているんだ」っていう感覚になって、そこで指導者になりたいなっていうか、コーチになりたいなと思いました。ところが、なぜか次の年からは(トップチームの)マネジャーをやることになるんですけど(苦笑)。

――今度はマネジャー、ですか。

冨樫 夕方までマネジャーの仕事をしたら、アカデミーのコーチの手伝いをさせてもらったり、ベレーザのコーチをさせてもらったりして、それが終わったら、夜8時半ぐらいにまたマネジャーの仕事をしてから帰っていましたね。

 でもその時は、李国秀さんが(トップチームの)総監督だったんですけど、すごくかわいがってもらって、いろんなことをまかせてもらい、一番近くでマネジメントも見せてもらったおかげで、トップの監督についてすごく学ぶことができました。

――そこから、いよいよ本格的に指導者への道を歩み始めた。

冨樫 その間に指導者ライセンスをコツコツと取っていって、2002年に柱谷(哲二)さんがコンサドーレ札幌の監督になる時、一緒に(コーチとして)連れていってもらったのが、スタートです。

 ヴェルディでは、いろんなことに携わらせてもらいましたが、ただ指導者としては、2002年にコンサドーレに行かせてもらったのが、大きな一歩だったなと思います。

(つづく)◆ヴェルディのアカデミーに入ると自然とサッカーがうまくなるのか?>>

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