このような事故が起きると、マスコミやSNSで大きく取り上げられ、当事者である事業者やドライバーには批判が集まる。また、監督官庁からも再発防止に尽力するよう通達が発せられ、原因調査や対策会議が行われて再発防止策が練られることになる。
これらはいずれも発生した、あるいは今後発生するであろう「リスク」や「トラブル」を減らそうとする試みである。こうした試みは必要不可欠だが、目を向けるべきもう一つの側面がある。それは、安全のために現場の一人ひとりが取り組んでいる「有効な行動」や「工夫」だ。
交通機関は毎日、数十万回も無事に運行されている。大量の成功事例が積み上げられているとも言える。本記事では、残念ながらほとんど注目されず、評価もされないこの「成功事例」を紹介する。(近畿大准教授(安全心理学)・島崎敢)
罰則強化は根本的な解決になるのか
「リスク」や「トラブル」を減らすアプローチは、専門的に「Safety I(セーフティー・ワン)」と呼ばれている。Safety Iの考え方は、産業革命以降の品質管理の歴史に端を発する。機械化が進むにつれ、人間と機械は一緒に仕事をこなすようになり、さまざまなシステムが構築された。
わかりやすい例では、車とドライバーは協調して働くことで「移動」という目的を実現する一つのシステムだ。
では、このシステムにおいて、事故を減らすにはどうすればよいだろうか。
まず、人間の信頼性は一般に機械より低い。機械は故障しない限り、記憶の失念や疲労、心配事、睡眠不足といった要因に影響されることもなければ、手抜きをしたり見落としをしたりすることもない。
システムの信頼性は掛け算で算出される。たとえば信頼性の最大値が1のとき、0.9999の機械と0.9の人間が一緒に働くと、人間のせいでシステム全体の信頼性は0.8999に低下する。つまり人間はシステム全体の信頼性の足を引っ張る厄介な存在なのだ。
そこで、人間の変動幅をできる限り小さくする方法が採られる。これがSafety Iである。
厳格なマニュアルを事細かに設定し、それを守るよう教育を徹底し、逸脱した場合は厳格に罰するという方法だ。考えたり工夫したりする余地は不要とされ、規定された通りのことを確実に実行することが求められる。
しかし、お気づきの読者もいるだろうが、このアプローチには限界がある。
行き過ぎたSafety Iは人間から考えることを奪い、モチベーションを低下させる。マニュアル通りに動くことが最優先とされ、臨機応変な判断や工夫の余地が少なくなる。
「想定外」は極限状態ばかりではない。現場から遠く離れた管理部門がマニュアルを作成すると、現場の状況が十分に考慮されておらず、実用性に欠けるマニュアルが策定されるような事例がある。現場はその不具合を工夫によって対処するが、管理部門はそれを規則違反として取り締まる。
このような悪循環は、組織の心理的安全性(ネガティブな評価を恐れずに発言できる環境)を低下させ、事故の前兆や不適切な手順が修正される機会を奪ってしまう。
そして何よりも、安全のために高い意識を持って工夫や努力をしている人々が適切に評価されないということが問題である。
新しい安全管理のアプローチ「Safety II」
「うまくいっていることに着目すべきだ」デンマークの心理学博士エリック・ホルナゲルが提唱したSafety II(セーフティー・ツー)は、従来の考え方(Safety I)を180度転換させたもの。
失敗の原因を排除するのではなく、成功の理由を見いだし、それを増やすことで安全を実現するという発想だ。
大規模災害などの予期せぬ事態に対する事例を分析すると、マニュアル通りでは対処できないはずのことを、現場が臨機応変に乗り切っている例が数多く存在する。これは「現場の工夫」にSafety Iではカバーしきれない大きな価値があることを示している。
学習心理学では、行動の後に良い結果(報酬や喜び)が続けば、その行動は増え、逆に、何も起きない、あるいは注目されないと、その行動は徐々に減っていくことがわかっている。この「オペラント条件づけ」と呼ばれるメカニズムは、私たちの日常行動に大きな影響を与えている。
安全のための工夫や努力も例外ではない。
もちろん安全に対して高い意識を持つ一部の人々は、誰からも褒められなくても安全に向けた取り組みを行うだろう。しかし、そうした良い取り組みを積極的に認め、共有することで、さらに多くの人が安全に貢献するようになれば、組織そして社会全体の「良い行動」が増え、安全性も飛躍的に高まるはずだ。
このSafety IIアプローチには二つの大きなメリットがある。
一つは優れた工夫が共有されることだ。これは組織の貴重な財産であり、その工夫を知らなかった人にとっては価値の高いことである。もう一つは、安全のために努力している人が報われ、さらに良い取り組みを行う動機づけになることだ。周囲の人々も「安全に貢献すれば評価される」と感じ、自らも積極的に安全行動に取り組むようになる。
バス置き去り事故後に行われた対策は?
話をバスに戻そう。冒頭の都営バスの例では健康被害はなかったが、2021年と2022年には、園児が死亡する園バスの置き去り事故が相次いだ。これらの痛ましい事故を受けて、政府は「保育所、幼稚園、認定こども園及び特別支援学校幼稚部におけるバス送迎に当たっての安全管理の徹底に関する関係府省会議」を設置し、再発防止策を強化した。
その結果、2023年4月からは全ての通園バス等に安全装置の設置が義務付けられた。これに加えて、各施設においては安全管理マニュアルの策定とバスへの備え付け、園児の乗降時の確実な所在確認、送迎終了後の徹底した車内確認といった、人的確認を含む運用面の安全管理も義務化された。
これらは全て「失敗の原因を分析して排除する」というSafety I型のアプローチの典型例だといえるだろう。
全国には4万4000台の園バスが存在し、休日を除けばほぼ毎日運行されている。1台が2ルートをカバーすることもあるので、控えめに見積もっても年間1000万回以上は運行されているだろう。そして、大半は事故を起こすことなく、子どもが取り残されることもなく無事に運行を終えている。
人間のエラー発生率を考慮すれば、何の工夫もなしにこのような安全な運行が実現できているとは考えにくい。つまり、この「当たり前の日常」には、無数の成功要因が隠されているはずだ。
現場の知恵が生み出す真の安全
筆者らの研究グループは関西地方の105の保育園・幼稚園・こども園を対象に、国が義務化した対策以外にどのような取り組みが行われているか、それらがいつから始まり、どのような経緯で生まれたかなどを調査した。調査で印象的だったのは、多くの園の担当者が「特別なことは何もしていない」「当たり前のことしかしていない」と回答したことだ。
しかし、詳細に聞き取りを進めると、そこで行われていることは当たり前などではなく、限られた時間と予算の中で行われる多様かつ効果的な工夫だった。
現場の人々は、日頃注目されることも褒められることもないため、通常業務の範囲内と認識している。これは日本的な美徳と解釈できるかもしれないが、より良い実践を生み出すモチベーションには必ずしも結びつかない。
そこで筆者らは、この調査で集めたこれらの工夫を体系的に整理し、専門家のコメントも加えて、「明日からできる園バスの安全管理」と題した冊子を作成・配布(https://kids-safety.org/)した。
出来上がった冊子を読んだ多くの関係者からは「安全のために尽力している現場の努力が伝わってきた」「このような取り組み事例の共有は意義がある」といった高い評価の声が寄せられた。
「Safety I」と「Safety II」は車の両輪
誤解しないでほしいのは、Safety IとSafety IIは対立するものではないということだ。むしろ、車の両輪のように相互補完的な関係にある。起きてしまった事故を分析し、ルールや装置を見直すといった基本的な安全対策は不可欠だ。しかし、それだけでは物理的な防止策にとどまり、組織の安全文化は育たない。
無事に終わる仕事の背後には、無数の判断と工夫が込められている。その一つひとつに光を当て、評価し、共有することが、組織ひいては社会全体の安全性を向上させる鍵となるのではないだろうか。
■注記
本記事で紹介した研究は、公益財団法人JR西日本あんしん社会財団2024年度研究助成を受けて実施されました。
■島崎敢
1976年東京都生まれ。早稲田大学大学院にて博士(人間科学)取得。同大助手、助教、防災科学技術研究所特別研究員、名古屋大学特任准教授を経て、近畿大学准教授。元トラックドライバー。