木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第9回:金田喜稔評(9)

JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。

金田喜稔がその正体を激白! 根っからの「サッカー小僧」と呼ば...の画像はこちら >>
 日産自動車サッカー部時代、あうんの呼吸とも言うべきコンビネーションを築いた、金田喜稔と木村和司。だが、金田によれば、「別に仲がよかったわけでもない」。ふだんから頻繁にコミュニケーションをとることで、プレーの向上につなげていたわけではなかった。

「日産はゲームが終わると、チームのみんなが夫婦や恋人同伴で集まる会みたいなのがあって、そういう席に行ったりはしてたけど、個人的に(木村とつき合う)っていうのは、特になかったな」

 むしろ金田には、木村とのピッチ外でのつき合いで苦い思い出がある。

 ふたりはともに、お好み焼きが有名な広島県出身。ある時、金田は馴染みのお好み焼き屋へ木村を連れていったという。

 その店は今でも金田の行きつけで、「サッカー仲間とか、シニアサッカー大会の参加者だとかを連れてったりするわけよ。もう30年以上、つき合ってる」というほどである。

 だが、木村と連れ立って店を訪れた金田は、冷や汗をかくことになった。

「和司が、ずっと(店主の)お好みの焼き方見てて、文句言うんですよ」

 お好み焼きにひとかたならぬこだわりを持つ木村は、店主のまさに一挙一動を凝視したまま、「いや、押さえるな!」「いや、まだ早い!」と、いちいちケチをつけ始めたというのである。

「ワシ、そこで初めて知ったんですよ。和司は、自分で焼く時は機嫌ええんやけど、マスターが焼くことに対しては、めっちゃ文句言うわけ。

細かいんですよ」

 木村は言うまでもなく、サッカーをやるのも、見るのも大好きだ。のちに病に倒れ、体調がよくなかった時でも、ずっとサッカーを見ている姿を見て、金田は「コイツは、やっぱりホンマのサッカー小僧やな、と思ってた」。

 しかし、この時ばかりは違った。

 その時、店のテレビはサッカー中継を映し出していた。だが、木村はそれには見向きもせず、ずっとお好み焼きから目を離さないのである。

「ワシ、それに気づいて『え? コイツ、サッカーよりお好みのほうが上か?』みたいな(苦笑)。だから、サッカー小僧じゃなくて、"お好み小僧"なんよ。だって、めっちゃ文句言ってんだよ。もうあのこだわりは異常だった」

 幸いにして、「マスターもいい人だから、文句は言わんけど、あれ普通やったら怒るよ。(お好み焼きを)裏返す時も、『早い!』とか『火弱い!』とか言うんやから」。金田は店にいる間中、居心地が悪かった。

「アイツ、そういうところは子どものまんまやから。

で、全部自分が正しいと思ってるでしょ。もうね、嫌やったもん、和司が(自分の馴染みの店に)来るの。だって、『(テレビで)サッカーやってますよ』って言っても、話もせんで、ずっとお好み(の焼き方)に注文つけてるわけですよ。もうホンマ、頼むよって(苦笑)」

 挙句、焼き上がったお好み焼きを口にした木村は、衝撃のひと言を言い放った。

「アイツとあの店行くのは、ほんと嫌やった。だって、マスターがかわいそうや。和司、『まずい!』って言うんやもん。もうホンマ、どうしようもない」

 金田にしても、自分が行きつけの店だからといって、最高の味だと言うつもりはない。地元・広島に帰れば、同様にうまい店があることを知っている。

 だが、金田曰く「みんなでワイワイできるとか、マスターもママも気心が知れてるとか、そういうことも含めたトータルで、ワシはその店に行ってるわけ」。

 金田は、木村と何度かその店に行き、行くたびに肝を冷やしていたが、ある日、木村を誘うと向こうから断ってきた。

「『いや、ワシゃ、もう行かん』って言った時、ホッとしたもん。

『ああ、よかった』って(笑)」

 金田が記憶をさかのぼれば、高校時代にもサッカー部の仲間たちと一緒に、お好み焼きを食べに「何度か行ったような気はする」。だが、高校生だった木村からは、お好み小僧の兆しは感じられなかった。

「たぶん、社会人になってからやと思うんよ。だって、大学にいる時は、あんな汚い寮で、お好みは絶対に焼けんから。だから、日産に入ってからや。(木村の自宅の)家の中にはちゃんと(お好み焼き用の)鉄板があって、そこで達人の域に成長したんやと思うな」

 そして金田は、あきれたように笑って言う。

「なんか曲がった成長の仕方して、歪んだ大人になったな」

(文中敬称略/つづく)◆指揮官・木村和司の早期解任に対する違和感>>

木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。

横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。

金田喜稔(かねだ・のぶとし)
1958年2月16日生まれ。広島県出身。広島工業高→中央大を経て、1980年にJSLの日産自動車入り。同郷で1年後輩の木村和司らとともに一時代を築く。大学2年生の時に初選出された日本代表でも奮闘。変幻自在のドリブルと独特なフェイントで攻撃の主軸を務めた。19歳119日という日本代表最年少得点記録を保持する。

1991年に現役引退。以降、解説者、指導者として奔走し続けている。国際Aマッチ出場58試合6得点。

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