虐待やネグレクト、経済的な困窮をはじめ、実親と暮らすのが難しい子どもが暮らす児童相談所。事情を抱えた少年少女が安全に集団生活できるよう、施設内では細かい配慮が必要で、それゆえ働く職員の負担も大きい。

2021年11月まで、市川児童相談所(千葉県)で勤務していた飯島章太さん(現在31)は、過労によりうつ病を発症、そのまま退職を余儀なくされた。その後、労働環境を改善するため千葉県を相手に訴訟を起こし、現在もなお係争中だ(一審の千葉地裁は勝訴、被告が控訴し東京高裁に係属中)。
知られざる児童福祉の現場について、自身が疲弊していった時期を回顧しながら、飯島さんが明かす。(佐藤隼秀)

若手職員の5割が休職

「夜勤に向かう途中、駅のホームで、急に足が動かなくなりました。直感的にもう身体が限界だと訴えているようでした」(飯島さん)
2019年4月の入所からわずか4か月、飯島さんの心身は極限に達する。当時、勤務していた児童相談所の一時保護所では、入所児童の定員が200%近い状態が続き、残業が約75時間に達する月もあった。
激務に加え、度重なる夜勤による自律神経の乱れや不眠、子どものケアをまっとうできない無力感が襲い、飯島さんはうつ病に追い込まれた。
2019年7月下旬頃からの休職を経て、2020年2月に復職するも、労働環境に改善は見られず、飯島さんは結果的に2021年11月に退職。
同時期の市川児童相談所では、精神疾患で長期休養する人が相次いでいた。千葉県議会の資料によれば、同施設に所属する児童相談所職員のうち、児童指導員の16.7%が精神疾患を発症。
長期の療養が必要な状態となり、飯島さんを含む、採用3年目以内の職員に至っては2人に1人が休職する惨状だった。慢性的な人員不足に、残業が重なり、飯島さんと同じようにオーバーワークで消耗してしまった人が続出していたと考えられる。

虐待、育児放棄…さまざまな理由で入所する子どもたち

そもそも一時保護所とは、名称の通り、一時的に子どもたちをかくまう施設だ。何らかの事情で、近隣住民や警察から「児童を保護する必要がある」と通報を受けると、同所が対応する。

施設在所中、同所が子どもの行動観察を行い、その間に、児童福祉司らが家庭環境などを精査して、その後の児童の進路(児童養護施設に預けるのか・里親に出すのか・実家に戻すのか)を決める。つまり、一時保護所とは、子どもが適切に過ごしていくための判断を下すまで、子どもを預かる場所だ。
入所にいたる背景には、親からの虐待や、経済的困窮からの育児放棄、あるいは非行を犯した当事者などさまざまだ。境遇が異なる児童を一人一人ケアしつつ、慣れない集団生活を始める児童が安全に暮らせるよう、職員は神経を尖(とが)らせる職場でもある。
一時保護所に子どもが在所するのは、平均1か月ほどと言われている中、2021年度の千葉県内の一時保護所の在所日数は平均75.5日(厚生労働省の福祉行政報告例)。全都道府県でワーストを記録しており、そのぶん職員の負担も大きかったことがうかがえる。

入浴時間はストップウォッチで計測

飯島さんが所属していた市川児童相談所の一時保護所は、シフト制での勤務がとられていた。8時30分から17時15分までの日勤(休憩1時間)、12時半から翌9時半(休憩・仮眠5時間半)の夜勤が組まれ、1週間の勤務時間の上限は38時間45分で、月8日の週休日を設けるよう定められていた。
しかし、前述したように、飯島さんの勤務していた一時保護所では過重労働が常態化していた。
訴訟資料やこれまでの取材を基にすると、飯島さんがうつ病に追い込まれた理由として、主に3つの構造的要因が挙げられる。1つ目が「入居児童数の増加」、2つ目が「施設内の細かいルール」、3つ目が「長期化する残業」だ。
まず1つ目の入居児童数に関して言えば、当該の一時保護所では定員20名の中、飯島さんが就職した2019年4月では倍以上が入居していた。その後も増減はあるものの、基本的に定員の1.5~2倍以上の水準にあり、慢性的に職員の負担が大きかったことがうかがえる。

また、特に飯島さんが頭を悩ませたのが、2つ目の細かいルールだ。定員を上回る児童らが安全に暮らすためには、そのぶん管理も厳しくなる。施設からの脱走や、入居児童同士のいじめをはじめ、施設内でトラブルが発生しないよう、職員には常に子どもたちを監視することが求められる。
児童のトイレには毎回同行、夜勤時は定期的な見回りを実施、児童が入浴する際にはストップウオッチで時間を図るなど、気の休まる時間は少ない。
加えて、一時保護所は、子どもたちが自立するための教育指導を行う必要もある。好き嫌いを無くすための完食指導や、閲覧するテレビ番組や本の選定、さらにはドレッシングとマヨネーズは両方使ってはいけないという細かいものまで、規則は無数にあった。
「こうした状況下で、定員以上の児童にルールを徹底させるのは自分の心身が疲弊するうえ、児童を必要以上に管理しているという呵責(かしゃく)にもとらわれた」と飯島さんは明かす。
さらに、休職直前の2019年6月の残業時間は、月最約75時間に上っていた。表向きの数字だけ見れば、過労死ラインの月80時間をわずかに下回ってはいるものの、「勤務中も十分な休息が取れている状態ではなかった」と飯島さん。
日勤の昼休憩は児童とご飯を食べる時間に充てられ、入居児童らの一日の行動記録を書いている時間は、「座っているから休憩」と見なされた。
夜勤時の仮眠も、廊下で布団を敷いて寝る状況が多く、見回りやトイレで人が通れば起きてしまうほど眠りが浅い状態だった。
夜勤は多い時で月5回あり、一時保護所に27時間在駐する日もあった。
こうした、まともに仮眠が取れない状況で、飯島さんの自律神経の乱れも段々とひどくなっていったという。

「手を抜くことが生き延びる術」

「勤務中は、職務の多さや、常に児童から目を離してはいけない警戒心もあり、あっという間に過ぎていきました。
一方で、退勤後は気を張っていた反動で、どっと疲れが出る。帰宅して寝ようとしても、翌日の激務や、子どもたちのことを考えると、目がさえて眠れない日が続きました。
激務が続く状況で職員も足りず、仕事を回すために先輩職員からルールを徹底するよう注意され、子どもたちにかまう時間を減らさないといけない。
本来であれば、子どもたちをケアするのは職員の仕事であるはずなのに、むしろ自分がぞんざいに児童を扱っているのではないか。そう考えると罪悪感に苛(さいな)まれ、次第に職場に向かうこともおっくうになっていきました」
飯島さんの当時の日記には、「真面目に働いていたら自分がつぶれる。ある程度手を抜くことが生き延びる術」と記載されている。職場とのギャップに苦しみ、精神的にもすり減っていたのがうかがえる一文だ。
そして2019年7月、前述の通り、飯島さんは休職に追い込まれる。
その後2020年2月には、一時的に復帰を試みるものの、大して状況は変わらなかった。夜勤は免除されたものの、他の職員と比べてひいきできないという理由から休憩時間や残業が解消されず、結局は2021年11月に退職した。

退職後も労働環境に危機感「見て見ぬふりはできませんでした」

志なかばで、児童福祉の現場から離れた飯島さんだが、それ以降も一時保護所の労働環境には危機感を抱いていた。
慢性的な人手不足により、自身と同じように精神疾患を患う若手職員が続出すれば、現場は崩壊してしまうーー。
逼迫(ひっぱく)した現場の状況を変えるため、飯島さんは元職場の管轄である千葉県を相手に、未払いの残業代など、総額約1200万円の支払いを求める行政訴訟を提起する。
「私が提訴に踏み切れば、児童相談所の職場環境のイメージが悪くなり、人手不足が深刻化してしまう懸念もありました。
一時保護所での経験を見なかったことにして転職する道もありましたが、誰かが声を上げなければ、根本的な体質は改善されません。そう考えると、見て見ぬふりはできませんでした。知り合いの弁護士からも『社会的に意義ある問題だ』と後押しを受け、提訴に踏み切りました」
2022年7月に裁判が始まり、今年3月末には勝訴判決を勝ち取った。被告側の控訴により、現在は第二審の準備段階にある飯島さんだが、今後も裁判を通じて「児童福祉の実態を知って欲しい」と述べた。


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