複数の当事者団体が抗議の声明を発表。
SNS上では不買運動の様相も呈してきた一方で、出版社の判断を支持する声も多い。「障害者差別」や「言論の自由」など、本件をめぐる論点について、法律的にはどのように判断されるだろうか。
複数の障害者団体が抗議の声明
18日、一般社団法人「日本自閉症協会」がホームページに声明を発表。『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』について「障害に対する誤解を生み、差別や偏見、分断を助長するものと判断します」と記した。声明では「ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如多動症)の発達障害を一方的に『困った人』として扱っていることは誤解を生みます」と批判。
また、同著ではASDの特徴として「異臭を放ってもおかまいなし」、ADHDの特徴として「同僚の手柄を平気で横取り」などと記載されている点について「特異な事例をことさら強調しているため偏見につながります」と指摘している。
当事者団体「発達障害当事者協会」も、17日、三笠書房に質問状を提出したことをホームページで告知。「障害や疾患を持つ人々を動物に例えるようなアートディレクションを適切だとお考えでしょうか?」などの質問を送り、24日までの回答を求めている。
同協会のX投稿(17日午前)によると「編集部担当者から 『言論の自由を守るため出版の差し止めはしない』と言われました」という。また、投稿内には、差し止め訴訟の依頼が複数寄せられたとも記載。
炎上本に関し三笠書房に連絡を取りました。編集部担当者から「言論の自由を守るため出版の差し止めはしない」と言われました。この投稿がきっかけとなり、X上では「言論の自由」や出版差し止めの是非をめぐり議論が起こった。しかし当会に差し止め訴訟やヘイト対策の依頼DMやコメントが複数寄せられたたため先方了承の上質問状を出しました。内容は協会HPに掲載しています。https://t.co/Fhvzar1Ovq pic.twitter.com/AOaD7H2kMz
発達障害当事者協会 (@jdda_ro_jp) April 17, 2025
著者「差別的な意図はない」
三笠書房はホームページに「神田裕子著『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』について」と題した声明を発表(18日)。声明内では「ご不快な思いをされた方がいらっしゃった事実について、お詫び申し上げます」と記しつつ、「本書籍は『困った人』といかに真摯(しんし)に向き合い、かつ付き合うかという視点で書かれております」としながら、書籍の概要を解説している。
「病気や障害の有無にかかわらず、人は誰しも誰かにとっての『困った人』となりえます。それを念頭に『相手を知ろうとする姿勢』や『お互いさまの精神』が重要である、との視点に立っています」(三笠書房の声明から)
ホームページには著者である神田裕子氏の見解も掲載された。同氏は「障害があるなしにかかわらず、互いに理解し合って相手の嫌がることをせず、適材適所で働ける環境がほしい」との意図から「具体的な対処法を本の中で示したつもり」であると説明している。
また、障害者を動物で例える表現を用いたことについては「愛おしいもの、ピュアなものの象徴としてとらえており、差別的な意図はまったくありませんでした」と釈明した。
法律における「障害者差別」の定義は?
発表障害当事者協会が送付した質問状では、障害を持つ人を「困った人」と表現したことに関して「発達障害者への差別や偏見を助長する可能性があり、日本では障害者差別解消法(※)が施行され、障害者への合理的配慮の提供が求められている中、本書の表現は社会的包摂の理念に反するものと懸念いたします」と記載されている。※「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」
また、「障害者基本法」では「何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」と定められている(4条1項)。
差別問題や表現の自由に詳しい杉山大介弁護士は「宛名が『何人』もであるため、法にしたがえば、われわれ一般人を含めた誰もが障害を理由とした差別を行ってはならないことになります」と説明する。
そして、同法における「障害」の定義は「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害」。
したがって、それらの障害を動物に例える、「異臭を放ってもおかまいなし」や「同僚の手柄を平気で横取り」などとネガティブな特徴を強調することが差別であるなら、障害者基本法の理念に反することになる。
ただし、障害者基本法では罰則が定められていない。
そもそも、特定の個人を対象にした名誉毀損(きそん)表現や侮辱表現ではなく、特定の障害を持つ人々や特定の民族の人々など「集団」を対象にした差別表現を罰する法律は、日本には存在しない。
いわゆる「ヘイトスピーチ解消法」(※)では外国人差別に関してヘイトスピーチと定義されているが、やはり罰則はない。
※本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律ただし、「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」では50万円以下の罰金が規定されている。さらに、同条例における「不当な差別」の定義には、障害者に対する差別も含まれている。
もっとも、罰則の対象になるのは、市長の禁止命令に反して行為を行った場合のみだ。
法律における「言論の自由」は本件と無関係
先述したように、発達障害当事者協会に対し三笠書房は「言論の自由を守るため出版の差し止めはしない」と回答したという。これを受け、SNS上の議論でも「出版差し止めを求めるのは言論の自由の侵害だ」「キャンセルカルチャーだ」などの声が上がっている。
しかし、杉山弁護士は、憲法や法律における「言論の自由」は政治や行政といった「公権力」から保護するものであるため本件とは関係がない、と指摘する。
「本件は書籍の表現にどのような問題があるか、その批判に対し出版社や著者はどう答えるか、そういった表現の応酬の範囲内の話であり、法が立ち入る話とはいえません」(杉山弁護士)
また、本件については書籍の出版前から中身を読まずに批判が行われたことについても問題視する声がある。
しかし「今回の批判は、表紙や概要文などで使われているワードによって引き起こされるネガティブな反応を問題としたものです」と杉山弁護士は語る。
「中身を読み込む読者ではなく、表層のみに触れて生じる反応が問題とされている以上、中身で印象が打ち消されていれば良いというものでもありません。
書籍の真意が、出版社が声明で述べた通りなのだとしても、宣伝において『受け』を狙ってアグレッシブな表現を選択したのは、出版社自身です。
作者が意図していた以上に、特定カテゴリの人を悪しざまに見せる外観を作ってしまったのなら、それこそ営利目的で、本来の思想や情報としての表現部分を歪めてしまったということでしょう。
その点は反省すべきではないか、と個人的には思います」(杉山弁護士)
そもそも、ADHDなどの分類をすること自体に批判的な専門家もいる。
杉山弁護士も仕事をしていくうえで「一定の傾向をカテゴライズすることはできても、人間を特定のパターンにあてはめて、各人の個別的な点を見過ごすのは危険である」と感じているという。
「出版社も著者も、センシティブな問題を扱っている、という意識を持つべきでしょう」(杉山弁護士)