連載第93回
サッカー観戦7700試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
現場観戦7700試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
サッカー日本代表がスコットランド代表と対戦するグラスゴーのハムデン・パークは、歴史ある名スタジアム。
【スコットランド式パスサッカー】
W杯出場を控えた日本代表が英国に遠征し、3月28日(日本時間29日)にグラスゴーのハムデン・パークでスコットランド、31日(同4月1日)にロンドン近郊ウェンブリーでイングランドとの強化試合に臨む。
日本のA代表がハムデン・パークに登場するのは今回が初めてだ(2012年ロンドン五輪ではオリンピック代表がこのスタジアムでスペインを破った)。日本代表の"武器"はパスサッカーである。
パスをつないで集団的に戦うことによって、フィジカル面での劣勢をカバーする。最近の日本選手はフィジカル面でも大きく改善されてきているが、それでもまだまだ日本がフィジカルを武器にするわけにはいかない。やはり、パスサッカーというアイデンティティーは大切にしたいものだ。
「パスサッカー」を"発明"したのは、スコットランドのクイーンズ・パークFCだった。
1863年にイングランドでフットボール・アソシエーション(FA=イングランド協会)が結成されて統一ルールを制定。サッカー(アソシエーション・フットボール)という新しいスポーツが誕生した。だが、1863年のルールでは現在のラグビーと同じように、ボールより前にいる選手はすべてオフサイドだった。つまり、前に向けてパスをすることはできなかったのだ。
だが、1866年にルールが改正されて守備側の後方から3人目(現在は2人目)の位置がオフサイドラインとなり、このラインより手前にいる味方へのフォワードパスが可能になった。
そして、当時スコットランド最強だったクイーンズ・パークFCはこの新ルールを利用して「パスサッカー」を"発明"したのだ。そして、パスサッカーはたちまちスコットランドの代名詞となった。「ロングボールのイングランド対ショートパスのスコットランド」という図式である。
そのスコットランド式パスサッカーは、様々なルートを経て世界各国に伝わっていった。
オーストリアやチェコ、ハンガリーなど中欧サッカーのルーツも、アルゼンチンのパスサッカーのルーツもスコットランドにあるのだ。
そして、パスサッカーは1920年代初頭に日本にもたらされた。当時は英国植民地の一部だったビルマ(現ミャンマー)からの留学生のチョー・ディンは、ビルマに駐在していたスコットランド人たちからパスサッカーを習っており、それを本格的にサッカーに取り組み始めたばかりの日本の学生たちに広めたのだ。
その後、100年という長い年月をかけて日本はパスサッカーを発展させ、それを武器にようやく世界と戦えるまでに成長した。そして、今回の遠征ではその磨き上げてきたパスサッカーを本家スコットランドで披露することになるのだ。
【楕円形のピッチ、スタンド】
ちなみに、クイーンズ・パークFCは現在2部(チャンピオンシップ)で戦っているが、ハムデン・パークを所有していることでも知られている。アイルランド系労働者(カトリック)のクラブ「セルティック」と英国人(プロテスタント)のクラブ「レンジャーズ」の対立が激しかったスコットランドで、ハムデン・パークは貴重な中立のスタジアムであり、カップ戦の決勝や代表のホームとしてずっと使用されてきたのだ。
写真を見るとおわかりのように、ハムデン・パークは楕円形のピッチを持ち、一層式のスタンドがぐるりと取り囲んでいる。現在、イングランドやスコットランドのサッカー場の多くは長方形のピッチだから、「珍しいスタイル」と思われるかもしれない。
だが、20世紀初めまで、ほとんどのサッカー場は楕円形だった。その後、第1次世界大戦後にサッカー人気が爆発すると、より多くの観客を収容するため多くのスタジアムでタッチライン、ゴールラインぎりぎりまでスタンドを拡張した結果、多くのサッカー場は長方形のフォルムに変わったのだ。
だが、スコットランドではその後も楕円形のスタンドが一般的で「スコットランド・スタイル」とも呼ばれていた。レンジャーズのアイブロックス・スタジアムやセルティックのセルティック・パークが長方形のピッチに改装されたのも1990年代に入ってからのことだった。
【サッカーファン憧れのスタジアム】
さて、ハムデン・パークは僕の憧れのスタジアムでもあった。
僕が欧州サッカーのことを認識しはじめた当時、ハムデン・パークは欧州最大だったからだ。全座席化された現在の収容力は5万人強だが、かつては立見席に観客をぎゅうぎゅうに詰め込んでおり、1937年のイングランド戦ではなんと14万9415人もの観客が入場した。
また、かつて「サッカー史上最も面白い試合」と言われていた伝説の一戦の舞台もハムデン・パークだった。
1960年5月18日に行なわれた欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)決勝。スペインのレアル・マドリードが西ドイツ(当時)のフランクフルトを7対3で破って5連覇を決めた試合だった(観客数は12万7621人)。
レアル・マドリードには、アルゼンチン生まれで世界最高の選手のひとりアルフレッド・ディ・ステファノや、元マジック・マジャール(ハンガリー代表)の一員で点取り屋のフェレンツ・プスカシュ、さらにスペイン代表MFのルイス・デル・ソルやFWパコ・ヘントなど錚々たる名手が並んでいた。
試合はリヒャルト・クレスのゴールでフランクフルトが先制したが、ディ・ステファノが3ゴール、プスカシュが4ゴールを決めてレアル・マドリードが逆転勝利した。
1990年代になって、僕もこの試合のフルマッチのビデオを購入して映像を見たが、ディ・ステファノはまさに万能。
【ジダンのボレーシュートを見た!】
そんなわけで僕は「ハムデン・パークに行ってみたい」とずっと思っていたのだが、なかなか機会が巡って来なかった。そして、ついに初めてハムデン・パークを訪れたのは2002年5月15日のことだった。
日韓共同開催のW杯開幕を前に欧州に遠征した日本代表の強化試合を取材し、そのほか各国代表の試合をチェックすると同時に、オランダで行なわれた小野伸二が出場するUEFAカップ決勝フェイエノールト対ドルトムント戦、そしてチャンピオンズリーグ決勝も観戦しようと思ったのだ。
憧れのハムデン・パークでのチャンピオンズリーグ決勝カードは、奇しくも42年前と同じレアル・マドリードと、ドイツのクラブ、レバークーゼンだった。
ところが、取材申請はUEFAによって却下されてしまった。しかし、それでも僕は粘った。申請が受理されていても、実際にはスタジアムにやって来ない記者がいるのだ。「ノーショウ」という。W杯やEURO(欧州選手権)では「ノーショウ」の入場券はウェイティングリストに基づいて再配分されることになっている。だが、UEFAのカップ戦にはそういうシステムがなかった。だから、受付で「その余った入場券を回してくれ」と30分近く交渉したのだ。
試合は8分にレアル・マドリードのラウル・ゴンサレスが先制。レバークーゼンもすぐにルシオが決めて同点とする。そして、同点で迎えた前半45分。ジネディーヌ・ジダンのボレーシュートが決まってレアル・マドリードが優勝を決めた。ジダンのボレーの映像は、おそらく多くの方がご覧になったことがあるだろう。
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