【部活やろうぜ!】田臥勇太(宇都宮ブレックス)が語る能代工業...の画像はこちら >>

連載「部活やろうぜ!」
後編:【バスケットボール】田臥勇太(全2回)

「バスケの街」能代で下宿生活を送りながら成長を遂げていった田臥勇太。能代工業では1年時から先発ガードとして活躍し、インターハイ、国体(現・国スポ)、ウインターカップの主要全国大会を次々と制覇した。

卒業までの3年間、それらの大会では無敗の「9冠」を達成したが、その偉業は下宿生活や街に支えられた日常の延長線上にある、日々の練習の積み重ねによって成し得たものだった。

前編〉〉〉『「工業さ、来い」と言われて』田臥勇太が語る能代工業高校への進学と下宿生活

【細部の徹底で築かれた常勝チームの礎】

 能代工といえば、スピード感あふれるトランジション(攻守の切り替え)、監督の加藤三彦先生の厳しさ、応援団のパワーなど、会場を支配する「王者力」を大会ごとに醸し出していた。その源は細部への徹底を追求する日常の練習にあった。

「集中力がすごかったです。レイアップ一本一本へのこだわりや、パスの精度、動き方の考え方など、一つひとつのこだわりと突き詰め方は他のチームとは違っていたと思います。そういう部分が試合で相手との差として出ていたと思います。どんな状況になっても、いざというときの集中力を発揮することができていました」

 能力、そして身長の高さでは他校のほうが上のこともある。それでも勝ち続けてきた理由は、地道なことをやり続ける伝統にあった。

「泥臭い部分や、やり続ける部分で能代工は勝ってきた歴史があります」

 そうした積み重ねは、部員全員に共有されていた。

 ベンチ入りできなかったメンバーによる応援もまた、相手を圧倒する武器にもなったが、彼らもコートにいる選手たち同様、緊張感を持って臨んでいた。

 試合中、加藤先生が指示を出すために手を挙げると、応援が一斉に止まる。一瞬で静まり返った会場に、加藤先生の指示が響いた。だが、わずかにサインを見落として声を出し続けてしまう部員が出ることもあった。

その時にはすぐに厳しい声が飛ぶ。その緊張感は、コートサイドの取材陣にも伝わるほどだった。

「あの応援もかっこいいですよね。先輩たちがやってきたことが伝統として受け継がれてきたものです。単に声を出しているわけではなく、常に試合に集中しながら、先生の動きも見ていなければいけない。応援も含めてチームとして戦っていたと思います。

 いまだにあの応援について、ナベ(ブレックスのチームメートの渡邉裕規)が真似したりするくらい。印象が強かったんでしょうね」

【今も生き続ける高校3年間の経験】

 3年時、田臥はキャプテンを務めた。ただ、能代工ではマネージャーがチーム全体をまとめる文化があり、田臥はコート上のことに集中できたという。

「僕の代は、中学時代は対戦相手でもあった前田(浩行)がマネージャーで、彼が全部まとめてくれていました。だからこそ、前田のためにも勝ちたいという気持ちは強かったですね」

 結果として達成した全国大会無敗の9冠。しかし、それは最初から目標としていたものではなかった。

「一つひとつの大会に勝つというマインドでやっていたので、結果として9冠になったという感覚でした。狙って成し遂げたわけではありません」

 外からは「王者」として見られ、大会で各地を訪れれば、多くの人々が能代工のメンバーを取り囲む。勝てば勝つほど、その注目度が増していったが、当事者たちの意識は常に「挑戦者」だった。

「僕らは常にチャレンジャーというマインドを大事にしていました。当時はSNSもなかったので、大会に行って初めて、多くの人から注目されているんだなと思う感じでしたね」

 3年間の部活動を振り返り、田臥は静かに言葉を続ける。

「プレー面では、ボールへの執着心やルーズボール、球際の泥臭さの重要性を学びました。それはいまでも一番大事にしていることです」

 そして何より残ったのは、多くの人々に支えてもらったことへの感謝と、仲間と過ごした時間だった。

「バスケをやるなかで、周りの人の支えや環境、応援がすごく大事なんだということを学びました。本当に充実した3年間でした」

 そのうえで、いま部活に打ち込む世代へ、こうメッセージを送る。

「仲間と目標に向かって、つらいときも楽しいときも共有しながら助け合っていける。それが部活のすばらしさでもあると思います。だから今、部活に打ち込んでいる方々には、結果も大事ですが、そこに向かう過程やプロセスを大事にしてほしいと思います」

 バスケットボールをより好きになり、人としての土台を築いた時間。

その経験は、いまもなお、田臥勇太の原点として生き続けている。

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