オーストラリアでは青少年の健全な育成に悪影響があるとして、16歳未満のSNS利用を禁止する法案が可決された。日本でも、4月1日からネット上の違法・有害情報に対処する「情報流通プラットホーム対処法(情プラ法)」が施行され、「SNS浄化」の動きがいよいよ本格化しつつある。(本文:ITジャーナリスト・井上トシユキ)
トップインフルエンサーの「SNS嫌い」発言の理由
「今のSNSが大っ嫌いなので、最近はX(のアカウントを)消してやろうかな、いつ辞めようかなって思ってます(笑)」と、メディアのインタビュー取材に対して答えて話題となったのが、モデルでタレントの藤田ニコルさん(27)。藤田さんのSNSをフォローするユーザーは、Xが約280万、インスタグラムは約615万。トップクラスのインフルエンサーによる「SNS大嫌い」発言には共感する人も多く、配信記事には2000を超えるコメントが寄せられている。
なんでテレビ見ながらSNS開いて、嫌いな所とか容姿に対してを投稿するの?ストレス発散?誰に向けて?本人に届くように?暇つぶし?どうして?その多くは、SNSへの投稿に対し、袋だたきにするような誹謗(ひぼう)中傷や罵詈(ばり)雑言の連鎖、それらがエスカレートして現実社会での犯罪に結びつくことを不安視するものだ。
藤田 ニコル(にこるん) (@0220nicole) April 10, 2025
藤田さん自身も、いまのSNSには「自己肯定感が下がるような投稿がいっぱい」と現状のSNSが置かれた環境を嘆き、「周りの人を褒めてほしいと思う。人のことをけなしたりする時代はもう終わろうよって思ってるんです」と、ポジティブな使い方への変化に率直な思いを語っている。
芸能人や著名人にとって、SNSは仕事で使う営業ツールであり、活動を広報するための「自分専用メディア」でもある。一個人が自由気ままに発信するSNSとは一線を画しており、当該タレントの収入や評判にも直接関係してくる。一方通行のメディアではなく、誰もがコメントできることから、ある程度のネガティブな反応も織り込み済みだろう。
とはいえ、あまりに行き過ぎた誹謗(ひぼう)中傷や罵詈(ばり)雑言は、ともすれば営業妨害にもなりかねない。
実名化、複数カウント禁止など、この10年以上、議論されてきた「SNS浄化」
言いたい放題、やりたい放題に歯止めがかからず、‟凶器”といえる域にまで到達したSNS。そこでのコミュニケーションに対し、なんらかの規制をかけ、健全化しよう。そうした動きは、さかのぼれば2010年代からさまざま考えられてきた。アカウントの実名化、問題の多いアカウントの利用停止条件の厳格化、複数アカウントの禁止、単純な閲覧以外の活動に対する有料化など、無法地帯と化したSNSの「浄化」についての議論は、ネット上でも目にした記憶がある人も多いのではないだろうか。
近年では、SNSやニュースサイトがAIを活用し、投稿やコメントの監視を常時実行。侮辱や誹謗(ひぼう)中傷を排除している。これらは、ネット浄化の議論から具体的な対策が実現されたポジティブな一例だ。
4月施行の情プラ法でSNS浄化は加速するのか
そうしたなか、今年4月1日から特にSNSや掲示板サイトにおける誹謗(ひぼう)中傷に対し、高い透明性と迅速な対応を運営側に求める「情プラ法(特定電気通信による情報の流通によって発生する権利侵害等への対処に関する法律)」が施行された。旧「プロバイダ責任制限法」を一部改正するとともに、法律名を改めた。対象となるのは、大規模なSNSや掲示板サイト事業者で、XやInstagram、YouTubeなどだ。目的は、誹謗(ひぼう)中傷等のインターネット上の違法・有害情報に対処することで、そのために対象事業者に対し、対応の迅速化、運用状況の透明化にかかる措置を義務付けている。
具体的には以下のような措置だ。
・削除申請のための窓口設置
・手続き方法の明確化と公表
・削除申請を受けた場合、申請者に原則7日以内に「削除する/しない」などの判断を通知
・年1回、削除対応の件数や内容を公表
対象事業者がこの義務に違反し、是正を命じられても従わなかった場合などには、最大1億円の罰金が科せられる。
これまでプラットホーム側は、「場の提供を行っているだけで、投稿内容についてはユーザーの責任」として、対策には一定の距離を置いてきた側面も否めない。そうした状況を踏まえれば、情プラ法は場の提供側にも積極的な対応を求めており、一歩踏み込んだといえる。
この「情プラ法」施行は、侮辱罪の厳罰化、投稿者情報の開示手続きの簡略化に続く、法律を用いた「SNS浄化作戦」の一手といえ、荒れ果てたSNSの健全化につながることが期待される。
とはいえ、SNSの運営側が誹謗(ひぼう)中傷をあおっているわけではないということは忘れてはならない。SNS荒廃化の元凶をたどれば、行き着くのはやはり、投稿者側であり、そのモラルや悪意のコントロールが第一に問われていることに変わりはないだろう。
いつからネットコミュニティーはおかしくなったのか
かつてのパソコン通信や最初期のネットコミュニティーを振り返れば、そこではユーザーどうしの「善意の交換」が前提だった。善意の交換は情報に基づく知的なパワーを権力者から普通の人々へと取り戻し、より良い社会をつくっていくためのボトムアップの力を蓄えるのに不可欠とされていた。
匿名性も同様だ。社会的な地位や立場にとらわれず、フラットに情報や善意をやり取りし、意見を交換することで、理想的なコミュニティーをつくり上げるための支えとするよう考えられた「原則」だった。
こうした、健全なる「ネットコミュニケーションの大原則」によって、ネットは社会を豊かにする側面も担っていたが、それが保たれていたのは2000年代まで。
劇的に流れが変わったのは、2010年代以降だ。スマートフォンとSNSの爆発的な普及と利用によって、大量のユーザーと多様な価値観が流入。その結果、性善説でのネット利用は難しくなってしまった…。
なぜいま、「SNS浄化」が求められるのか
一連のSNS浄化作戦が示すのは、使い倒され疲弊してしまった、現状のネットに対するパラダイムシフト(従来の世界観、価値観の根本的なリニューアル)が本格的に進行しつつあるということであり、荒れるSNSを不安視する人々へのひとつの回答だ。法律等で基本ルールは徐々に整備されつつある。そうしたなか、悪貨に良貨が駆逐されることのないよう、次はユーザーが応えていく番となる。
自分がやられて嫌なことは他人にもしない。他人の意見にも耳を傾け、むやみに論破しない。他人をうらやむのではなく、自分の人生を充実させていく――。
決して難しいことではないはずだ。リアル社会では当たり前の価値観をいま一度、多くの人が認識すればいい。藤田さんの提言のように、「周りの人をほめる」ことから始めるのもいいかもしれない。
殺伐とし過ぎたSNSを、豊かで実り多き場へ変える。閉塞(へいそく)感が漂う世の中だからこそ、その空気をネットの力で変えられれば、誰もが前を向きやすくならないだろうか。