中谷潤人LAキャンプリポート(第1回)
5月2日、東京ドームでの井上尚弥戦が迫るボクシング世界3階級制覇王者・中谷潤人選手。その強さの源泉に迫る話題の書籍『超える 中谷潤人ドキュメント』を上梓したノンフィクション作家の林壮一氏が、中谷選手の直前キャンプに密着。
【「井上選手との試合は通過点であり、ひとつの区切り」】
午前9時過ぎとは思えない強い日差しが、リトルトーキョーのアスファルトを焦がす。気温は32度を超え、夏のようだ。2026年3月13日、決戦を控えた中谷潤人はこれまでの試合と同じように、ロスアンジェルス合宿を開始した。
5月2日に東京ドームで井上尚弥の持つWBA/WBC/IBF/WBO統一スーパーバンタム級タイトルに挑む中谷は、屈託のない笑みを浮かべて言った。
「(事前に行なった)4泊5日の沖縄キャンプでは、1日に20km走り込み、いい状態でロスに来ることができました。井上選手との試合が決まって最高にうれしいですし、ワクワクしています。これだけのビッグマッチが用意されるボクサーは多くない。その点に関して自分自身、誇りに思います。
僕のキャリアのなかで、間違いなく最も大きな試合です。この手で切り開いてきた自負もあります。まだまだ上を目指していますが、5月2日は通過点であり、ひとつの区切りという感じですね」
筆者の元にもアメリカの複数メディアから、「東京ドーム興行のプレス申請を手伝って欲しい」なる依頼が届いている。世界中が注目する大一番に向かう中谷だが、過度の緊張は見せず、平常心でLAキャンプ初日を迎えていた。
「何かひとつに特化して勝てる相手ではないということは、把握しています。すべてのレベルを上げなければいけない。勝負できるポイントをいくつか持っておいて、そこをどうチョイスするか、どんな流れに持っていくかが大事になってきます。井上選手は引き出しが多いので、攻守ともに多様性を持たないと。
そういう意味では、昨年12月27日のリヤドの試合後、いろいろと自分を見つめ直す機会を持てました。特に、真っ直ぐに下がり続けた点が相手にとってのアドバンテージになったと考えています。しっかりとリングを使うことを意識してやっていきます」
かねてから噂されていた"モンスター"井上尚弥への挑戦が正式に発表されたのは、3月6日のことだ。中谷は記者会見場で井上と握手を交わし、肩を並べて雛壇に座った。
モンスターは、前哨戦となった2025年12月27日の中谷のファイトについて「あの対戦相手に、あの内容というのはすごく評価できる。またひとつ、中谷潤人というボクサーを強くした試合だと思うので、気を引き締めて5月2日まで過ごしたい」と話した。
中谷はLAで、井上の発言について語った。
「試合に向かう井上選手の気持ちが滲み出ているように感じられました。
【15歳からのアメリカ生活を支えてくれた恩人に「いい報告を」】
中谷には、闘うことへのモチベーションをさらに上げる大きな出来事があった。現地時間2月28日、15歳だった中谷が単身で渡米した頃から面倒を見てくれたロドルフォ・エルナンデスが永眠したのだ。中谷のトレーナーであるルディ・エルナンデスの実父である。享年93。
1933年1月27日生まれのロドルフォは17歳の時、アメリカ合衆国陸軍への入隊を希望してメキシコ・グアダラハラから北へ向かい、国境を越えた。しかし、米国籍を持たない隣国の人間は軍に入れなかった。ロドルフォは3年近くネイティブアメリカン居留地で暮らした後、LAのサウスセントラルに引っ越し、靴職人として生計を立てる。やがてルディや、後にスーパーフェザー級で2度世界王座に就くジェナロを含む5人の子供が誕生した。
中谷はルディの生家にホームステイしながら、プロボクサーとして生き抜く技術とメンタルを養っていくが、言葉も通じない15歳を陰で支えた人こそロドルフォだった。
移民であるロドルフォもまた、英語を話せず、生涯スペイン語だけで生活した。
「言葉が通じなくてもダンスを見せて陽気に振る舞いながら、常に僕を気にかけてくれました。15の頃からずっとです。本当に感謝の気持ちでいっぱいですね。彼の存在があったからこそ、不自由なくボクシングに打ち込めました。"おじいちゃん"がいなければ、これまでの経験は、得られなかったと思います。僕をアメリカ社会に馴染ませてくれました。
5月の試合には、ルディが『グランパを連れてくるかも』と言っていたんですが......。こちらもそれを思い描いていました。亡くなってしまいましたが、いい報告をしたいです。
【若きホープたちとスパー】
井上尚弥戦に向けたLAキャンプ初日は、12ラウンドのマスボクシングをこなした。いつになく、ルディの指導が細かい。足の位置、パンチを出す際のアングル、ガードの高さと、長年コンビを組むコーチは何度も「ストップ」とタイマーを止めてリングに入り、身振り手振りで中谷にモンスター対策を施した。
第二の故郷で、大一番を見据えてスタートを切った日、中谷は語った。
「今回のキャンプでは、できることと、できないことが見えてくるでしょうから、可能なことをしっかり伸ばして武器にしていければ。ひとつひとつ確かめながら、やっていきます」
2日目は12ラウンド、連続シャドーボクシングのメニューをこなした。この日は気温が35度になり、夏の日差しがジムの窓から降り注いでいた。トレーニングを終えた中谷は、汗を拭いながら「井上選手の動きを想定しています。イメージして、どういう動きが当てはまっていくかを意識しながらやっています」と振り返り、溌剌(はつらつ)とした表情を見せた。
3日目、中谷のスパーリングパートナーに抜擢されたのは、20歳の新鋭だった。5戦5勝5KOのファイター。
馬力十分の20歳は下がることを知らず、休まずに手を出した。中谷はルディの指示通り、高いガードと足の運びを意識しながら、ディフェンス主体のスパーリングを12ラウンドこなした。相手の出方をうかがい、冷静にリングをコントロールする。20歳のホープに対して強打を振るうことはほとんどなく、タイミングを図ることに重きを置いていた。
「スパーが始まり、本格的にスタートしたなという思いです。これから疲労も溜まっていくでしょうが、そのなかで大事なのは、自分がどう動きたいか、ですね。しっかり体に染みつかせられるようにやっていきます。このキャンプが終わる頃には、考えなくても勝手に体が反応するレベルまで持っていくことがテーマになります」
キャンプ4日目はアマチュア時代に5度全米チャンプとなり、プロでの4戦目を控えた目下3戦全勝3KOの21歳がスパーリングパートナーを務めた。
この日も中谷は頭の位置、足の動きを課題としながら10ラウンドをこなした。前日同様、防御を重視したトレーニングだったが、6ラウンド目から動きがシャープになった。
「スピードに乗ったな、という感じです。こちらも手数を出していったので、リズムが生まれたかな。パンチも当たっていましたし、相手の動きもすべて理解できたので。その後は攻撃にバリエーションをつけたんです。
井上選手との試合は、これまでとは違う闘い方になります。僕は、新しいことをやるのが好きだし、楽しんでいます。だんだんとイメージしたものが出していけるようになってきているので、どれだけ自分に擦り込ませられるか、ですね」
孜孜不倦(ししふけん)。熱心に、弛まず努力を続ける――。
東京ドームでモンスターと向かい合うその日まで、中谷はこれまで通り、己のボクシングを追求していく。15歳から走り始めた思い出の地で、自分を超えるためにーー。
(次回につづく>>>)



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