厚労省「ODするよりSD(相談)しよう」はなぜ“炎上”したのか 「市販薬の過剰摂取」に手を伸ばす若者たちに本当に必要な“支援”とは?
厚生労働省は3月、市販薬の過量服薬(オーバードーズ、OD)の問題を啓発しようと「ODするよりSDしよう」というキャッチフレーズを使った動画を政府広報のウェブサイトで公開した。SDは「相談」の意味だ。

動画はJRの車内ビジョン広告でも流されていたが、この「ODするよりSDしよう」という言葉が、当事者や支援者らから「実態とかけ離れたメッセージ」「うまいこと言ったつもりなのか?」と“炎上”。動画が削除される事態となった。
このキャッチフレーズや動画の何が問題だったのか。そして今、ODをしている人に本当に必要な支援は何か。
『身近な薬物のはなし』(岩波書店)などの著書を持ち、薬物依存に詳しい精神科医の松本俊彦氏に話を聞いた。(渋井哲也)

「ODするよりSDしよう」はなぜ炎上したのか

「ODするよりSDしよう」というキャッチフレーズの広報動画を見てどう思いましたか。

松本氏:動画では「ODは心と体を傷つける行為です。やめましょう」とあり、これを見た当事者たちからは「否定された気がした」という声が上がっていました。
これは、以前から私が指摘してきた、薬物乱用防止でよく使用されている「ダメ。ゼッタイ。」というキャッチフレーズが当事者を排除してしまうことと同じ構造だと感じました。何も変わっていない、と。
加えて、当事者支援を行っている側にも「当事者を否定・排除してはいけない」という意識が浸透してきていることが、炎上の背景にあったのではないかと思います。

なぜ当事者は「(ODは)やめましょう」「ダメ。
ゼッタイ。」という言葉に「否定された」と感じてしまうのでしょうか。

松本氏:動画を作った人たちは、市販薬のODを繰り返している当事者の実態を知らなかったのではないでしょうか。
当事者たちのなかには、発達障害を抱えていたり、虐待やいじめなどを受けていたりする若者が多く見られます。ODをする以前から「しんどい」と感じている人が多く、生き延びるためにODをしているような状態の人もいます。
ODをやめたらその人が抱える問題が解決するというほど、簡単なことではありませんし、それどころか、やめたらかえってリストカットをぶり返す人や、「死にたい」「消えたい」という気持ちが強くなる人もいるんです。
それらの人が死んでしまうより、ODの方がマシという見方もできます。私たち臨床現場の人間は、当事者に「ODをやめなさい」と言ってから臨床を始めることはありません。そんなことを言ってしまったら、もう病院に来なくなってしまうことが分かっていますから。

「ODしちゃいました」と言える場所が必要

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OD当事者に必要なのは「雑談」と語る松本俊彦氏(撮影:渋井哲也)

薬物依存というと、かつては覚せい剤や違法薬物の印象が強かったと思います。いつ頃から市販薬ODの患者が増えてきましたか。

松本氏:2018年ぐらいから市販薬でODする若者が増えてきました。覚せい剤や違法薬物と比べて依存性が低いと思われるかもしれませんが、彼らを治療する大変さは、覚せい剤の依存症者のほうが楽なのではないかと感じるほどです。
これまで残念ながら命を絶ってしまった患者さんもいます。

ただ、病院との関係が途切れた人や、無理にODをやめた人が亡くなっているというのが私の印象です。先ほどの「やめたらかえって…」にもつながりますが、ご家族から「頑張って(ODを)やめたのに」といった話を聞くこともあり、医師としては複雑です。

病院以外で支援・相談が受けられるところは少ないのでしょうか。

松本氏:はい。政府広報の動画でも「ODするよりSDしよう」と呼び掛けているにもかかわらず、SDする先、相談先が具体的に示されていませんでした。また、たとえ相談先があったとしても、あのキャッチフレーズでは当事者が相談するのは容易ではありません。

それはどういうことですか。

松本氏:政府広報は「ODするより」と言っていましたが、「ODしててもSDできるよ」にすべきだったと思います。そもそも当事者はODがやめられません。ODは違法な行為ではなく、まだカミングアウトがしやすいものです。だからこそ、当事者は「ODしちゃいました」と言える場所が必要なのです。
また、相談したけど「まだODしているの?」と否定され、当事者が傷つくといったケースもあります。
トラウマを抱える人にとっては、相談は危険な行為にもなり得ます。
大前提に、相談に行くということは、当事者にとって嫌な話をしなければいけないということでもありますから。
じゃあ、どうしたらいいのか。私は「相談」よりも、当事者たちには安全安心な場所での「雑談」が必要だと考えています。つまり、「ODしててもSDできる」ような仕組みを作り、そこでは、雑談(ZD)もできるという状態が理想でしょう。

相談よりも「雑談」が若者を救う?

Twitter(現X)で「死にたい」とつぶやいた若者9人が、その投稿を通じて知り合った男に殺害された「座間事件」(2017年)をきっかけに、厚生労働省はSNSを利用した相談事業を始めています。しかし、小中高生の自死は当時より増加しています。相談の場は増えましたが、結果にはつながりませんでした。

松本氏:そうですね。精神科医も精神科クリニックも増え、学校現場でもスクールカウンセラーが導入されてかなりの時間がたっています。スクールソーシャルワーカーやスクールロイヤーといった専門職もいます。「相談していいよ」という体制は用意してきた。しかし、それで子どもたちの逸脱行動が減ったのかというと、むしろその反対です。

若者たちに真に必要なのは「専門家」なのか。そこから改めて問い直す必要があると思います。
もちろん、複層的な支援や治療に専門家の力は必要です。ただ、ODをしてしまいそうなとき、当事者に必要なのは、公的な相談機関よりも日頃から心配して、声をかけてくれる、一般の善意を持った大人たちの存在ではないでしょうか。
たとえば、掃除や給食の時間に先生とちょっと無駄話をする。そこで救われている子どもがいるかもしれない。「相談よりも雑談」と私がいうのは、そういうことです。
一方で、学校の先生の間でも精神疾患による休職者が増えています。また、社会全体を見ても精神疾患の外来患者の数は増加の傾向にあり、社会から「余裕」がなくなってきているように感じています。
こうした大人たちの余裕のなさが、敏感な若者たちの心も苦しめているのではないか。そうであるなら、大人たちにも「雑談」が必要なのかもしれません。
■渋井哲也
栃木県生まれ。
長野日報の記者を経て、フリーに。主な取材分野は、子ども・若者の生きづらさ。依存症、少年事件、教育問題など。


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