子のいる夫婦が離婚する場合には、その子の監護に関する事項を定めなければならないが、すんなり決まるとは限らず、協議がこじれることも多い。どうしても協議が整わなければ、場合によっては裁判所が親権を決定しなければならない。

いずれにしても、最も大切にされるべきなのは「子の利益」である。子は親の所有物ではない。親の意向を踏まえつつも、子の利益が最大限尊重される環境を整えることが必要となる。
その過程で重要な役割を果たすのが、家裁調査官である。父・母・子それぞれの信頼を得て密にコミュニケーションをとり、その本音を引き出し、時には意思疎通をサポートし、裁判官に状況をタイムリーかつ的確に報告し、最適な解決へと導く土台を築く。地味だが、高い専門性と豊かな人間性が要求される高度な仕事である。
2026年からの「離婚後共同親権制度」の導入を控え、今後、さらにその職務が重要性を増していくとみられる。家裁調査官はどのような役割を果たしているのか。今日も現場で奮闘する現役の家裁調査官・高島聡子氏(京都家庭裁判所・次席家裁調査官)が、関係悪化した夫婦による子の養育をめぐる紛争で「1冊のノート」によって“ある変化”が見られたケースを紹介する。(第1回/連載全5回)
※本記事は家裁調査官・高島聡子氏の著書「家裁調査官、こころの森を歩く」(日本評論社)より一部抜粋・再編集したものです。なお、記事中の具体的な事実関係はモデルとなった実際の事件とは異なるものに設定しています。

離婚するか否か、子の養育をどうするか…いずれも調整つかず

一組の若い夫婦の話から始めよう。
妻は離婚したい。
2歳の子を連れて実家に帰った。
夫は離婚はいやだし、子と離れるのはもっといやだ。だいたい、妻は遊び好きで、女子会だライブだと出かけ、夜泣きする子を夫が夜通し抱いていたのも一度や二度ではない。
当然、妻は子を自分で育てる気でいたが、夫が納得するわけがなく、妻の両親もまだ現役で、妻が期待したほど育児に援助も得られず、しばらく綱引きをした結果、夫婦双方の実家で1週間ずつ、交代で子を育てることになった。
妻が協議離婚をあきらめ、夫婦関係調整(離婚)調停を申し立てた時、律儀に1週間交代の監護だけは続いていた。しかし、やりとりのたびに、子の世話をめぐって争いが絶えないという。
夫から「いかに妻がいい加減な母親か」を立証する資料として提出されたLINEのやりとりのプリントアウトは、同時に、夫のよく言えば几帳面さ、逆に言えば神経質さを際立たせるものでもあった。イラスト混じりの吹き出しが並ぶ文書は、一見かわいらしいようで、お互いへの攻撃性と毒に満ちている。
「お尻かぶれてんだけど? 医者行ってないの?」
「ママ友がこんなの問題ないって」
「そんだけ? 無責任な母親! それで親権とか呆れるわ」
「そっちこそ、こないだのたんこぶ何? 自分のこと棚に上げてマジむかつく。だから離婚したいんだってば」
「はぁ? ちゃんと手当しましたー。そっちよりよほどまともに世話してるし」
反応が遅いと「おーい」「おーい」「スルーかよ」と、また口調はきつくなり、双方から眉を吊り上げ、歯をむき出した怒りの表情のネコやクマのスタンプが連打されている。
やりとりを読む限り、一度始まった言い合いはすぐさまヒートアップしており、ただちにレスポンスが返ってくる即時性が、結果的に紛争性とお互いへのいらだちをより高めているようにも思えた。

父母の紛争に子が巻き込まれる懸念

平成25(2013)年の家事事件手続法の施行以来、当事者双方の同席が可能な事案では、調停の前後に、当事者双方を立ち会わせ、手続説明を行うほか、進行方針や合意に至った点を確認する取り組みを行う庁が増えた。
本件でも、低年齢の子の監護が問題になっているということで、調査官である私が調停に立ち会っていたが、毎回「離婚については合意できない。双方、親権だけは譲れない。1週間交代の監護はこれからも続ける」という内容から一歩も進むことはなく、夫婦の間を行き来しながら紛争に巻き込まれている子の状態が懸念された。
夫婦とも「こっちでは、子は元気に機嫌よく過ごしてます」と言うのが救いである。
裁判官からは、せめてどちらかに生活の本拠を定め、週末もう一方が預かる形で調整できないのかという提案もあったが、特に夫が「公平な監護日数」という条件から一歩も引かない。
1週間を2週間にしてみた、と言われたこともあった。私が「どうでした? 何か変わった様子は…」と尋ねたのは、もちろん子の様子を聞いたつもりだったのだが、夫は「やっぱり2週間も子どもがいないとさみしくて、1週間に戻しました」と頭をかいた。
そうじゃなくて、と言いかけた私の先を制し、調停委員がピシリと言った。
「あなたのことじゃありません! 子どもさんに何か変わった様子がなかったかを聞いてるんですよ」
夫は一瞬びっくりし、目を白黒させて一所懸命に記憶を探っているようだったが、子どもの変化で思い出せることはなかったらしい。「いや、特に……」とうつむいた。

「子どものことだけ書く」…調停委員提案の「1冊のノート」がもたらした効果

何度目かの調停終了時の確認の際、LINEのプリントアウトに見入っていた調停委員が、ふと思いついたように「あなたたち、LINEとかじゃなくて、交換日記やらんかね」と言い出した。
「こんなに子どもの話でケンカになるのに、1週間交代を続けたいなら、連絡することをノートに書いて、子どもと一緒にやりとりしたらよかろう」一瞬、キョトンとした夫婦だったが、私も慌てて言葉を添える。
「ほら、受け渡しの時に、子どもさんの体調や食事のこととか、連絡する内容があるでしょう。
それをノートに書いておいて、子どもさんと一緒に渡したらどうかな?
で、相手を責める内容は書かない。離婚とか、親権とか、調停で話し合うべきことはそのノートには書かない、というルールで」
「LINEのほうが早くないですか?」といぶかしげな夫婦に、「まあ、一回やってみて」と話を切り上げたのは、内心、これが打開策になるかも、という読みもあったからである。
1か月後、次の調停で、妻が照れたような表情でノートを差し出した。1ページ目には、夫の几帳面な字で「子どものことだけ書く 相手をせめない リコンしてくれと言わない」とあり、その後、妻の丸い字が続く。ノートの内容は、最初こそLINEの続きのように、相手に対する批判も混じるが、3、4週目あたりから目に見えて穏やかになっていた。
その次には、夫が書いた「トイレ成功!」の文章に、妻が「やったー!」と書き足したノートが提出された。
子が幼稚園への入園を控えていたこともあり、その後の調停は離婚に加え、子の入園先の話にも費やされた。妻に子の教育は任せられない、と最初は自分の実家に近い園へ勝手に入園させるつもりでいた夫だが、妻の実家からも通え、保育園並みに延長保育のある幼稚園を探してきた。
数か月後。妻は「いずれは離婚したいです。小学校の学区は違うから、どっちが育てるか、ちゃんと話をつけないといけないけど、それはもう少し落ち着いて、2人で話し合って考えます」と、調停の申立てを取り下げた。

交換日記で形成された「子のために協力する姿勢」

昨今、子は夫婦2人の間の子なのだから、離婚後も父母平等に交代で監護に当たるべき、と口にする当事者が増えてきた。
確かに、離婚や別居により子と離別する側の親のつらさは計り知れない。実際に「週3日以上の面会交流」などという約束を取り交わして離婚する夫婦を目にすることもある。
しかし、子の生活時間を父母半々にして面倒を見ようというやり方は、父母双方が「子どものために」十分な協力態勢を取れない限り非常に難しい、というのが事件を通じての率直な印象である。
子が頻繁に行き来すると、それだけ相手の監護のアラが目につく機会も増える。
それがただちに、紛争における攻撃材料になることや、子の前で親が「まったくママはいい加減だから」「だからパパは信用できないのよ」とうんざり顔になることは、単なる別居以上に、子にとっては心身ともに大きな負担となると思う。
交換日記は、表面的な条件にこだわっていた当事者の目を子の姿に向けさせることにもなり、「子のために協力する姿勢」を形成するきっかけになったようである。
調停が終わり、調停委員に「あの交換日記はヒットでしたね。よく思いつかれましたねえ」と声をかけると、調停委員は「いやいや、90歳になる私の母が、老人ホームのショートステイを利用してまして。毎回、ノートで細かく連絡事項をもらうんですわ。その応用、応用」とゆったりと笑ってみせた。


高島 聡子
京都家庭裁判所次席家裁調査官。1969年生まれ。
大阪大学法学部法学科卒業。名古屋家裁、福岡家裁小倉支部、大阪家裁、東京家裁、神戸家裁伊丹支部、広島家裁、神戸家裁姫路支部などの勤務を経て2025年から現職。現在は少年事件を担当。訳書に『だいじょうぶ! 親の離婚』(共訳、日本評論社、2015年)がある。(役職は2025年4月現在)


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