
それに対し、機構側は被告に対して貸金を返還するよう求める訴訟を札幌簡易裁判所に起こした。
その後、札幌地方裁判所に持ち込まれた裁判は、思わぬ展開を迎えることになる。(小林英介)
「父に裏切られた思いだ」、背景にある家庭の事情
裁判資料によると、被告は2019年前後に機構からの支払い催促通知が届くまで、自身が奨学金を借りていたことを知らなかったという。被告は裁判の中で陳述し「大学時代はアルバイトでお金をためてそれを生活費に充てており、仕送りは必要なかった。それでも親は仕送りしてくれたが、なるべく手を付けないようにしていた」と回顧。その後、元地方議員だった被告の父が証券投資に没頭し、金がなくなり生活費を祖母から借りるなどしていたという。
そして被告が大学生だった2000年ごろ、被告の母の体にがんが見つかった。被告はそのころから母のがんの治療や手術費用のためにお金をためようと考え始めていた。
一方、投資にはまった父は健康保険料を滞納。被告は、自らがためていた金を「(滞納していた)健康保険料や母のがんの治療費に使ってほしい」と申し出た。その後、母親は奨学金の返済を見届けられないまま他界してしまった。
被告は陳述の中で、不快感をあらわにした。
「父が私の知らないところで奨学金を借りており、私が借金を背負わされることになっている。
札幌簡裁「被告が署名・捺印せずとも、それは被告の意思」
札幌簡裁は24年4月、判決を言い渡した。裁判所は「(奨学金を)返還するという誓約書を本人に無断で作成したのならば、それは私文書偽造罪(刑法159条)にあたる。仮に親が主導して奨学金貸与手続きを行ったとしても、母子関係ならば被告に事情を話して(奨学金を借りる)承諾を得るものと考えられる。母があえて私文書偽造を行うとは考えにくい」と被告に対して否定的な見方を示した。
そのうえで「(被告側は)母親のがんの治療で精神的・経済的にも苦しい時期だったこともあり、母は苦渋の決断で被告名義の奨学金を借りてしまったというが、母はなぜ子に対し、何の相談もしなかったのだろうか」と疑問を呈した。
さらに「貸与契約に被告が全く関与していなかったとは考えられず、仮に被告自身が記載・押印していなくても、被告の承諾のもと委任を受けた者が代筆・捺印して(書類などを)作ったと考えることができる。そのため、被告の意思と推認するのが妥当」とし、被告に対し機構に約99万円などを支払うよう命じた。
しかし、被告側は「奨学金の契約は関知していない。おそらく母が(奨学金の)返還誓約書を書いており、承諾していない」と判決を不服として札幌地裁に控訴した。
被告の父「家計が厳しかった」
第二審となった札幌地裁には被告の父親が出廷、陳述した。「娘に迷惑をかけて申し訳ない」
証人尋問の中で父親は、奨学金を被告の母の治療費や手術代として支払うために借りたと釈明。「娘に対しては奨学金を借りたことを全く知らせていない。奨学金は私たち夫婦だけで申し込んだ」と明かした。
奨学金を借りた理由については「家計が厳しかった。
裁判長は父に語りかけた。「あなたは人をだましてお金を借りた。わかりますか」。父は「良心の呵責(かしゃく)はある」と答えるしかなかった。
札幌地方裁判所・札幌高等裁判所(PIXSTAR / PIXTA)
札幌地裁「詐欺罪を構成しかねない」
25年3月7日、札幌地裁は札幌簡裁の判決を取り消し、機構側の請求を取り消す判決を言い渡した。裁判所は「奨学金の返済誓約書の署名や捺印に被告本人は関与しておらず、機構との契約は認められない。(被告の父)本人が証人として出廷し(被告が契約していないと)証言している」と判断。
裁判は地元紙の北海道新聞でも報じられており、同紙は「全国でも異例な判決」と裁判所の判断を取り上げている。
この結果に対し、本稿記者の取材に応じた機構の担当者は、「現在、判決内容をふまえ、今後の対応について検討中」とのみ回答したが、上告期限の3月21日までに、機構側は上告を断念したと明らかにしている。
機構によると、23年度に貸与型奨学金を利用した人数は96万人で、総額8329億円を貸与。全体的な貸与金額や人数は13年度を境に減少を続けているという。
その一方、北海道の奨学生の所在地別新規奨学金採用者数は23年度は1万6847人、前年度の1万7298人、21年度の1万7185人とここ数年では1万7000人前後の水準で推移している。
小林 英介
1996年北海道滝川市生まれ、札幌市在住。ライター・記者。北海道を中心として、社会問題や企業・団体等の不祥事、交通問題、ビジネスなどについて取材。酒と阪神タイガースをこよなく愛している。