連載:NEXT STAGE~トップアスリートのセカンドキャリア
小林大悟インタビュー(後編)

 2021年、アメリカUSLチャンピオンシップ(USLC)のバーミンガム・レギオンFC(アラバマ州)でのプレーを最後に、小林大悟はスパイクを脱いだ。あらためて引退を宣言したわけではない。

新たなオファーがあれば現役を続けていた可能性もあったという。それでも、現役生活に大きな後悔はないと振り返る。

「当初は2022年も現役を続けるつもりでした。その話がなくなって、引退は急な流れではありました。ただ、やめるってなったときに気持ちはスッキリしていましたね。そもそも2013年に29歳でアメリカに渡った時、大きな目標があったかというとそうでもなく、アメ車が好きだったり、アメリカかぶれみたいなところがあっての移籍だったというか。

 行ってみたら向こうの生活が気に入り、結局9年もいることになりましたが、最後は引退の仕方がわからないみたいな(苦笑)。いま思えば、引退して現場に残るとか明確なビジョンがあるなら別ですが、違った道を志すなら、どこかで区切りをつけてもよかったのかなと思ったりもしています」

 それにしても小林のキャリアは、ほかに例のない独特な道だった。

 東京ヴェルディでプロデビューし、大宮アルディージャを経て、2009年1月にノルウェーのスターベクへ移籍。日本人選手として初めてノルウェーリーグでプレーした。

 その後、ギリシャのイラクリスを経て、2011年に清水エスパルスに加入しJリーグ復帰を果たした。だが、2013年に再び海を渡り、MLS(メジャーリーグサッカー)のバンクーバー・ホワイトキャップスを皮切りに、以降9シーズンをカナダ、アメリカで過ごした。

元サッカー日本代表・小林大悟が振り返る異色のキャリア ノルウ...の画像はこちら >>
 キャリアは、アメリカに渡る前と後で大きく分けられるかもしれない。

「10代の頃から世代別代表などを経験させてもらい、2003年にワールドユース(現U-20ワールドカップ)にも出て、当時は日本代表に選ばれることやヨーロッパの強豪国でプレーすることを目標にしていました。

 オシムさんが監督だった2006年に代表に呼んでもらい、1試合ですが、試合にも使ってもらいました。ただ、その後は声がかからなくなってしまい、『一度は海外に出ないとダメだ』と、もがきながら行ったのがノルウェーでした。マイナス20度のノルウェーに着いたときは、えらいところに来てしまったと思いました(笑)。それでも優勝争いや予備戦とはいえチャンピオンズリーグも経験できましたし、年間を通してのパフォーマンスは悪くなかった(リーグ29試合出場8ゴール)。キャリアを思い返しても、挑戦しながら高い緊張感のなかでプレーしていた時期でしたね」

【2度目の海外挑戦はMLS】

 ノルウェーでの活躍もあって、2010年1月にはドイツ1部のケルンへの移籍話が浮上。練習に参加し、契約もまとまりかけていたが、突然のケルンの監督交代で移籍はまぼろしとなった。

「月曜日にチームに合流し、水曜日の紅白戦では点を取ったりしていい感じでした。ただ、木曜日に監督が代わり、補強のプランが変わったと。土曜日には正式にサインする予定だったんです......。僕自身、移籍するつもり満々で、すでにドイツにいた長谷部(誠)やその近郊のベルギーにいた川島(永嗣)らには『移籍が決まったらご飯でも行こう』って連絡していましたからね。

 それでも、ヨーロッパに残りたいと代理人に相談し、決まったのがイラクリス。

移籍できたのはよかったですが、ギリシャが経済破綻の真っ只中で(笑)。いま振り返ると、あそこが自分のキャリアの分岐点だった気がします」

 Jリーグに復帰したあと、2013年に再び海外移籍。今度はMLSだった。

「当時は腰のケガもあったり、エスパルスの監督との関係もうまくいってなくて、自分のキャリアをどうしようかなと思っていた時期でした。最初の海外挑戦は2年で終わった。ただ、30歳手前でもう一度ヨーロッパというのは難しい。そこでMLSという選択になりました。もっと楽な道もあったとは思いますが、そっちを選ぶと自分がダメになってしまう気がしたんです。

 とはいえ、年齢を重ねるにつれ、サッカーとの向き合い方は少しずつ変化していきました。『30歳すぎでアメリカにいるのに、もう一度日本代表を目指す』というのは少し違うじゃないですか。そういう意味で、アメリカではサッカー漬けの日々というよりは、休日には釣りや自然を楽しんだりしながらの選手生活だった気がします」

 小林にとって唯一の代表キャップとなったのが2006年8月9日のトリニダード・トバゴ戦。イビチャ・オシム監督の初陣でもあったその一戦は、どんな記憶として残っているのだろうか。

小林は56分、2点をリードした状況でピッチに入っている。

【もっとオシムさんとやってみたかった】

「よく覚えています。ピッチに入ってすぐ、確かペナルティエリアの外からシュートを打って、左に外れました。そしたら、試合後にオシムさんに『あの選択肢は正しかったと思うか?』と聞かれて。右に田中達也がいたので、そっちに出す選択もあったんじゃないかということです。

 サッカーは選択の繰り返しで、結局、何が正解だったかは結果でしかわかりません。ただ、オシムさんはそういう細かいところまでよく見ていたということです。正直、現役時代に細かい指示を出されても納得できる監督は少なかったのですが、オシムさんは数少ないひとり。だから、もっと一緒にやってみたかったという思いはいまもあります。

 オシムさん以外にもうひとり、印象的な指導者を挙げるなら2004年にヴェルディで天皇杯を取ったときのオズワルド・アルディレス監督。アルディレスさんとも、試合のあと丸々1試合をビデオで見ながら気になったシーンについて『この選択は? あそこはどうして?』って議論をずっとしていました。まあ、元アルゼンチン代表でワールドカップ優勝も経験しているアルディレスさんには、何を言われても言い返せなかったですけどね(苦笑)」

 こうした監督たちとの対話が、技術と判断にこだわる小林のスタイルを形づくっていったのかもしれない。

 代表1キャップでも、「元日本代表」という肩書はついて回る。そのことに関しては切なく、少し照れくさいと笑った。

「元日本代表と紹介されると、『いや、そんなじゃないんですけど』って心のなかで思っています。と言いながら、肩書としてはちゃっかり利用させてもらってますけど(笑)」

 日本代表としての出場は1試合に終わった。ただ、やってきたことには誇りを持っている。特に足もとのテクニックやボールコントロールでは代表に入っても負けない自負があった。それは小林がサッカー小僧と呼ばれた所以でもあった。

「そこがサッカーのいちばんの面白いところというか、こだわりを持ってやってきた部分でしたからね。

 引退してからは講演会などで自分の経験について話すこともあり、かつてテクニシャンだったと紹介されると、悪い気はしません。ただ最近のサッカーで、テクニシャンってどう思われているかを冷静に考えると、微妙な気持ちにもなります。テクニシャンというと、ピッチの中央でテクニックを使い、攻撃をコントロールするイメージがあると思います。一方で、どこか自由に、好き勝手にプレーしている印象もあるというか。

 華麗なスーパープレーが決まればいいですが、うまくいかないと、ただのわがままみたいな(笑)。評価は紙一重で、いまではどちらかといえばマイナスなイメージさえあり、素直に喜べなくなってしまった自分がいます。それでもサッカーは、やっぱり想像の枠を超えてこそ面白い気がしますし、そこには少し歯痒さを感じたりもしています」

 かつて"テクニシャン"と呼ばれた小林は穏やかにそう語った。言葉の奥には、いまもサッカーの本質を探しているその思いがにじんでいた。

小林大悟
1983年、静岡県生まれ。清水商業高校卒業後、東京ヴェルディ入団。U-20日本代表に選ばれ、2003年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)に出場。2006年にはイビチャ・オシムによりフル代表に選出されトリニダード・トバゴ戦に出場している。大宮アルディージャを経て2009年にノルウェーのスターベク(ノルウェー)へ移籍。その後、ギリシャのイラクリスを経て、2011年に清水エスパルスに加入。2013年、MLS(メジャーリーグサッカー)のバンクーバー・ホワイトキャップス入団を皮切りに9シーズンをカナダ、アメリカで過ごした。2021年、バーミンガム・レギオンFCを最後に現役引退。

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