就籍に至るケースのなかで最も深刻なものの一つが、親が子の出生届を提出しないままになっているというものである。子どもが公教育を受けられず、外の世界との接点も満足にもてないまま成長し、養育中の親が亡くなったことがきっかけでその存在が発覚したというケースもある。なぜ、そのようなことが起こるのか。
現役の家裁調査官・高島聡子氏(京都家庭裁判所・次席家裁調査官)が自身の実務経験をもとに語る。
※本記事は家裁調査官・高島聡子氏の著書「家裁調査官、こころの森を歩く」(日本評論社)より一部抜粋・再編集したものです。なお、記事中の具体的な事実関係はモデルとなった実際の事件とは異なるものに設定しています。
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母親の交通事故死で発覚した、姉弟の“無戸籍”
発端は、一件の交通事故だった。夕暮れ時、買い物途中だった中年女性が、車にはねられて亡くなった。財布の中にあった何枚かのポイントカードから女性の名前と自宅がわかり、夜遅くなって、警察官が女性の自宅に赴いた。そこで警察官は、その女性と一緒に暮らしていた娘に、母の死を伝えなければならなかった。
最初、高校生と思われる娘の話が要領を得ず、母の本籍も言えないのは、母の死に動揺しているからかと思っていたという。
警察官は、女性の死亡届を出すために戸籍を取り寄せ、初めてその娘が戸籍に載っていないことに気づいた。そして、1歳下だという弟も。
その後は、警察官から連絡を受けた市役所の福祉課の職員が奔走して女性の葬式を出してくれ、児童相談所と交渉して、養護施設を出た子どもたちが生活しているグループホームで姉弟が暮らせる手はずを整えてくれた。
そして、「とにかく何をするにもまずはあなたたちの戸籍を作らなければ話にならない」と家庭裁判所への申立書を用意してくれたのだという。
……といったいきさつがあって、私の手元には「就籍」という事件名のついた薄い記録があり、姉弟は心細げな表情で今私の前に座っている、というわけである。
「無戸籍の人」それぞれの事情
「就籍」とは、日本人であるにもかかわらず、何らかの事情で戸籍のない人に新たに戸籍を作る、という意味の事件名である。生み捨てられた乳児に関する申立や、長年ホームレス生活を送るうちに認知症になってしまい、自分の戸籍のあった場所も思い出せなくなった老人からの申立など、実にさまざまなバリエーションがある。
中には、意図的に戸籍をごまかそうという目的で記憶喪失を装う人の申立も混じり、詐病ではなく本当の「全生活史健忘」なのかどうか、医務室技官に依頼して申立人の診察をしてもらうこともある。
申立の事情によっては、一筋縄ではいかない調査になることが多いが、いずれにしても、最初の申立人本人の陳述が決め手になるので、先入観をもたず、鵜呑みにせず、丁寧に話を聞くことが出発点である。
姉弟に戸籍がなかった理由
姉弟がポツポツと生い立ちを語る。学校にも行っていないという姉弟の生育歴は、時系列もあいまいで、ひどく流れをつかみにくい。自分たちが小学校に行っていないことを不思議に思うようになったのは、7~8歳の頃だった。夏になると公園にたくさんいる遊び相手が、ある日、途端にいなくなった。
「どうして?」と母に聞いたら、母は困ったような顔をして、「学校に行ってないのは、ほかの人にバレちゃいけない。だから、夕方になるまで外に出ちゃダメ」と言った。
「お母さん、つかまる?」と聞いたのは姉のほうだったと思うが、母はうなずいた。それ以来、学校のことを母に聞いてはいけない、と思うようになってしまった。
姉弟の年が近かったこともあって、遊び相手には困らなかった。ゲームやマンガは、不思議なほど母が買ってくれた。
漢字は、母が買ってくるドリルで覚えたというが、申立書の字はつたなく、十分な教育を受けた様子ではない。しかし、姉弟が覚えていたゲームやマンガ、テレビ番組のタイトルや、その生活様式から、少なくとも姉弟が物心ついた頃から日本で生活していたことは間違いないと思われた。
姉弟によれば、毎日一緒に暮らしていたわけではないが、たまに家にやってくる「おじさん」がいて、何となく、この人が自分たちの父親なのかなとも思っていた、という。
姉弟から連絡を取ってもらい、後日、その「おじさん」からも話を聞くことができた。
母とは内縁の仲だった、という。取引先でパートとして働いていた母は、健気なシングルマザーに見えた。母と知り合った時、姉弟はすでに4~5歳。
母と男女の関係をもったあとで、母が別居中の夫の暴力から逃げているらしいことも聞いて、とっさに慰謝料を請求されるかなと思ってしまったこともあり、母との間で結婚の話は出なかったし、出せなかったという。
十分ではなかったが生活費の援助はしていたし、子どもたちが学校に行っていないことも、薄々気づいてはいたが、母から「夫に居場所を知られたくないので、住民票を移せない」と言われると、無責任なようだが、それ以上何も言えなかった。まさか子どもたちの戸籍がないとは思わなかった、申し訳ない…。
法的には「戸籍上の夫の子」になるはずだった…
「300日問題」という言葉を新聞などでご覧になったことがあるだろうか。民法772条の規定により、夫婦が別居していても、妻が戸籍上の夫以外の男性との間に子を産んで出生届を出した場合、婚姻中はもちろんのこと、それが離婚後300日以内のことであれば、元夫の嫡出子として戸籍に記載される、という問題である。実際の血縁関係に沿った戸籍の記載にするためには、家裁において「親子関係不存在確認」や「認知」等の調停を行う必要があった。しかし、別居中の夫あるいは元夫が手続に関わってくるため、これらの手続自体を尻込みする女性はことのほか多い。
やっと夫の暴力から逃げてきたのに、今さら連絡を取って居場所が知られたら、ましてや別の男性との間に子どもを産んだなどと言おうものなら、どのような暴力を受けるか、慰謝料を請求されるか……。
尻込みしたまま子の出生届が出せず、無戸籍となっている子どもが日本中で1万人以上いる、という民間団体の推計が発表されたこともある。
令和6(2024)年4月1日から施行された民法改正により、離婚後300日以内に生まれた子どもも、女性が再婚した場合には再婚した夫の子と推定されるようになった。ただし、女性が再婚しない場合はこの規定は対象外である。
無戸籍の子どもは、法律上存在せず、学校にも通えない。
そもそも、この姉弟については、母が亡くなり、父親がわからない以上、戸籍届出をすべき人間はいないわけだから、新たに戸籍を作るには「就籍」の手続によらざるをえない。
古い写真の「母の笑顔」が語るもの
この事件の調査では、母の戸籍上の夫に対して照会書を出した。何か言ってくるかとしばらく身構えて待っていたが、夫からは「母とは、子らが生まれる何年も前に別居しており、自分の子どもではありえない」とだけ、そっけない返事が来た。
母の戸籍をたどり、母の親族にも照会をしたが、「長年連絡を取っておらず、子どもが生まれていたことも知らなかった」と返事が来た。
どちらも、子どもたちがこれからどうやって生活していくのか、聞いてくることはなかった。
夫から逃げ、親族からの援助も得られず、母がどうやって2人の子を産み、内夫に出会うまでの数年間を過ごしてきたのか、そこはわからない。戸籍のことを先延ばしにしてきた母を無責任だと責めるのは簡単である。
それでも、きっと子どもたちの戸籍のことを、母は亡くなるまで気にしていたに違いない、と私は思う。
そう思うには理由がある。
就籍事件では、乳児の場合を除き、生年月日を定める理由として「本人がそう言っているから」「長年本人がこの誕生日を使ってきたから」などとしか言いようがない場合が多いのだが、この姉弟に関しては、自信をもって生年月日を特定することができた。
「何でもいいから、子どもの頃のことがわかる資料を持ってきてください」との指示に、姉弟が持参したアルバムには、毎年毎年、バースデーケーキを前にした子どもたちの写真が残っていたからである。
「〇年〇月〇日、姉3歳」「〇年〇月〇日、弟2歳」、几帳面な字で書かれた日付と、姉弟の名前を追っていくと、届出を出せないまま亡くなった母のことを、決して責める気にはなれなかった。
古い写真の中で母は、幼い姉弟を両腕に抱き、さっぱりした笑顔で笑っていた。審判を書いた裁判官も、母の写真を前に、「お母さんも、これで安心してくれたかねえ」としみじみした口調で言った。
令和4(2022)年の民法改正や、無戸籍者が戸籍を作るための手続などの詳細については、法務省のホームページに掲載されている。
高島 聡子
京都家庭裁判所次席家裁調査官。1969年生まれ。大阪大学法学部法学科卒業。名古屋家裁、福岡家裁小倉支部、大阪家裁、東京家裁、神戸家裁伊丹支部、広島家裁、神戸家裁姫路支部などの勤務を経て2025年から現職。現在は少年事件を担当。訳書に『だいじょうぶ! 親の離婚』(共訳、日本評論社、2015年)がある。(役職は2025年4月現在)