その運用は制度趣旨に則って適正になされているだろうか。たとえば、日本人と結婚した外国人や、日本で生まれ育った子どもが、ある日突然、入管に収容されたり、家族と引き離されて強制送還されたりする現状がある。
外国人に関する事件を数多く手がけてきた指宿(いぶすき)昭一弁護士は、わが国では「在留管理」だけを優先した結果、「外国人の人権」が顧みられていない現状があると指摘する。本記事では指宿弁護士が、日本で生まれ育ったタイ人の少年の事例を紹介しながら、「在留特別許可」制度のあり方の問題点を指摘する。
※本記事は指宿昭一弁護士の著書「使い捨て外国人—人権なき移民国家、日本」(朝陽会)より一部抜粋し、再構成したものです。(連載第4回/全5回)
※【第3回】「日本人なら信用できる」はずが…“2人のスリランカ人”が135万円だまし取られ“ブラック労働”の果て、入国管理局から受けた「扱い」とは【弁護士解説】
「日本で生まれた外国人」の在留資格
日本で生まれた外国人の在留資格はどうなるのだろうか?まず、出生の時に父または母が日本国民であれば日本国籍を取得できるが、父も母も外国人であれば、日本国籍は取得できない(血統主義)。国によっては、その国で生まれたことによって、国籍を取得する国もあるが(生地主義)、日本は違う。
外国人の場合、生まれたばかりの子どもには在留資格がない。そして、日本に在留し続けようとするならば、30日以内に在留資格取得申請を行わなければならない。この申請を行わずに、出生から60日を超えれば子どもは不法残留になり、退去強制が明示されることになる。
在留資格を有する外国人の親から出生した子どもの場合は、在留資格取得を申請すれば在留資格が付与されることが多い。例えば、「永住者」の親から出生した子どもの場合には「永住者の配偶者等」の在留資格が、「技術・人文知識・国際業務」等の就労系の在留資格を有する親の子どもの場合には「家族滞在」の在留資格が与えられる。
問題は、在留資格がない外国人の親から出生した子どもの場合である。
この場合は、申請しても在留資格は与えられないし、通常、申請自体が行われない。
子どもは親を選んで生まれてくるわけではないのだから、子どもには何も責任はない。また、出生から30日以内に本人が申請できるわけはなく、申請しなかったことについても本人には責任はない。
しかし、入管は、このような子どもが成長してから在留資格の申請をしても、原則として認めないのである。
もっとも入管も、こういう子どもとこれを養育する外国人親を救済するために「在留特別許可」を認めることはある。
しかし、その場合でも、親に法律違反などの消極要素があれば、子どもにも在留特別許可は認められないし、親に消極要素がない場合でも、在留特別許可が必ず認められるわけでもない。
日本生まれのタイ人中学生に国外退去命令
具体例を挙げよう。ウォン・ウティナン君は、2000年1月21日、山梨県でタイ人の両親の間の子として生まれた。
彼の両親は結婚しておらず、2~3年後に別れている。母には在留資格がなく、ウティナン君の在留資格取得の手続きも行わなかった。そのためウティナン君は、ずっと不法滞在という状態で、日本で生活してきた。
ウティナン君は、ずっと学校にも行かずに生活してきたが、2013年4月から中学校2年生に編入し、以降は学校に通うようになった。
これに対し東京入管は、2014年8月1日、ウティナン君と母に対して在留特別許可を付与しないという裁決を通知し(「裁決通知」)、国外に退去させるという命令書を発付するという処分(「退去強制令書発布処分」)をした。
このため2015年1月30日、ウティナン君と母は、東京地裁に、裁決通知と退去強制令書発布処分の取消しを求める訴訟を提起した。
2016年6月30日、東京地裁民事51部(岩井伸晃裁判長)は、ウティナン君と母の請求を棄却した。判決は、「在留資格の取得許可を受けなかったことについて、原告子(ウティナン君)自身に帰責事由がなかったとしても、そのことは上記の判断においてしんしゃくされ得る事情の一つにとどまり、入管法上、そのことをもって上記の判断に関する裁量権の行使が制約を受けるものということはできない」としている。
また、ウティナン君がタイに帰国した場合、「その適応の過程において一定の困難を伴う可能性があることは否定し難い」ことや、「2年次から編入した中学校の生活には相応に順応していた」ことなどを認めながらも、本件裁決は「法務大臣等に与えられた裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用してされたものとまでは認めがたい」と判断している。
判決が母と子を引き裂いた
ただ、この判決には、奇妙な「ただし書き」がつけられていた。それは、「仮に、今後、原告母が本国に送還された後も原告母に代わって原告子の監護養育を担う監護者となり得る者が現れてそのような支援の態勢が築かれ、原告子自身も本国に帰国する母と離れても日本での生活を続けることを希望するなどの状況の変化が生じた場合は、そのような状況の変化を踏まえ、再審情願の審査等を通じて、原告子に対する在留特別許可の許否につき改めて再検討が行われる余地があり得るものと考えられるところである」というものである。この判決を受けて、母はタイへの帰国を決め、2016年7月14日、ウティナン君だけが東京高裁に控訴をした。ウティナン君の監護養育等の態勢が築かれ、同年9月15日に母はタイへ帰国した。判決が母と子を引き裂いたのである。
同年12月6日の東京高裁判決は、東京地裁の判断を支持し、ウティナン君の控訴を棄却した。
ウティナン君は、東京高裁判決を不服として上告したが、後に上告を取り下げ、判決は確定した。その後、入管に対して在留特別許可付与を求める再審情願申立ての手続きを行い、2017年12月14日、在留特別許可を得た。
ウティナン君は、一審の最終意見陳述で次のように述べている。
「僕は日本で生まれて育ったので、日本のことしか知りません。どうして僕が日本にいられないのでしょうか?
何か悪いことをしたのなら、教えてほしいと思います。僕が生まれたことは悪いことだったのでしょうか? どうか僕のことを認めてほしいと思います」
これは、彼だけの問題ではない。日本には、ほかにも同じような事情で在留資格のない多くの高校生や大学生がいる。