伊藤氏本人の会見も予定されていたが中止
2017年9月、伊藤氏は「2015年4月に元TBS局員の山口敬之氏から性被害を受けた」として、民事訴訟を提起。2022年7月に最高裁が山口氏の上告を退け、「同意のない性行為があった」と認定した東京高裁の判決が確定。『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』(Black Box Diaries)は上記の性被害事件について、伊藤氏自らが調査する姿を記録・監督したドキュメンタリー映画。第97回・米アカデミー賞の「長編ドキュメンタリー映画賞」にノミネートされており、20日時点で57の国や地域で上映されているという。
20日に東京・千代田区の日本外国特派員協会で会見を開いたのは、上記の民事訴訟で伊藤氏の代理人をつとめた西廣陽子弁護氏と角田由紀子弁護士、その2名から本件について依頼を受けている佃克彦弁護士、および日英バイリンガルのライター・リサーチャーである蓮実里菜氏。
西廣弁護士らによる会見の後には、伊藤氏本人も本件について会見を開く予定だった。しかし体調不良によりドクターストップがかかったとして、伊藤氏の会見は中止。
西廣弁護士らの会見中、伊藤氏の声明が文書にて発表され、報道陣に共有された。
また、日本国内向けに編集・修正した『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』の上映会も予定されていたが、こちらも中止となった。
佃弁護士によると、そもそも会見は12日を予定していたが、伊藤氏側から日本外国特派員協会に「自分たちも発言・釈明の機会がほしい」「映画を見てから判断してほしい」という旨の要望があったため、延期したという。
取材源の秘匿や説明責任、許諾手続きの問題を指摘
佃弁護士は、『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』に関して伊藤氏には以下の問題があると指摘。(1) ジャーナリストとして当然に守るべき取材源の秘匿、および公益通報をしてくれた人の保護が、まったく守られていない。
(2) 映画について人権にかかわる問題を指摘された際に、ドキュメンタリー作品の監督として果たすべき説明責任や対処する責任を果たせていない。
(3) ドキュメンタリー作品を制作するにあたって当然に守られるべき、関係者からの許諾を得るなどの手続きがおろそかにされており、それによって関係者に苦痛が生じている。
これらの問題点について、2023年12月以降、佃弁護士らは伊藤氏に対して何度も説明してきたという。
「しかし、私たちが働きかけても、伊藤氏は映画に対して特段の対応をしないまま、海外で上映が続けられた」(佃弁護士)
「日本と英語圏とで説明が異なる」
先述した通り『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』はアカデミー賞にノミネートされている他、世界各国の映画祭で上映され、多くの映画賞を受賞している。そのため、国内からも海外からも「なぜ日本で上映されないのか」と声が上がっている。また、2月14日には配給権を持っている米国の映画会社「MTVドキュメンタリー・フィルムズ」が、本作が「日本で上映禁止になっている」とXに投稿した。これについて、佃弁護士は「上映禁止になっている事実はない」と指摘。
#BlackBoxDiaries has played in over 50 countries across the world, receiving critical acclaim and #AcademyAward + #EEBAFTA nominations. However, Shiori Itō's extraordinary film has been banned from Japan, where it's needed most. Sign the petition today to bring it home.… pic.twitter.com/gB70FURo6V蓮実氏は本作に関する日本と英語圏の報道を調査・比較した結果、「異なるナラティブ(物語)が存在している」ことに気が付いたという。
MTV Documentary Films (@mtvdocs) February 13, 2025
蓮実氏によると、2024年10月の英国ガーディアン誌の報道で、本作が日本で上映されていない点について伊藤氏は「日本には性暴力を議論する文化がないこと」や「政治的にセンシティブな作品であること」が原因であるかのように回答している。
また、同時期には米国の映画メディア上のインタビューで、日本の文化や先例の有無を気にする国民性が原因であるかのように回答したという。さらに、米国でドキュメンタリー新人監督賞を受賞した後のインタビューでは、防犯カメラの使用にはプライバシー侵害の問題があると認めつつ、「ホテル側に金銭を支払って映像を加工したから問題はないはずである」という旨の回答を行ったという。
一方、佃弁護士や西廣弁護士らが昨年10月に千代田区の司法記者クラブで行った会見は、今年2月12日に共同通信による英語記事が発信されるまで、英語圏ではほとんど取り上げられてこなかった。
そして、10月の会見で指摘された問題は関係者の同意や許諾に関する点が主であり、プライバシーの問題は全体の一部にすぎない、と蓮実氏は指摘。
さらに、昨年末から、日本の報道では伊藤氏は許諾の問題について言及するようになったという。
「グローバルに流通している作品に関する監督の説明が、(日本語か英語かという)言語によって矛盾しているのは、問題視されるべきではないか」(蓮実氏)
また、佃弁護士によると、アカデミー賞にノミネートされる条件には「作品の権利処理ができていること」も含まれているという。
「本作には権利処理に未解決の部分があることを、伊藤氏は海外の関係者や配給会社に正しく説明しているのだろうか」(佃弁護士)
「信頼関係が築けていると思っていた」が…
西廣弁護士によると、2018年4月、伊藤氏はホテルの防犯カメラ映像について「裁判手続き以外の場では一切使用しない」と書かれた誓約書にサインした。また、2021年12月、西廣弁護士は「事件を映画にする場合には事前に見せてほしい」と要望し、伊藤氏から了承を得たという。「2021年の時点で民事訴訟を受任してから6年が経っており、伊藤氏とは信頼関係が築けていると思っていた」(西廣弁護士)
しかし2023年12月、西廣弁護士はインターネット上で『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』が米サンダンス映画祭に出品されるとの情報を見た時点で、初めて、同作が完成していることを知った。同月19日に伊藤氏に会って映画の一部を見せてもらったが、この時、ホテルの防犯カメラ映像が使用されていることを初めて知ったという。
「弁護士は信用があるからこそ、仕事ができている。私が信用を失い、今後の被害者救済ができなくなるのを避けるため、ホテルの承諾を得るよう伊藤氏に求めて、彼女も了承した」(西廣弁護士)
その後、映画の配給会社であり弁護士でもある「スターサンズ」の社長名義で「防犯カメラ映像を使用しない方向で対策を検討中です」との旨のファックスが西廣弁護士に届く。だが、2024年7月11日に東大キャンパスで上映された時にも、防犯カメラ映像は使われたままだった。
さらに、作中では伊藤氏と西廣弁護士が電話で話している映像が使用されていた。数年前から通話内容が無断で録音・録画されていたことを、西廣弁護士はこの日初めて知った。
司法記者クラブでの会見後には伊藤氏から「今後も真摯に協議していく所存です」との言葉があったが、その後は「底知れぬ悪意を感じます」など非難の言葉を受けたという。
「こんな将来が来ることなど予想すらせず、私は8年半もの時間とエネルギーを、彼女を守るために必死に費やしてきました。
伊藤氏が誹謗中傷に負けず、真実を勝ち取ったことは事実です。その行動が多くの人を勇気づけてきたことは、間違いなく真実です。
しかし、そのことを映画にしたければ、相手の同意を取り付けることを精力的にすべきです。約束を守り、誰かを傷つけない方法も取れたはずです」(西廣弁護士)
角田弁護士によると、昨年の記者会見後、西廣弁護士らに対し伊藤氏側から「弁護士として守秘義務違反に当たるので懲戒申し立てもあり得る」と脅迫するような文書が届いているという。
「懲戒申し立てをされることは、弁護士にとっては極めて不名誉であり、大きな心身の苦痛を引き起こすものです」(角田弁護士)
「修正版を日本国内で上映しても問題は消えない」
アカデミー賞にノミネートされた後というタイミングで会見を開くという行為について、報道陣からは「上映を中止させる効果が発生するのではないか」との疑問が呈された。佃弁護士は「『なぜ日本で上映されないのか』との声が強まったから会見を開いたのであり、ノミネートはその声を強める効果をもたらしたがあくまで間接的な要因である」と弁明。20日時点ではアカデミー賞の投票は完了していることも指摘し、『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』が受賞するか否かは関心の対象外であると述べた。
また、日本国内向けに編集・修正した版が作成されている点について「すでにオリジナル版を世界中に上映してきたのだから、修正版を日本国内で上映したところで問題は消えない」と佃弁護士は指摘。
西廣弁護士は「法的・倫理的な問題のある映画が上映されること自体が問題だと思っている」と語る。また、作品が上映されることで、今後、性加害事件の現場となったホテルが映像の提出を拒み、性被害者の救済が困難になる可能性について危惧を示す。
そして、報道陣からは「議論のためにもまずは作品を上映する必要があるのではないか」との声も上がった。これに対し佃弁護士は「弁護士として、人権侵害や約束違反をどうやって止めるか、被害をどうやって最小化するかを(議論よりも)優先したい」と応答した。
伊藤氏による声明
伊藤氏の声明では、作中に西廣氏との電話の音声が入っていたことについて「ご本人への確認が抜け落ちたまま使用し、傷つけてしまったこと、心からお詫び申し上げます」と記載されている。「また、映像を使うことへの承諾が抜け落ちてしまった方々に、心よりお詫びします。最新バージョンでは、個人が特定できないようにすべて対処します。
防犯カメラ映像については、ホテルからの承諾が得られなかったため、外装・内装やタクシーの形などを(加工により)変えて使用しているという。
「しかし加害者の山口氏と私の動きは一切変えることはできませんでした。それは事実を捻じ曲げる行為だからです。
これに対してはさまざまな批判があって当然だと思います。それでも私は、公益性を重視し、この映画で使用することを決めました」(伊藤氏)
声明の最後には「私が願うのは、みなさんにこの映画を見ていただき、議論してほしいということ」とあった。