家庭裁判所で行われる「調停」や「調査」の姿が、大きく変わりつつある。
従来、裁判所は「アナログ」な官庁だった。
事件記録はすべて紙で管理されてきたし、家事調停も当事者本人または代理人弁護士の出頭が必須で、中でも離婚の成立には原則として本人が裁判所に足を運ぶ必要があった(今年3月から、ウェブ調停での離婚成立が可能となった)。子どもがいる場合、当事者の双方が出頭しないことには話にならず、解決が難しくなることもしばしばだった。
しかし、令和3(2021)年度以降、全国の家裁で「ウェブ会議システムを用いた家事調停」、通称「ウェブ調停」が導入され始めており、令和6(2024)年度中にはすべての本庁支部でウェブ調停が可能になっている。その背景には「新型コロナウイルス禍」の影響もある。
裁判所の「ウェブ化」は、現場にどのような変化をもたらしたのか。現役の家裁調査官・高島聡子氏(京都家庭裁判所・次席家裁調査官)が自身の実務経験をもとに語る。(第2回/全6回)
※本記事は家裁調査官・高島聡子氏の著書「家裁調査官、こころの森を歩く」(日本評論社)より一部抜粋・再編集したものです。なお、記事中の具体的な事実関係はモデルとなった実際の事件とは異なるものに設定しています。
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大きく様変わりした令和の家裁

裁判所では平成25(2013)年以降、電話による調停が一部導入されていたが、声だけのやりとりでは限界があった。これに対し、ウェブ調停では、裁判所外の場所から当事者と調停委員が互いの顔を見て対話ができることになり、調停の運用は大きく変わることになる。
現在はまだ代理人が選任されている事件での導入が中心だが、調査官の調査においても順次ウェブ調査が導入されている(対象には一部限りがある)。
導入を控えた調停委員の研修では、年配者の多い調停委員がウェブシステムを使いこなせるか、オンラインでの対話になじめるかと一抹の不安があったが、「コロナで大変だった時に、遠くにいる孫とZoomで話をしてねえ」と目を細めながら手慣れた様子でシステムを操る委員もいて、ウェブ調停は予想以上にスムーズに開始された。
制度が始まると、暴力の危険がある事案において裁判所で鉢合わせの心配をしなくてよいとか、移動時間が不要になるなど、当事者にとってのメリットは大きく、裁判所から目と鼻の先に事務所がある代理人弁護士からもウェブ調停の希望が出されたりする。

一方で、「こんな大事なことは、どうしても実際に会って調停委員に聞いてもらいたい」と相変わらず遠方からやってくる当事者もいる。
オンラインを介した意思疎通のあり方が私たちの生活の中にすっかり定着していたことは、明らかにコロナ禍によってもたらされた劇的な変化の一つであって、あの息苦しかった日々は無駄ではなかったのだろうかと思ったりもする。

超アナログ「筆文字の封書」の意外な威力

話は変わるが、調査官が受ける調査命令の一つに「出頭勧告」がある。調停に出てこない当事者に対して、書記官が送る通常の期日通知書と異なり、期日間に調査官が個別調査の呼出状や照会書を送り、調停への出頭を働きかける、というものだ。
調停の期日通知書を受け取っていて来ないのだから、何度手紙を送っても同じだろうと思われるかもしれないが、意外に反応がある。
不出頭を続ける相手方の多くは、調停があることを知っているが、何か感情的な理由で出頭を拒んでいる。「申立人のペースで離婚話が進むのが許せない」とか、「勝手なことばかり主張する申立人に対して婚姻費用や養育費を支払わされるのが癪(しゃく)だ」とか。
出頭勧告の書面(照会書を兼ねていることが多い)では、「調停に来る気はありますか?」「この申立てについて、あなたはどんな気持ちですか?」と問いつつ、このまま不出頭を続けた場合にはどのような展開が予想されるか、という情報を提供し、「ついては期日間に個別にお話をお聞きしたいので、この日に裁判所に来てください」と結ぶ。
最終的に調停に応じるかどうかは当事者本人の選択であるが、その判断のために必要な情報をわかりやすく提供するのも出頭勧告における調査官の大事な役割だ。
もちろん、この書面すらも黙殺されることもあるが、強い筆跡で、申立人に対する憤りや怒りをぶつけた照会書が返送されてきて、それが突破口になることも多い。
ただ、調査官が当事者に送る手紙は、プライバシー保護のため、基本的には家庭裁判所という組織名を書かず、裁判所の住所と、調査官の個人名だけが書かれた茶封筒に入れて送る。
察しのいい人なら、家裁からの書面だとわかるかもしれないが、そうでない場合、呼出しに気づかないという人もいる。
「これでは封筒を開けてももらえない」と言って、筆ペンを取り出して封筒にでかでかと筆文字で宛名を書き、極太のマジックで「重要」と朱書きした若手がいた。
できあがった封書はまるで決闘の果たし状か借金の取立書かといった雰囲気で、周囲は笑ったが、果たしてその当事者は調査官に連絡を取ってきた。

育児放棄の疑い? 出頭しない母親に会いに行く

ずいぶん昔のことだが、出頭勧告で当事者の家まで出かけていったことがある。母親と小学校低学年の子ども2人が生活している家だった。
離婚した父親から、母のネグレクト(養育放棄)を理由とした親権者変更の申立てがあったが、2回目の調停まで呼出状には何の反応もなく、書記官が申立書に書かれている電話番号に電話をしたが、アナウンスでは電話自体が止められている様子だということだった。
父の話では、離婚後しばらく実施されていた面会交流は一方的に拒絶されるようになり、児童相談所が関わっているようだが詳細は教えてもらえない、父の再婚相手も子らを引き取ることに賛成している、という。
出頭勧告の命令を受け、だいぶ丁寧な説明を加えた照会書を兼ねた調査の呼出状を送ってみたが、反応はなかった。「もし来なければ、こちらが家まで行く」という2通目の書面にも反応はなく、家まで足を運ぶことにした。
その住所は安アパートの1階で、玄関先にはゴミ袋が積まれ、壊れて埃をかぶった子ども用の自転車が停めてあった。インターホンを鳴らし、家の中に呼びかけても答えはなかった。母と話すなら、できれば子どものいない時間帯をと狙って午後の早い時間に訪問したつもりだったが、その自転車を見ていると、このまま帰れない気持ちになった。
アパートから少し離れた公園のベンチに腰を据え、小学生が下校し始める時間を待った。お目当ての家に赤いランドセルを背負った子どもが入っていくのが見えた。
「今だ」と思って再度インターホンを鳴らした。
中から子どもの声が答え、「お母さんと話をしたいんだけど」と呼びかけると、ずいぶん長い沈黙のあと、不機嫌そうな女性の声の応答があり、扉を開けてぬっとジャージ姿の母が玄関先に現れた。

「金は1円もいらないから関わらないで」という母を説得

母は髪の寝ぐせがひどく、ずいぶん顔色が悪かった。家の中にもゴミ袋が積み重なっていて、その向こうに子どもの頭が見えた。
私が名乗ると母は眠そうな顔で「家の中ではちょっと」と言うので、部屋の外に出てきてもらって話をすることにした。玄関のたたきには、私が以前送った呼出状の封筒が宅配ピザのチラシに混ざってそのまま踏みつけられていた。
母が「ここなら誰も来ない」と言う、アパートの敷地と隣の家を隔てる低いブロック塀に2人で腰かけて、話をした。
申立ての内容が親権者変更であることを伝えても、母は表情を変えず、抑揚のない声で、数年前に精神を病んでから生活保護を受けていると話した。
面会交流を拒むようになったのは、離婚後すぐから父の交際相手が面会に同行していたことがわかり、離婚前から裏切られていたことがわかったからだが、それ以来父から養育費は支払われなくなり、連絡も途絶えたという。
最後は、「金は1円もいらないから関わらないでほしい、だから父と話し合うことなどない」と吐き捨てるような口調になった。
母の住所を知っているはずの父が、これまで子らの様子を見にも来ないまま家裁に調停だけを申し立てた不自然さに、そこで初めて気がついた私も未熟だったと思う。
しかし、ここで母をつなぎとめないと二度と接触ができないような気がして、私も必死になって、「調査官としての私が報告できるのは母が調停に出てこない理由だけであって、私は母の代理人ではないのだから、母がこれからも子どもたちと暮らしていきたいのなら、母自身が調停に出てきて、きちんと子どもを育てられることを主張する必要がある」と食い下がった。
母はようやく「ほな行くわ」と、面倒くさそうに調停の呼出状を受け取った。
母との話が終わった様子を察してか、子どもたちが私に近づいてきて、私に「せんせー、ジソウの人?」と聞いてきた。

嘘は言えないと思い、努めて明るい口調で「ううん。サイバンショの人なの。君らが元気にしてるか見にきたんだ」と答えると、子どもたちは「じゃあ遊ぼう」と私の手を引いた。
アパートの前の空き地で、ずいぶん長い時間、縄跳びや「だるまさんがころんだ」に付き合った。
母は壁にもたれてタバコをふかしながら、遊びに加わるでもなく、子どもたちに声をかけるでもなく、表情の読めない目で私たちを見ていた。

母親に「会いに行った」からこそ?

その次の回、母はスーツを着て調停に現れた。肩パッドが変に大きい、流行遅れのスーツが、母が社会と途切れてからの時間の長さと、裁判所に来ることのハードルの高さを思わせた。
その後も調停は必ずしも順調には進まなかったが、あの出頭勧告が一つの転機であったことは間違いないだろうと思う。
親権者変更を求めていた父が、実際には再婚相手に相談もなく申立てをしていたことがわかったり、「面会交流ができれば申立てを取り下げてもよい」と態度を軟化させたりもしたが、いわばいきなり「子どもをよこせ」と言われた母がすんなり面会に応じるはずもなかった。
福祉の現場に長くいたという調停委員は、毎回さりげない口調で母に「眠れてる? 食欲は?」と尋ね、母は相変わらずぶっきらぼうな口調でそれに答えていた。
母は、公的な家事支援のサービスを受けるようになって、家のゴミも片づいていき、それにつれてこざっぱりした服装で現れるようになった。

変わるもの、変わらないもの

制度も法律も、何かが変われば混乱や戸惑いが起きるのは当然だ。
実は、ウェブ調停の導入当初、「オンラインによる意思疎通の質は対面と比べて違うのか」という議論があった。

実際に体験してみて「別に変わらない」と言う人もいる。一方で、あの出頭勧告で母が調停に現れたのは、直接顔を合わせて話せたからこそ伝わった何かがあったからだろうとも思う。
オンラインによる意思疎通の質に対面と少々違うところがあるとしても、調停や調査が人間と人間の対話である以上、互いに「伝えたい」「わかりたい」という気持ちがあれば、筆文字の宛名書きのように、それを補う方法もきっと見つかるだろう。
いずれにせよ、当事者が安心して調停に参加できる選択肢が一つでも増えるのはいいことだ。
だから、自信をもって掲げる。
「家庭裁判所、ウェブはじめました」


高島 聡子
京都家庭裁判所次席家裁調査官。1969年生まれ。大阪大学法学部法学科卒業。名古屋家裁、福岡家裁小倉支部、大阪家裁、東京家裁、神戸家裁伊丹支部、広島家裁、神戸家裁姫路支部などの勤務を経て2025年から現職。現在は少年事件を担当。訳書に『だいじょうぶ! 親の離婚』(共訳、日本評論社、2015年)がある。(役職は2025年4月現在)


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