大阪・西成で、今も旧遊郭の名残りをとどめる「飛田新地」。
大正7年(1918)に開業したこの歓楽街は、戦後に赤線として遊郭の機能を引き継ぎ、昭和33年(1958)に売春防止法が施行されると“料亭街”に姿を変えた。
そして“客と仲居の自由恋愛”とすることで、遊郭・赤線時代の営業内容を現代に残している。
「なぜ飛田は必要なのか」
そう問いかけるのは、かつて飛田新地で親方(料亭の経営者)を経験し、現在は女性のスカウトマンとなった杉坂圭介氏。
飛田の中にいたからこそ語れる内情は、色街を単なる好奇の対象としてではなく、社会を深く考察する上で貴重な証言となるだろう。
連載第3回は、飛田新地で女性の次に重要とされ、店の売り上げを左右する「呼び込みのオバちゃん」にまつわる苦い経験を振り返る。
※ この記事は、飛田新地のスカウトマン・杉坂圭介氏の著作『飛田で生きる 遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白』(徳間文庫、2014年)より一部抜粋・構成しています。

なめて掛かってくるオバちゃん

右も左もわからない状態から店を始めた私は、オバちゃんのことをとても頼りにしていました。呼び込みはもちろんのこと、女の子のケアから売り上げの管理までおんぶに抱っこです。
ところが、店を始めてふた月もたたないうちに、オバちゃんがいかに売り上げを左右するかを痛感させられることになったのです。
ど素人の若造と思われていたのでしょう。柴田さん(※)から紹介してもらったオバちゃんは、誰よりも私のことをなめて掛かってきました。
※ 杉坂氏に親方業を紹介した地元の先輩
オバちゃん歴20年のベテラン選手で、口癖は、「私は1日に80人以上上げたことが何度もある」。女の子も経験しており肝のすわった人でした。
「飛田とは、こういうもんや。
何も知らん新参者は黙って、こっちの言うことを聞いていればええ」
口には出しませんが、いつもそういう態度で接してきます。この業界、新規開業すると誰もが古参のオバちゃんに振り回されるという話は聞いていたので、はじめはそんなものだろうとたかをくくっていました。とりあえずオバちゃんの好きなようにやらせておいて、徐々に自分なりのやり方を見つけていこうと思っていたのです。
しかし、現実はそんなに甘いものではありませんでした。
そのオバちゃんは、物腰柔らかな口調でびしばし自己主張してくるタイプ。
「今日はこれしかできひんなあ」
「あれは明日にやっておきますわ」
などとまず自分の仕事を極力減らそうと逃げ口上を打っておいて、
「親方、絶対こうすべきやと思いますよ」
と自分のことを棚に上げて店の経営に口出ししてくる。つまり余計なことはしたくないけど自分の言うとおりに働け、というわけです。
こちらは新参者でわからないところが多いから、言われるがまま。すると、いつの間にか店がオバちゃんと女の子の好き勝手にされていたのです。

立て続けに女の子が辞める…オバちゃんの“裏の顔”が明らかに

店を開けてから最初のころは1日平均10万円ぐらいの利益が手元に残っており、滑り出しは順調、今後の希望が持てました。しかし年が明けてから利益がほとんど上がってこない。
そのうえ4人に増えていた女の子のうち2人が店を辞めてしまいました。痛かったのは人気のあった深津絵里似の子が辞めた2人のうちの1人だったこと。

店の看板を開業後数週間で失ってしまったのです。すぐに補充したのですが、その子もまたすぐに辞めてしまう。そんなことが何度も続きました。オバちゃんに聞いてみても、
「根性なかったもん、あの子は」
と言うだけで理由らしきことを何も言ってくれません。
「ああいう子はどこ行っても続かへんね」
長期で働いてくれる子はなかなかいないこの業界ですが、それにしても数日で女の子が辞めてしまうことが立て続けに起こるとはおかしい。不審に思い元看板だった深津絵里似の子に連絡してみるとオバちゃんの裏の顔が明らかになったのです。
「もしもし、いまええか?」
「……はい」
「別に辞めたことを責めるわけやないんで、誤解しないで聞いてほしいんやけど、なんでうち辞めたん?」
「…………」
「じつはな、きみが辞めてから何人か新しい子を雇ったんやけど、みんなすぐ辞めてまうねん。なんか理由があんのかなと思って」
「……オバちゃんや」
「ん?」
「あのオバちゃん、えこひいきしよんねん」
「ひいき? ほんまに?」
「夜あたしと一緒に入ってた子おるやろ? ユカ。あの子のことばかりかわいがってた」
ユカは開業当初から働いてくれている子でした。顔も体も際立った特徴はありませんでしたが、その普通っぽい親しみやすさが好きな人もいるらしく、1日平均5本は上げてくれていました。
「ひいきってどんなことしてたの?」
「その子のときだけ明らかに一生懸命呼び込みしてた。それに化粧のしかたとか丁寧に教えてたし」
「それくらいどんなオバちゃんでもやるやろ?」
「でも私のときはあまり呼び込みやってくれへんかったし、ほかの子のときもそうみたいやった。
ユカのときだけ本気だしよる、ってみんな言ってたもん」
「なんで言ってくれんかったんや」
「だって、告げ口ばれたらもっとやられるもん」
「ほかにはどんなことされた?」
「わたしやないけど、“ユカばっかじゃなくて私のときもちゃんと呼び込みして”ってオバちゃんに直接言った子はいじめられてたらしいで。靴隠されたり、カバンの中身ばらまかれたり、嫌味言われたり」
そのオバちゃんは自分になついてくるユカをかわいがる一方で、自分に批判的、反抗的な態度を示す子をユカと一緒になっていじめていたというのです。嫌味がまた非常に悪質で、その日あまり稼げなかった子に対し、
「もうちょっと頑張ったら10本いったのになあ、残念やなあ」
「ほかの子のときはなにも言わんでもお客さん上がるんやけどなあ」
「さっきの客はオバちゃんが上げたったんよ。感謝せいよ」
などと言っていたのだそうです。女の子としては自分が上げられていないのは重々わかっているので、こうした本数の話をするのはいちばん傷つく。そこをあえてついてくるのだからじつに陰湿です。
これでは女の子が長続きするはずもありません。年が明けてから急激に売り上げが減ったのも、ユカのときばかり呼び込みをしてほかの子のときには適当にやっていたオバちゃんのせいだったのかもしれません。

オバちゃんに注意するも「そんなんしらん」

狭い店のなか女だけで仕事をしていると、誰がトップになるかという順位づけの問題が発生します。この場合トップになりたかったのはオバちゃんで、その仲間としてユカを引き込んだのでしょう。
「なるほどそういうことか。……ところで、いま店、ピンチやねん。戻ってきてくれへんやろか」
「なに言うてんの。
あのオバちゃんがいる限りイヤや」
「辞めさしたとしたら?」
「わたし、足洗いたいねん」
ここで一方的に電話は切られました。親方がどれだけ懸命に女の子を探してきても、オバちゃんがしっかりしていなければすぐに離れていってしまう。なるほど、たしかにオバちゃんは重要であると痛切に感じた出来事でした。
翌日オバちゃんに女の子をもっと大切にするよう注意したものの、「そんなんしらん。なにもできんくせに、何いうとんねん」とまったく反省の色をしめさなかったので、紹介してくれた柴田さんに相談のうえ辞めてもらいました。
穏やかさの裏側にある黒い素顔を面接で見抜けなかった私の落ち度ではありますが、こんな人に店が開くまで1か月以上毎日5000円の保証金を払っていたかと思うと情けなくなってきました(※)。
※ 杉坂氏は開業前、店が開くまでのキープ料として呼び込みのオバちゃんに毎日5000円の保証金を支払っていた
人間どんな本性を隠し持っているかはわからない。その人の裏側を見抜く眼力がなければこんなふうにだまされる羽目になるのです。

売り上げをちょろまかす

えこひいきやいじめで済んだらまだいいほうで、ずる賢いオバちゃんになると女の子と手を組んで売り上げの本数をごまかすこともあります。その日5人のお客が上がった女の子にこう言うのです。
「お客さん、4本ってマスターに言うて、1本、半分ごっこしようや」
そのほかにも、お客さんに出したビールの売り上げ1000円を女の子と500円ずつ山分けしたり、消費税の1000円をまけたことにして500円ずつポケットに入れることもあります。まけた分は、親方の取り分を減らすのです。

こうした不正に親方が気づかないとどんどんエスカレートしてきて、結果、お客さんの本数を過少報告して売り上げをちょろまかすことになるのです。
なぜこういうことが可能なのかというと、ほとんどの親方は店にあまりいないからです。毎日顔は出しますが、どの親方も店に行くのは夜11時くらい。12時5分前に売り上げだけ取りに行き女の子を送って1日の仕事が終わりという親方もたくさんいます。
そうなると営業時間のほとんどは女の子とオバちゃんだけで過ごすことになる。もしどちらかが悪さをしようと話を持ちかけたら? お目付け役の親方はいない。
知っているのは私らだけ――。せっかく雇った女の子とオバちゃんを信じたいのはやまやまなのですが、往々にしてこのような事態が起こるのがこの世界の世知辛さなのです。


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