連載第94回 
サッカー観戦7700試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

 現場観戦7700試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。

 サッカー日本代表がイングランド代表と対戦したウェンブリーをはじめ、イングランドにはスタジアムの歴史があります。

現在は多くが改修や新設されていますが、今回は古いスタジアム時代のエピソードやイングランドの人たちの思いなどを、後藤氏が紹介します。

サッカー日本代表が戦った聖地・ウェンブリー イングランドはス...の画像はこちら >>

【サッカーの聖地】

 先日、イタリア代表がW杯欧州プレーオフ準決勝で北アイルランドと対戦した会場は、イタリア北部の都市・ベルガモにあるニューバランス・アリーナだった。収容力2万人強の小さなスタジアムだ。

 イタリア代表のジェンナーロ・ガットゥーゾ監督によれば「サンシーロ(ミラノ)のようなビッグクラブのホームとなっている大規模スタジアムでは、他クラブの選手に対するブーイングがあって、代表チームとしての一体感が生まれないから」だそうだ。

 フランスのスタッド・ド・フランスのような中立のスタジアムがある国では、代表戦はそうした会場で行なわれることが多い(日本の国立競技場=MUFGスタジアムもそうだ)。

 スコットランドではそれがハムデン・パークであり、イングランドではウェンブリーということになる。

 ウェンブリーは言わずと知れた「サッカーの聖地」。FA(イングランド・サッカー協会)の子会社が所有するスタジアムで、カップ戦の決勝や代表チームのホームスタジアムとして使用されている。

 イングランドではスタジアムは各クラブの所有なので、他国に増してクラブとの一体性が強い。ウェンブリー完成以前はカップ戦や代表戦は各クラブ所有のスタジアムで行なわれていたが、やはりこうした試合には中立のスタジアムが必要だったのだろう。

 旧ウェンブリーが完成したのは1923年。翌24年からウェンブリー公園で開催予定だった「大英帝国博覧会」のために建設された。

 完成直後のFAカップ決勝には収容力をはるかに上回る群衆が殺到して試合開催不可能と思われたが、白馬に乗った騎馬警官が群衆を整理して試合が可能になった。

これが「ホワイトホース・ファイナル」と呼ばれる伝説の試合だ(ボルトン・ワンダラーズが優勝)。入場者数は24万人とも30万人とも伝えられている。

 ウェンブリーは陸上競技などにも使える構造で、当初は博覧会終了後に解体される予定だったが、その後FAが取得して「サッカーの聖地」となった。ただ、ここで開催される試合は国際試合やカップ・ファイナルだけで、普段はドッグレースにも使われたので「世界で最も有名なドッグレース場」などと揶揄された。

 1948年のロンドン五輪ではメイン会場となり、そして1966年W杯決勝の舞台となり、イングランドが延長の末に西ドイツを破って初優勝を飾った。また、1985年にはあの有名なライヴエイドの会場になるなど、数多くのコンサートの舞台としても有名だ。

 ウェンブリーは20世紀の英国を代表する建築物のひとつだ。それに相応しい重厚な新古典主義様式のツインタワーでも知られていた。だが、時代が変わって21世紀に入るとすぐに閉鎖され、2007年には巨大なアーチをシンボルとする近代的な新スタジアムが建設された。

【旧ウェンブリーでの思い出】

 残念ながら僕はこのスタジアムで試合を観戦したことがあまりない。というのは、ご紹介したように開催される試合が少ないからだ。

 ボビー・ムーアやボビー・チャールトンのイングランド代表は1966年W杯で優勝したが、その後、イングランド代表はポール・ガスコインやアラン・シアラーなどを擁して1990年代に一瞬の輝きを放ったものの低迷が続いた。

 イングランドのフットボールというとクラブが中心だった。

 だから、クラブの試合を見に行く機会は多かったが、代表戦を見にウェンブリーに行くことはあまりなかったのだ。

 僕が初めてウェンブリーで試合を観戦したのは1996年の欧州選手権(EURO)の時だった。ドイツが、大躍進で世界を驚かせたチェコを決勝で破って、東西統一以降初めて国際タイトルを獲得した大会だ。

 イングランドの初戦、スイス戦もウェンブリーで行なわれたが、イングランドは終盤に追いつかれて1対1の引き分けに終わり、内容的にもショボい試合だった。

 試合が終わってから、僕は地下鉄に乗ってホテルに向かった。周囲のサポーターからも不満の声が聞こえてきた。若者たちが話していた。

「あんな試合していたら、日本にも負けちゃうよね」

 というのは、ちょうど1年前の1995年6月に日本代表がEUROの準備大会「アンブロカップ」に招待されて、ウェンブリーでイングランドと初めて対戦。CKから井原正巳が同点ゴールを決め、最後はPKを取られて敗れたものの1対2と大善戦していたからだ。

 ウェンブリーというと、僕はいつもこの時の若者たちの会話を思い出してしまう。

 旧ウェンブリーは、それほど試合が見やすいスタジアムではなかった。

 元は陸上競技兼用でドッグレース場でもあったのでゴール裏はピッチから遠かったし、また、1960年代に取り付けられた大屋根は柱で支える方式だったので、鉄柱が視界を邪魔することもあった。

 ただ、それでもやはり新古典主義様式のツインタワーなどが「聖地」らしい雰囲気を醸しだしていた。

【イングランドの伝統のスタジアム】

 クラブのスタジアムでも、イングランドのフットボールグラウンドはどこもそうした伝統を感じさせるものばかりだった。

 古い世代の日本人ファンにとって、イングランドのフットボールというと伝説の番組「三菱ダイヤモンドサッカー」(東京12チャンネル=現・テレビ東京)を思い出すことだろう。毎週、フットボールリーグ(FL)の好カードが録画で放映された。

 緑の絨毯のような見事な芝生とか、立錐の余地なく詰め込まれた立見席の風景など、当時の日本では想像もできないような光景ばかりだった。

 1999年にイングランドを訪れた時に、マンチェスター・シティの試合を観戦したことがある。まだ、外国資本が流入する前で、シティが2部リーグにいた頃だ。会場も現在のエティハド・スタジアムではなく、古いメイン・ロードだった。

 スタンド最上段にある記者席に座ると、屋根や両サイドの壁に遮られて、まるで額縁の中にピッチの映像だけが見えているような光景だった。記者席のことを英語で「プレス・ボックス」というが、なぜ「ボックス」なのかがよく理解できた。

サッカー日本代表が戦った聖地・ウェンブリー イングランドはスタジアムに歴史あり
1999年に取材したマンチェスター・シティのメイン・ロードの記者席入場券、「PRESS/RADIO BOX」とある(画像は後藤氏提供)
 小さなメイン・ロードのスタンドは熱心なサポーターで膨れ上がっていた。当時はマンチェスター・ユナイテッドの黄金時代。オールド・トラフォードには全世界からファンが集まったが、メイン・ロードのスタンドは古くからの熱狂的な地元民で埋め尽くされていた。

 それはまさに1960年代から70年代にかけて「ダイヤモンドサッカー」の画面で見ていた通りの光景だった。

【古いスタジアムを大切にする人々】

 イングランドも、20世紀後半のスタジアムでの事故をきっかけに次々とスタジアムが改装され、また多くの新スタジアムが建設され、今では近代的なスタジアムがほとんどとなったが、幸い、僕はまだ現役だった古いスタジアムを体験することができた。

 エバートンは2025年から新スタジアムを使用しているが、かつての本拠地グディソン・パークも歴史を感じさせる建造物だった。階段や床がぜんぶ木製だったのに驚いたし、ピッチの北西の隅に聳(そび)える聖ルーク教会を見て、「ああ、これぞグディソン・パークだ」と感激した記憶もある(教会があったため、この部分には最後までスタンドが建設できなかった)。

 あるいは、フラムの本拠地クレーヴン・コテージの記者席に行くと、椅子やテーブルなどを支える金具類がおそらく100年前に造られたままの鋳鉄(ちゅうてつ)製だったので、イングランドのフットボールの伝統を垣間見たような気がした。

 そして、イングランドの人たちがそうした古いスタジアムのことをとても大切にしている点にも驚かされる。旧スタジアムが取り壊された跡地には、そこにフットボールグラウンドが存在した記憶が大切に残されている(たとえば、ゴールがあった位置にプレートがはめ込まれていたり、道路名などにスタジアム時代の名残が残っていたり......)。

 また、スタジアムの歴史をテーマとした本も専門的な研究書から写真集まで数多く出版されている。なかでも『英国のフットボールグラウンド』などサイモン・イングリスのいくつかの著作は、僕のサッカー観戦人生をとても豊かなものにしてくれた。日本でも、古い記憶を大事にしたいものである。

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