世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第57回】ズラタン・イブラヒモヴィッチ(スウェーデン)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。
第57回はスウェーデン史上最高のFWズラタン・イブラヒモヴィッチを取り上げる。欧州各国のビッグクラブを渡り歩き、数々のチームを頂点に導いた優勝請負人は、たとえ周囲から嫌われようとも己を貫いた。自らのことを「王」と名乗っても、まったく違和感のない存在だった。
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2016年夏、ひとりの男がマンチェスター・ユナイテッドにやってきた。「俺は王として到来し、王として去る」
そう名言を残して5月にパリ・サンジェルマンを去ったあと、彼はイングランドの悩める名門クラブを新天地に選んだ。
ズラタン・イブラヒモヴィッチである。
当時、すでに35歳。ピークは過ぎていた。だが、独特の"ぎらつき"で他を圧倒し、プレミアリーグ1年目にして公式戦46試合で28ゴールをマーク。マンチェスター・ユナイテッドにリーグカップとヨーロッパリーグをもたらした。
あと10年、いや5年ほど早く移籍していれば...いやいや、「荒ぶる」イブラヒモヴィッチのことだ。
何しろ6年前、バルセロナでプレーしていた2009-10シーズンのチャンピオンズリーグ準決勝(インテル戦)で敗退後、後半早々に自身をベンチに下げたジョゼップ・グアルディオラ監督に対して「地獄に堕ちやがれ!」と罵倒した男である。
ミランに所属していた2010-11シーズンは、インテルのマルコ・マテラッツィにジャンボ鶴田を彷彿とさせるフライングニーを入れて、相手を病院送りにするほどだった。
「あの男には危険すぎるタックルを食らったからな。このチャンスを待っていた」(イブラヒモヴィッチ)
感情の抑えがきかず、あまりにも攻撃的すぎる性格によって、周囲からは「厄介者」のレッテルも貼られた。データサイト『transfermarkt』 によると、126枚のイエローカードと10回の一発レッドカードを記録している。
【モウリーニョも認めた才能】
ただし、彼が「優勝請負人」であることも否定できない事実だ。アヤックス→ユベントス→インテル→バルセロナ→ミラン→パリ・サンジェルマン→マンチェスター・ユナイテッドと、超一流クラブを渡り歩いた先々で、全チームにタイトルをもたらしている。
特にパリ・サンジェルマン所属時はリーグ・アン4連覇、リーグカップとフランス・スーパーカップはそれぞれ3連覇に貢献し、イブラヒモヴィッチ個人としても在籍4シーズンで3度のシーズンMVPに輝いている。さらにイタリアでもインテルで2回、ミランで1回、セリエA最優秀選手賞を獲得した。
公式戦通算837試合で496ゴール・205アシストというスタッツが示すように、イブラヒモヴィッチは万能型のストライカーだった。
195cmの長身を利した空中戦は多くの名DFを撃墜し、少年時代に訓練したテコンドーの蹴りから応用したアクロバティックなボレーは世界中のGKを震え上がらせた。しかもポストワークに長け、密着するマーカーを牽制し、時にひじで脅しをかけながら絶妙のタイミングで最高のパスをプレゼントする。
ボールコントロールにも優れ、中盤に降りてきてビルドアップをサポートしたり、サイドに流れてスペースを造ったり、ゲームを読む力も卓越していた。対戦相手にすると、対策を練ることが最も難しいタイプのFWといって差し支えない。
「2メートル近い長身選手は身体が固い者も少なくないが、ズラタンはプレーも考え方も柔軟性に富んでいる。勝負根性も並大抵ではなく、我々マンチェスター・ユナイテッドがタイトルを獲得できたのは、彼のメンタリティに負うところが大きい」
2016-17シーズンのヨーロッパリーグを制したあと、ジョゼ・モウリーニョ監督は負傷のために決勝を欠場したイブラヒモヴィッチを称えた。このコメントには、スウェーデンが生んだ世界的ストライカーの魅力が集約されている。
【語り継がれる名言の数々】
また、イブラヒモヴィッチが多くの大衆に支持されている理由のひとつに、数々の名言が挙げられるだろう。
冒頭の「俺は王として──」のほかにも、各国の政府のスピーチライターが唸るような名フレーズは少なくない。
「インテルと俺を批判し続けた貴様らメディアに、この勝利を捧げる」
「俺には素質がある。努力さえ怠らなければ超一流になれる」
「俺は乱暴者だが筋は通す」
「人間はもともとみんな違う。普通じゃなくたっていいじゃねえか」
「ライオンは己と人間を比べない」
「俺が出場しないワールドカップなど見る価値はない」
自己肯定感が強すぎる。大言壮語、不遜であり、他人との競争を差別的と考える現代社会では"黒塗り"にされかねない表現もある。
しかし、自らに設定したハードルが高く、その次元を乗り越えた者だけが許される上質のフレーズとも考えられなくはないか。
いわれなき中傷にあらがい、自分自身とクラブを守った。
周りに何を言われようが、自分を信じる強さと自信を持つことが人生の肝(きも)である。彼は多くの悩める者にメッセージを送っていたのかもしれない。だからこそ名言として語り継がれ、人々の胸に深く刻み込まれているのだ。
リオネル・メッシのようにテクニカルでもなければ、クリスティアーノ・ロナウドのように自己管理にも長けていない。聖人君子? そんなもの、知ったこっちゃない。ただ、「生身の人間」を熱く感じられるのは、間違いなくイブラヒモヴィッチだ。
近ごろ、優等生が増えてきた。バッドボーイと称されても、しょせんは対戦相手やサポーター、メディアに悪態をつく程度のチンピラにすぎない。
イブラヒモヴィッチは時に権力と、時に時代と戦ってきた。孤立無援だとしても、信念を曲げなかった。
【ズラタンが涙を流した日】
規則が大事であることは認める。だが、ひとつの考え方に縛られたり、押しつけられたりするのは真っ平御免だ。自分の主張が正しいと頑(かたく)なに信じ、別の道を封じるやり方はあまりに狭量である。
イブラヒモヴィッチの名言はフットボールだけではなく、世界を正しい方向に導けるような説得力にあふれている。
2023年6月4日、ミランでユニフォームを脱いだ彼は、らしくもなく慟哭した。尊敬と愛情が込められたスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ「サン・シーロ」の歓声に、とめどもなく涙が流れていく。
「引退する時が訪れたが、貴方たちにさよならは言えない。俺は生涯ミラニスタだ」
ズラタン・イブラヒモヴィッチ──そのコメントは常に素敵で、最後の最後までかっこよかった。

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