
4月9日、日本産婦人科医会(日産婦)による記者懇談会が東京都内で開かれた。
同会の石渡勇会長は、現在は入院可能な有床施設(病院または有床診療所)のみに使用が限定されているメフィーゴパックについて「無床の診療所でも取り扱えるようになることを望んでいる」と表明。
一方で「報告や点検体制の徹底が不可欠だ」とも指摘し、社会的安全への配慮から、制限の緩和には慎重な姿勢を示した。(松田 隆)
WHOは薬剤による中絶を推奨しているが…
メフィーゴパックとは、英ラインファーマ社が製造販売している妊娠中絶のための経口薬。「パック」の名称が示すように2つの錠剤を服用して妊娠中絶する。
1剤目に妊娠維持の阻害=妊娠を中断する作用があるミフェプリストンを投与。36~48時間後に2剤目のミソプロストールをバッカル投与(歯茎と頬の間に錠剤を挟み、唾液でゆっくりと溶かす)。
これにより子宮筋の収縮や子宮頸管の熟化が起き、胎嚢(たいのう、受精卵を包む袋状の部屋のようなもの)を排出させる作用がある。
2剤目の投与後は院内等で胎嚢排出があるまで待機するが、排出されない場合は手術を行う(懇談会配布資料「メフィーゴパックの特徴と薬剤承認後全国調査の結果について」から)。
これまで、日本での妊娠中絶は吸引法か掻爬(そうは)法による外科手術しかなかったが、メフィーゴパックは原則手術をせずに中絶が可能になることから、その認可を歓迎する声もある。
世界保健機関(WHO)もガイダンス「安全な中絶(Safe abortion)」で吸引法もしくは薬剤による中絶を推奨している。
日本産婦人科医会(以下、日産婦)の林昌子幹事は「メフィーゴパックは人工妊娠中絶のために選択しうる方法のひとつです。深刻な合併症の頻度は低く、比較的安全な方法であるとは考えられます」と話した。
厚労省「当面は入院可能な有床施設に限定」
2023年4月28日、メフィーゴパックの製造販売が承認された。これに合わせて、厚労省はメフィーゴパックの実臨床運用における注意事項を通知。
1:当面は入院可能な有床施設に限定した外来・入院運用
2:指定医の面前で投与
3:1剤目服用時点で妊娠9週0日かそれ以前
4:院内における薬剤の厳重な保管(パック内の2剤は同一患者に投与)
5:人工妊娠中絶報告票に経口中絶薬を使用した旨の記載、市販直後全例調査への協力
(以上、懇談会配布資料「経口中絶薬メフィーゴパックの市販後の現況について」から)
そして、現在は「1」の点が問題になっている。
WHOも推奨する、経口薬による妊娠中絶は「入院可能な有床施設」に限られている。
「安全に使用するためには、自宅での胎嚢排出や、胎嚢排出前後の腹痛や出血に対応できる体制を整えておくことが重要です」(林幹事)
こうしたメフィーゴパックの安全性への配慮の結果、利用者が限られてしまう懸念が発生する。
日産婦・林昌子幹事(撮影・松田隆)
緩和から一転、差し戻しに
2024年9月の薬事審議会では、従来はメフィーゴパックを扱えないとされてきた無床診療所でも「一定の要件を満たせば投与可能」との方針が打ち出された。ところが、日産婦から「使用実績がない県があることや医療機関での事務作業が膨大になること、講習の義務化・管理体制の効率化が必要となることから、無床の診療所での使用は時期尚早」との指摘を受けた厚労省は、緩和から一転して異例の審議差し戻しを決定。
具体的には日本医師会(松本吉郎会長)から薬事審議会に、「無床診療所を対象とした講習会受講の義務化」「薬剤の流通管理体制等のデジタル化」「安全性確保のための資材」「国民への正しい情報提供」の4点が限定解除のために必要な事項であるとして、申し入れが行われた。
これに対して、コラムニストの河崎環(たまき)氏は「女性の間では(経口中絶薬は)非常に注目が高いなか、今回(手軽に)手に入るかもしれないと自由の光が見えた瞬間に、差し戻しになったのは失望が大きかった」と語る。
株式会社トーチリレー代表の神保拓也氏も「(経口中絶薬は)身体的、精神的、経済的負担も軽減する効果が見込まれていることから、基本的には使用条件緩和の方向で進めていってほしい」と述べた。
(以上、TOKYO MX「堀潤激論サミット」2024年10月10日放送、「国内初の飲む中絶薬『メフィーゴパック』使用条件の緩和はいつに? 日本産婦人科医会会長『あと一年ぐらいかかる』」より)
9日の記者懇談会では「(医療界は)条件緩和について進める責務があり、いつまでにするというのを示さないのは多様な選択肢を求めている女性への説明責任を果たせていないように感じる。ハードルがハードルであり続けることも可能ではないか」という趣旨の、厳しい質問が浴びせられた。
この点について石渡会長は「(現在でも)選択肢としては(経口薬での中絶も)あるわけですし、選択肢として重要だと思っています。それを普及させたいというのはありますが、いつになったらできるのか、はっきりとしたことは言えませんけれども1年、2年のうちにはと思っています」と話す。
安全性には疑問が残る
経口薬による妊娠中絶は、安全安心と思われがちである。前出の林幹事も「深刻な合併症の頻度は低く、比較的安全な方法」としている。
実際、2023年の解禁から2025年3月末までに6800パックが出荷されたところ、12例の重篤症例が報告されている(懇談会配布資料「経口中絶薬市販後の運用に関する課題」から)。
重篤症例になった際、薬剤の講習も受けていない無床診療所が対応できるのか疑問が残る。
講習の義務化、重篤症例になった場合の速やかなバックアップ体制ができるまでは、簡単には条件が緩和されない事情が存在している。
デジタル化の重要性
メフィーゴパックで特に重要なのが、報告・突合(とつごう)体制の徹底のために必要となる薬剤の流通管理体制等のデジタル化の部分。メーカーが出荷してから、1剤目・2剤目ともに同一の患者に対して投与されるところまで、正確に把握できるシステムの構築が必要となる。
既にメーカーと日本医師会や日産婦の間でその作業は進められているが、十分なシステムができるまでには時間が必要とされる。そのためにも、直ちに条件緩和というわけにはいかない事情がある。
「薬剤が入荷されて使われた、そこがデジタル化によって見える化されない限り、どこにどういう風に流れていくか、そこには非常に懸念を持っています。
それができず、1例でも2例でも、どこかに薬が行ってしまったということになると社会的に大変な問題になります。その意味でデジタル化は必要になります」(石渡会長)
日産婦としても、普及はさせたいが、薬品の管理体制が十分に構築されない場合のリスクを考えれば慎重に構えざるを得ない事情がある。

日産婦・石渡勇会長(撮影・松田隆
中絶は無制限には認められない
こうした問題の根幹には、日本における、妊娠中絶に関した法的制度の複雑さも関係している。そもそも、堕胎は原則として「犯罪」と扱われている。
【刑法212条】(自己堕胎罪)本来なら違法な行為である堕胎が一定の要件を満たした場合に認められるのは、母体保護法14条で「法令または正当な業務による行為」と認められることで違法性が阻却され(刑法35条)、堕胎罪には問われない制度になっているためである。
妊娠中の女子が薬物を用い、またはその他の方法により、堕胎したときは、1年以下の懲役に処する(2025年6月1日からは「1年以下の有期拘禁刑」)。
【刑法214条】(業務上堕胎罪)
医師、助産師、薬剤師または医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、またはその承諾を得て堕胎させたときは、3月以上5年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させたときは、6月以上7年以下の懲役に処する。
【母体保護法14条】自己堕胎罪の処罰根拠は、胎児の生命を害するからという点にある。このような法律の趣旨をふまえると、「女性には自己決定権に由来する中絶の権利がある」「多様な選択肢から任意に選択しうる」との主張も、胎児の生命の保護という観点から制約を受けざるを得ない。
都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の1に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
1 妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
2 暴行もしくは脅迫によつてまたは抵抗もしくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
【刑法35条】
法令または正当な業務による行為は、罰しない。
石渡会長はその点も意識しながら、条件緩和における慎重な姿勢について「社会的安全」というキーワードを口にする。
「堕胎罪(の違法性)を阻却するという意味で母体保護法指定医師が指定されています。指定医師は生命を断つという医療行為をやっているわけです。
そして、指定医師以外の人間がやれば、罰せられます。
「社会的安全」の真意
メフィーゴパックは経口薬であり、薬を飲むだけで堕胎できる。しかし、前述のように、中絶を希望する女性がどこかから入手して自分で堕胎をした場合は、刑法212条の「自己堕胎罪」の構成要件(※)に該当する。
※犯罪に該当する「違法で有責な行為」の類型。構成要件に該当しても、前述のように違法性が阻却される場合には犯罪が成立しない。
また、医師の身分がない者が入手して妊婦に与える行為は「同意堕胎罪」の構成要件に該当する(刑法213条)。本来ならば犯罪を構成する危険な行為であるため、薬剤の厳格な管理(デジタル化)は絶対に必要な措置である。
このように本来、堕胎罪は、母親の生命だけではなく、胎児の生命をも保護している。
メフィーゴパックは、使い方を間違えると、胎児の生命を守ろうとしている現行の法体系を根底から崩しかねない破壊力を有している。
「生命を断つという医療行為」と、あえて厳しい表現をしてまでも石渡会長が伝えたかった「社会的安全」の重みを、我々は考える必要があるだろう。
国際的な観点からも国内の事情からも、メフィーゴパックは中絶を望む女性には「福音」となるのかもしれないが、同時に大きなリスクも含まれていることは間違いない。
慎重に扱い、さまざまなリスクを排除してから条件を緩和するという考えは、妥当な判断であると言えるのではないだろうか。