学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。
この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!
連載「部活やろうぜ!」
前編:【バスケットボール】田臥勇太(全2回)
日本バスケットボール界のレジェンド、田臥勇太。2004年に日本人初のNBAプレーヤーとなり、2008年からはBリーグの宇都宮ブレックスでプレーをし続け、チームの隆盛の過程に大きく関わってきた。その存在感は、45歳となったいまも色褪せることがない。
その原点と言えるのが、秋田の名門・能代工業高校(現・能代科学技術高校)で過ごした日々だ。全国大会58回の優勝を誇る同校の歴史のなかでも、田臥が在学した3年間は特別な意味を持つ。1年時から先発としてプレーし、インターハイ、国体、ウインターカップの主要大会をすべて制覇。全国大会無敗の「9冠」という前人未到の記録を打ち立てた。
その強さと人気は、バスケットボール界の枠を超えた社会現象とも言われた。だが本人にとって、その3年間はあくまで「部活動」の時間として記憶されている。
「とにかくバスケがより好きになれた3年間でした。ありがたいことに先輩、同級生、後輩に恵まれて勝つことができて、バスケってこんなに楽しいんだと思いながらプレーしていました」
能代工を卒業してから27年。
「いや、ありがたいことですよ。この歳になっても高校時代の部活について取材していただけるなんて」
そうした言葉の裏には、3年間を支えた確固たる指針があった。能代工が掲げるスローガン「必勝不敗」。その象徴とも言える強さは、日常の積み重ねの結晶だった。
【能代工を選んだ理由】
神奈川県横浜市で育った田臥にとって、能代工は以前から憧れの存在だった。中学時代、全国大会で結果を残すにつれ、各地の高校から声がかかるようになる。当時は教育系企業のテレビCMでNBAのスター選手、パトリック・ユーイング(元ニューヨーク・ニックスなど)と共演するなど、ちょっとした「時の人」ではあったが、能代工から声をかけられた時は、驚きを隠せなかったという。
「もともと憧れを抱いていたチームでした。中学校の大会で成績を上げていくごとに、最初は神奈川、次は関東、そして全国の高校から声をかけていただけるようになったんですが、まさか能代工から誘っていただけるとは思ってもみませんでした」
ちょうど、大道中学の主力として全国中学校大会で3位に入った直後のことだった。
「中学の顧問の先生が能代工の大ファンだったので、そのことも背中を押してくれました」
進路を決める決定的な出来事となったのは、中学3年の秋に参加した能代工での練習会だった。
「その練習会は入学後に知ることになるような厳しさの微塵もなく、気持ちよくプレーさせてもらえました。
そして帰り際、ある先輩の言葉が決断を後押しする。
「そのとき面倒を見てくれた畑山(陽一)さんが、帰り際に『工業さ、来い』とボソッと言ってくれて。試合に出ていた憧れの1年先輩がかけてくれた言葉だったので、それで完全に決意しました。なぜ、自分に言ってくれたのかはわからないのですが、いまでも鮮明に覚えています」
とはいえ横浜で育った田臥にとって、秋田県能代市での生活は大きな環境の変化になるのではないか。一見するとそう感じてしまう部分もあるが、田臥本人は、不安よりも楽しみのほうが大きかったという。
「僕も両親も横浜で育ったので、いわゆる故郷と呼べる田舎がなかったんです。だから田舎というものに憧れもありました。あと、自宅から強豪校に通うにしても、たとえば通学で1時間近くかかるのは嫌だなという気持ちもありました」
能代工では下宿先から学校までは坂道を上って徒歩5分。静かな街の環境は、バスケットボールに集中するには理想的だった。
「中学では全国優勝できなかったので、高校では日本一になりたいという気持ちが強かった。だから、逆に何もないことが自分にとっていい環境でした」
【下宿生活と仲間、そして「バスケ」の街】
能代工の部員の多くは下宿生活を送っていた。田臥が暮らしていた下宿では、全学年でおよそ15人ほどの部員が共同生活を送っていたという。
「自分がお世話になった下宿は6~8畳のひとり部屋でした。門限はありましたけど、下宿にいる間は自由で、誰かの部屋に集まって、四六時中一緒にいた感じです」
日本を代表する強豪高校の練習は当然ながら厳しかった。新入生にとって、特にボールを使用した練習前に行なう伝統のフットワーク練習は、体力を消耗させるものだった。
「基本的にはずっと走っている感じでした。入学してからしばらくは体力面で練習についていくのがやっとで、夏のインターハイまでは本当に大変でした」
練習の質は厳しさを極めたが、一方で練習時間自体は決して長くなかった。朝練は自主練習で、放課後は長くても3時間ほど。そのなかで集中して取り組むスタイルだった。
「『短時間集中』という感じでした。加藤(三彦)先生は、やるときはやる、休むときは休むというメリハリをすごく大事にしていました」
厳しい練習のあと、下宿に戻る時間が部員たちにとっての大切な時間だった。
「一番大きかったのは、常に仲間と一緒にいられたことです。練習でつらいときや怒られたりしたとき、それが僕じゃなくほかのメンバーであっても、下宿に戻ればみんなと一緒にいた。それで愚痴を言い合ったり、つらいこと、楽しいことも共有できたことが何よりの励みになっていました」
1年生の時は、先輩からの頼まれ事をこなすなど、コート外の役割も多かった。
当時は携帯電話がまだ普及しておらず、ポケベルが主流。「大切な人に『ポケベルを打ってきて』というのもありました」と振り返る。
「下宿前の電話ボックスまで足を運び、託されたメッセージを打っていましたね。だから、打つのは早くなりましたよ」
だが、何より能代は住み心地のいい街だった。田臥が入学した時点ですでに41回の主要全国大会制覇を果たした事実は、街中の人が能代工のバスケ部を応援し、部員を人間として育てる土壌によるところが大きかったと振り返る。
大会に勝ったあとにチームメートと定食屋に行けば、おかずをサービスしてもらった。一方で、信号無視などのルール違反があれば、すぐに学校へ連絡が入る。街全体でチームを見守り、育てていた。
「バスケの街」での暮らしと下宿での時間。そうした日常の積み重ねが、やがて全国無敗の「9冠」という前人未到の偉業へとつながっていく。
後編〉〉〉能代工業高校「必勝不敗」9冠を導き出した「細部への徹底」の日々
●Profile
田臥勇太(たぶせ・ゆうた)
1980年10月5日生まれ、神奈川県出身。



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