警察庁の統計によると、2024年中に、大麻により検挙された人数は6078人に上り、2015年の2101人から約3倍近く増加している。
大麻に関する議論を巡っては、「非犯罪化し、刑事施設外での自主的な治療に専念すべき」といった意見や“合法化”を求める一部の声がある一方、芸能人や有名大学の学生による大麻事件が発生すると“センセーショナル”な報道も目立つ。
本連載では「大麻とは何か」や「日本国内での大麻を取り巻く環境」について、文化社会学と犯罪社会学の観点から大麻について調査・研究をする佛教大学准教授の山本奈生氏が解説。第2回はドラッグのもたらす効果や影響について紹介する。(全6回)
※ この記事は山本奈生氏の書籍『大麻の社会学』(青弓社)より一部抜粋・構成。
「周囲の人々から教わり、よさを理解」
タバコやアルコールを用いたことがある人は、その使用法や「よさ」をどこかで教えられ、学習したことがあるだろう。直接教えられるという意味ではなく、コンパで先輩がアルコールをどのように飲み、酔えばどのように振る舞うべきであり、どうやって場を盛り上げるのかを観察して、私たちは日本版の居酒屋的酔い方やクラブでの振る舞いを学習してきた。これはほかの非合法ドラッグも同じである。マリファナを初めて喫煙する人が、どのように「ハイ」を体験するのかは、準拠集団の文化と場のあり方によって規定される。このことを明らかにしたのは、ハワード・S・ベッカーとノーマン・ジンバーグらの古典的研究だった。
ベッカーは戦後アメリカのジャズクラブで自らもピアニストとしてフィールドワークをおこない、マリファナ喫煙者らの振る舞いを記述した。彼は、犯罪社会学分野で「ラベリング論」の提唱者として知られる研究者である。
ベッカーの調査によると、そもそもマリファナをどのように喫煙すべきなのかを周囲の人々から教わり、「息を止めて煙を肺で溜める」こと、そして「ハイ」になるとはどういった状態なのかを見聞きすることではじめて、そのよさを理解できるものなのである。
ジンバーグらの「ドラッグ/セット/セッティング」に関する研究は、ストリート水準でも広く知られている「セット/セッティング」に注目したものだった。
セットとは使用者の身体的状態や精神状態など受け手側個人のことであり、セッティングとはドラッグ使用の場や環境を指している。そしてドラッグの効果や依存に至るかどうかは、ドラッグの効能だけではなく、セットとセッティングとの関係性によって決定されると論じた。
ストリート水準でも、マリファナ喫煙者らは特にセッティングを重視してきたといっていい。例えば心地いい音楽、「寒さは天敵」だとする室温への配慮、気のおけない仲間、照明はレトロな電球がいい、など。
そしてジンバーグらの研究で重要なのは、重い依存には陥らずに使用を続けている「コントロール使用者」がどのドラッグにも一定数いて、確かに依存の形成はドラッグの種類にも相関するが、それと同じように「週末のクラブだけ」「一人では用いない」という文化規範もまた重要な変数なのだということを示唆した点にある。
成分に比例しない、2種類の“害”
あるドラッグがもたらすハーム(害)は、成分に内在してだけあるわけではない。いわゆるマジックマッシュルームはワライタケなどのキノコを乾燥させたものだが、さらに強力な毒素をもつキノコが強烈な幻覚をもたらしえたとしても、内臓への悪影響が大きすぎるため誰も試そうとはしないだろう。実質的なハームは成分に比例するわけではないということだ。
そもそもドラッグのハームについては、現代的な公衆衛生学やイギリス薬物諮問機関は、「個人のハーム」と「社会的なハーム」の2つを大分類している。
そのうえで、個人のハームは身体や精神に与える影響と、日常生活に不調をもたらしうるハームなどに細かく分類でき、社会的なハームは直接他者に与えるハームと、間接的に社会にもたらすハームとがある。
この概念は犯罪社会学というよりは公衆衛生学の用法だが、政策的論点を考察する場合に本書にとっても重要であるため、それぞれのハーム分類について簡潔にみておこう。
大麻が個人に与えるハーム
使用者個人に与えるハームに関しては、大麻の場合であればタールを含んだ煙を吸うことで肺機能低下や発がん性があるのではないか、それはタバコと比較してどの程度なのかという論争が生じてきた。また、長期的なヘビーユーザーが特に若年者である場合には脳の発達に悪影響を与えるのではないか、そして統合失調症などの誘発リスクを含むのではないか、という事柄も論争の対象とされてきた。
医学的見解がそのまま政策判断に影響を与えるとはかぎらないが、2007年にイギリスでは大麻規制のランクを引き下げるべきかどうかをめぐって政策論争が生じた。
この際「ランセット」誌に掲載されたテレサ・ムーアらの論文は大麻と精神疾患の相関関係を示したことで、規制推進派から広く取り上げられ政策論争に影響を与えたといっていい。
しかし同著者らが翌年、飲酒歴などの変数を新たに調整したところ、大麻と精神疾患の相関は十分みられなかったとする論文を公開し、精神疾患リスクをめぐる論争は一義的な決着をみなかった。
そして使用者個人へのハームは、そのドラッグ使用者を一時入院すべきだという論拠にはなるが、リストカットする若者やアルコール依存者を刑務所に入れるべきではないのと同様に、この点だけでは刑罰の根拠として弱い合理性しかないだろう。
覚醒剤とコカイン、ハームが大きいのは…?
社会的なハームとしては、直接他者に与える影響としてドラッグの影響下で暴力犯罪がどの程度増加するのか、家庭内暴力や自動車事故にどういった関連があるのかということが問題になる。この直接他者に与えるハームの大きさは、銃所持や危険運転を規制する合理的根拠があるように、刑罰として個人使用者に懲役刑を科すべきなのかに関する論拠にされうる。
統計研究ではアルコールはこの意味での社会的ハームが大きく、大麻については、交通事故など直接の他者危害を誘発する懸念はあるが、相対的リスクは低いことも指摘できる。
そして間接的な社会のハームとしては、何らかの疾患が増大することで社会的負荷が増加したり、そのドラッグ使用が広まったり、抑鬱や無気力症状によって仕事ができなくなったりすることを挙げることができる。
これも刑罰の根拠として「公共の福祉」を保護法益とする場合の論拠になりうるが、逆説的に規制が強まるほどドラッグを求めるために非合法な活動や軽犯罪をおこなうユーザーが増えたり、違法ドラッグから利益を得ようとするマフィアが増加したりする状況も指摘できる。
欧州では、「ハームリダクション(harm reduction)」と呼ばれる施策やドラッグのハームを測定しようと試みる公衆衛生学の観点からすれば、このようにハームは多元的であり、しかも法規制や社会状況と密接に入り組んでいるとする認識が前提になっている。
したがって、覚醒剤とコカインいずれのハームが大きいのかは、それがどの社会の誰にとってのハームなのかを問わずに答えを出すことはできない。