
滝山病院での暴行事件は2023年に発覚し、計5人の看護師や准看護師が逮捕または書類送検されている。さらに、「患者をほぼ裸の状態にさせる」「他の患者から見える状態でおむつを交換する」「患者の顔に熱いお茶を浴びせる」などの虐待が横行していた事態も、第三者委員会による調査で発覚している。
また、2月23日には、岐阜県海津市の精神科病院「養南病院」で2023年10月に男性看護師が女性患者を押し倒し首をつかむ暴行を加えていたことが判明した。
なぜ、精神科病院では虐待事件が多発するのか。また、虐待を予防・対策するための法律や制度は、有効に機能しているだろうか。
精神保健福祉士としての実務経験を有し、滝山病院で患者側の代理人を務めるなど精神科病院に関する事件を複数担当してきた、相原啓介弁護士に話を聞いた。
関連記事:精神科病院で「虚偽の死亡診断書」作成か? 元院長ら2名書類送検「院内での犯罪」を立証する難しさ浮き彫りに
72件の虐待事例も「氷山の一角」
2022年12月に「精神保健福祉法」が改正され、2024年4月から全面的に施行されている。改正により精神科病院には虐待防止の措置が義務づけられ「病院内で業務従事者による障害者虐待を発見した場合は、誰もが都道府県に通報しなければならない」とされるようになった。
この改正以前にも「障害者虐待防止法」に基づき、精神科病院を含む病院には虐待防止措置に取り組むことが努力義務として課せられていた。しかし実際には入院患者に対する職員らの虐待事案が後を絶たない実態があった、と相原弁護士は語る。
「厚生労働省が全国の自治体を対象に初めて実施した調査では、精神科の医療機関で患者への虐待が疑われた事例が5年間(2015~2019年度)で72件も把握されています。
しかし、行政に把握できるのは、客観的な証拠が残っているケースや誰が見ても虐待であることが明白なケース、または軽微であるために自主的に報告しても病院にとって支障が少ないケースが多いでしょう」(相原弁護士)
前述の調査では、病院側から自主的な通報があったケースは49%(35件)にとどまった。残りは、患者本人の通報や匿名の通報、行政の立ち入りによって発覚したものだ。
「実際には、72件は『氷山の一角』に過ぎないと考えられます」(相原弁護士)
精神科病院は「閉鎖性」が強い
上記の調査結果は、精神科病院内で虐待が発生しても病院が外部に報告せずに隠ぺいする問題を浮き彫りにした。また、当時の障害者虐待防止法では福祉施設の職員や雇用主による虐待に関しては自治体への通報義務を定めていた一方で、病院など医療機関で行われる虐待は通報義務の対象外であったという法制度上の欠陥が、以前から指摘されていた。
医療機関における虐待の問題は精神科病院に限られない。
結果的には、障害者虐待防止法ではなく精神保健福祉法が改正され、精神科病院のみを対象とした通報義務が定められた。
立法の経緯に関して、相原弁護士は「おそらく政治的な理由も関係している」と示唆しつつ、精神科病院の「閉鎖性の強さ」が背景にあると言う。
「多くの精神科病院では、一般の病院のように面会が日常的に行われるなどの自然な形で外部の目が入ることがありません。
また、医師と看護師を中心としたコネクションの内部には、外部に不祥事を漏らすことを忌避する傾向が強くあります。
さらには強制入院制度を持つなど精神科独特の『患者の人権は制限できて当たり前』という社会風土も加わって、人目につかないところで激しい虐待に至るケースが、一般の病院と比べても非常に多くなっているのです。
このため『精神科病院については努力義務では実効性が薄い』と判断され、精神科病院のみを対象として虐待通報義務が定められた、と考えられます」(相原弁護士)
滝山病院の事件について会見を開いた相原弁護士(2月19日都内/弁護士JPニュース編集部)
法令順守の意思が希薄
前述の養南病院の事件では、理事長が「通報義務が頭から抜け落ちていた」と発言している。「統計等は見当たりませんので私の肌感覚となりますが、法改正以後も、虐待の状況は全く変わっていないと感じています」と相原弁護士は語る。
「通常、法改正された直後だけは、どの病院にも周知されて一時的に意識が高まるものです。それでも養南病院で事件が起こったことは象徴的です。
元々、精神科病院では法令順守の意思が希薄になりがちです。養南病院のケースは『たまたま発覚した』というだけであり、虐待通報が義務化されて以降も、全国で同じような問題が発生しているのが実情かと思います」(相原弁護士)
「通報制度」が機能していない
精神保健福祉法の改正により、常設の虐待通報窓口が各都道府県に開設された。ただし、各都道府県には精神科病院を監督する部署が存在しており、制度上は以前からも通報が可能だった。しかし、報道の対象となるような極端に悲惨なことでも起こらない限り、通報制度は一切機能してこなかったという。
「個人的には、虐待通報が何らかの形で功を奏したと感じたことは、今までで一度もありません」(相原弁護士)
また、虐待が疑われる場合であっても、原則として7~10日前にあらかじめ病院に知らせた上でしか行政は調査に入れない。この運用も、通報制度が機能しない一因となっている。
「病院ぐるみで虐待を行っているケース、また事件の発覚を防ぎたいと病院が判断した場合などには、調査がまともに機能する余地がありません。
法律は『建て前』が多く、控えめに言っても、虐待防止や被害者救済のために実効性を持たせることが軽視されています」(相原弁護士)
行政には人材やノウハウが欠如
虐待関連の法律を運用する各都道府県には、専門的な人材が足りておらず、運用のためのノウハウも存在しない。「『たまたま担当になった職員が、個人的な正義感から熱心に取り組んだ』などのケースでない限り、虐待が通報されたとしても、それをもとに事態が改善されることが期待できません。
人材やノウハウとは、法律が施行された途端に天から降ってくるというものではありません。法改正後も、行政の現場が機能することは、当面期待できないと考えます。
さらに、東京都を見る限り、精神科病院での虐待事件に取り組むモチベーションが行政にはとても希薄です。長期的に考えても、事態の改善は、おそらく難しいと思います」(相原弁護士)
社会全体の差別・偏見が虐待を生み出す
そもそも、なぜ精神科病院では虐待が多発するのか。前述した「病院の閉鎖性」や、他の診療科と異なり強制入院制度を持つ精神科特有の「強制性」に加えて、社会的な意識も虐待の背景に存在する、と相原弁護士は指摘する。
「『障がい者の中でも精神障がい者は特別で、社会に害悪を与える存在だから、手荒なことをするのはむしろ病院職員や家族を守るために必要なことだ』という、社会全体の差別や偏見が病院内での対応に影響しています」(相原弁護士)
1983年、「報徳会宇都宮病院」(栃木)で、看護師らの暴行によって患者2名が死亡した。その後、事件以前から虐待行為や強制労働が多数行われていたことが判明。通称「宇都宮病院事件」は国内外で大きな注目を浴び、精神保険法(現・精神保健福祉法)を成立させるきっかけとなった。
だが、宇都宮病院事件以前の、「長期強制収容政策」を国策としていた時代に建てられた精神科病院が、いまだに一定数残ってる。これらの病院では、運用そのものが「患者のため」ではなく「社会防衛のため」の意識で行われていることが虐待を生み出す原因になっている、と相原弁護士は言及する。
法改正だけでは事態が改善しない
これまで述べてきたように、法改正を経ても、精神科病院での虐待は起こり続けている。相原弁護士が指摘するのは「法律はあっても、誰も守ろうとしない」という問題だ。「法律を監督する側の行政は、都道府県レベルですら法知識が貧弱であり、モチベーションも低い状況です。
また、草の根の社会運動は、法律を作ったり行政を動かしたりすること自体が目的化しています。法律の施行・改正や行政によって状況が改善されたのか、個々の被害者は救われたのか、といった点については関心を持たれていません。
法律は『作ったら、作りっぱなし』になっています。社会全体としては、それぞれの立場で責任を問われないように、法律を形式的に守っているかのような外見を整えるために実益のない書類を整える事務仕事だけが膨大に増えていくという状況にあるのです」(相原弁護士)
したがって、法律をどのように改正するかという点だけでなく、運用の実効性や具体的にどのような形で機能させるかなど、改正後に実際に起こる状況を見据えて考えることが大切であるという。

都内の病院の事件について会見を開いた相原弁護士(2024年12月19日都内/弁護士JPニュース編集部)
「抜き打ち検査」や「強制入院の廃止」が必要
上記の点をふまえながら、相原弁護士は、直近の具体的な課題を挙げる。まずは「精神科病院に外部の目を入れる」という点。他の診療科と同じく、病院の外にいる人々の目が日常的に入るようにすることが重要であるという。具体的には、患者のスマートフォンの使用を原則として自由化することが、外部とつながりを持たせるきっかけになる。
また、前述したように、現在の法律では虐待が通報されても調査は事前に通告されてから行われるため、隠ぺいが横行している状況だ。
現在でも「定期病状報告」制度は存在するが、実際にはほぼ機能していない。調査制度を原則として「抜き打ち」に改めること、かつ調査後の行政処分を厳格化することで事後的な抑制を強めることが必要だという。
加えて、患者本人が望んでいなくても家族や市町村長などの同意があれば強制入院を可能とする「医療保護入院」の廃止も不可欠であると、相原弁護士は指摘した。
「滝山病院事件では、誰にとってもわかりやすい悲惨な虐待の数々が行われていたことは明らかです。
しかし、滝山病院だけが『突然変異』で現れた訳でありません。その手前には、非常に問題のある運営をしている精神科病院が多数あります。
わかりやすい大事件だけ取り上げて対策しようとしても、一過性のもので終わってしまいます。
深刻な事件が発生する手前の段階で『これはおかしい』と言えて、患者さんの支援を一人ずつきちんと行えることが必要です」(相原弁護士)
昨年にも患者が隔離され人権侵害を受けた事件が…
宇都宮病院事件から40年が経過しても、精神科病院では虐待の問題が起こり続けている。さらに「当の宇都宮病院ですら現在も存続しているばかりでなく、当時の首謀者で実刑も受けた院長が復権するような、異常な状況が是認されています」と相原弁護士は語る。
昨年12月12日、東京都内の精神科病院に7年近く入院状態にある男性が、病院に対する仮処分の申し立てを東京地裁に行った。
関連記事:「精神科病院だけの問題ではない」医師が “患者のSOS”を封殺? 元福祉士の弁護士が世に訴える「隔離状態での人権侵害」のリスクとは
男性は昨年4月に症状が好転した後には退院を希望したが、帰宅する家がなく、また病院も退院を認めないなどの事情から、やむなく入院を続けている。
相原弁護士は退院後の生活へ向けた調査を申請し、昨年11月に調査が行われる予定だった。
上記のケースのように、患者の権利を尊重しない「長期強制収容政策」時代の発想に基づき運用されている病院が、いまだに存在する。
「たとえ目に見える暴力や暴言などの虐待がない場合でも、患者さんの症状を好転させて退院させることを目指すのではなく『厄介者を一生収容する施設』として成り立っているような病院には、きちんとメスを入れる必要があります」(相原弁護士)