大阪・西成で、今も旧遊郭の名残りをとどめる「飛田新地」。
大正7年(1918)に開業したこの歓楽街は、戦後に赤線として遊郭の機能を引き継ぎ、昭和33年(1958)に売春防止法が施行されると“料亭街”に姿を変えた。
「なぜ飛田は必要なのか」
そう問いかけるのは、かつて飛田新地で親方(料亭の経営者)を経験し、現在は女性のスカウトマンとなった杉坂圭介氏。
飛田の中にいたからこそ語れる内情は、色街を単なる好奇の対象としてではなく、社会を深く考察する上で貴重な証言となるだろう。
連載第4回は、飛田新地に集まる女性の「素性」について。
※ この記事は、飛田新地のスカウトマン・杉坂圭介氏の著作『飛田で生きる 遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白』(徳間文庫、2014年)より一部抜粋・構成しています。
「親の借金を返すためやむにやまれず……」
「旦那に先立たれ子どもを育てるために……」
「大学の学費を自分で稼がなければならず……」
など、皆さん「不幸でわけありな子」を想像されることが多いようですが、実際は8割から9割が自分の派手な生活が原因で自ら飛田に来ることを選んだ女の子たちです。
昔は地方の農家の娘が家の食いぶちを減らすために遊郭に売られるということがよくあったと聞きますが、いまではそうした家庭の事情で飛田にくる子はまれになっています。
学生やOL、主婦など風俗業界未経験の子から、キャバクラ嬢、ヘルス嬢、ホテヘル嬢、ソープ嬢など業界経験者まで人種はさまざま。飛田にくる理由は共通していて、ずばり金です。
ブランドものを買いすぎて消費者金融に手を出してしまい給料では返せなくなってしまったOLや、ホスト遊びで出費がかさみより多くの収入がほしくなったキャバクラ嬢など、みんなそれぞれお金の事情を抱えて飛田にやってきます。
通勤しても働ける時間は限られています。新幹線で新大阪まで1時間半程度。そこから電車を乗り継いで飛田まで来たとして最低でも2時間はかかる。終電の時間を考えると勤務できるのは6時間ほどです。
「1週間、泊まりで働いてくれるんやったら交通費出すけど」
するといつも答えは一緒です。
「家が厳しくて、外泊できないんです」
開業当初はこうした子が思いのほか多いことに驚きました。厳しいお家柄の子がわざわざ飛田で働こうとする理由っていったいなんやろう。そのうえ学生さん? 勉強せなあかんやん、と思わず説教したくなったことも何度もありました。
しかし10年以上飛田で生きてきたいまではまったく驚きません。いまどきの若い子は行為に対する抵抗があまりないのか、握手するかのように軽い感覚で仕事をサクサクとこなしていきます。毎年夏休みや春休みの時期になると、1人や2人は学生がアルバイトで働きにくるほどです。
2年前は、現役の国立大学の学生で家がお医者さんの子が、夏休みの間だけ働いていました。
飛田の近くにマンスリーマンションを借り、2か月近く、生理のときもほぼ毎日働いて、300万円近いお金を貯め帰って行きました。
地方からきている子でいちばん多いのが九州・沖縄の子です。地元にいても仕事が少ないので、飛田を収入源にして、大阪で一人暮らしをしているのです。
私の店にも九州の子がいました。地元に彼氏がいるので月に1回帰っていましたが、帰るのは大阪で仕事のできない生理の日。これでは彼氏もかわいそうです。久しぶりに会うのだから、彼氏としてはエッチをしたいのに、毎回帰ってくるときは生理なのです。
さすがに彼氏も怪しみ出す。なんでよりによって帰ってくるときは必ず生理なんだろう? しかもなんで帰ってくるごとに羽振りが良くなっているんだ?
だんだん生活が派手になってきていることに本人は気づいていないのです。口のたつ子なら、
「私、大企業に入って今大阪に転勤してるの」
とでも言いわけをするのでしょうが、その子はうまく言い逃れできなかったらしく、彼氏にばれたあと親にもばれ結局九州の実家に戻っていきました。
大阪なら安心だろうと4月から働き始めたのですが、ゴールデンウィークに親戚が大阪旅行に来て、伯父さんに店で座っているところを見つかってしまった。よりによって北海道の伯父さんが飛田に遊びに来てしまい、そのとき運悪く座っていたというのです。
その伯父さんも飛田に目的があってきたわけでしょうから、きまりが悪いことこのうえないはずです。ほかのお店の話なのでその後どうなったかはわかりませんが、以降その子を見かけなかったところをみると、親御さんに連れ戻されてしまったのかもしれません。
リーマンショック以降は、風俗などとは無縁に生きてきたごく普通の主婦が面接に来ることも増えてきました。旦那がリストラにあい、夫婦話し合いのうえ、旦那公認で働き始める。送り迎えは旦那で、店の近くまで車で来て、「頑張ってね」と言って送り出すのです。
これまで何度もこうしたケースを見てきましたが、次第に旦那が働く意欲をなくしていくことがほとんどです。
「あかん、早く仕事を探さんと」
最初はそう思っているのに、子どもの世話をするようになるとますます働く気をなくし、「子どもの面倒は僕が見とるから、お金のほう頼むわ」と専業主夫になっていく。
「奥さん飛田で働かせて、旦那は家でゴロゴロしてるんやろう? なんで離婚せえへんの?」
そう聞いてみても、彼女たちはなにも言わずにもくもくと働きます。
それで、「もっと稼がせてください」と泣きつかれたことが何度もありました。なぜそこまでして頑張るのか不思議です。子どもと一緒に実家に帰ればいいのに、なぜか頑張る人のほうが多い。勤務態度がまじめであればあるほど見ていて痛々しくなります。
大正7年(1918)に開業したこの歓楽街は、戦後に赤線として遊郭の機能を引き継ぎ、昭和33年(1958)に売春防止法が施行されると“料亭街”に姿を変えた。
そして“客と仲居の自由恋愛”とすることで、遊郭・赤線時代の営業内容を現代に残している。
「なぜ飛田は必要なのか」
そう問いかけるのは、かつて飛田新地で親方(料亭の経営者)を経験し、現在は女性のスカウトマンとなった杉坂圭介氏。
飛田の中にいたからこそ語れる内情は、色街を単なる好奇の対象としてではなく、社会を深く考察する上で貴重な証言となるだろう。
連載第4回は、飛田新地に集まる女性の「素性」について。
※ この記事は、飛田新地のスカウトマン・杉坂圭介氏の著作『飛田で生きる 遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白』(徳間文庫、2014年)より一部抜粋・構成しています。
8~9割は「自分の派手な生活」が原因
飛田ではどんな女の子が働いているのか。これは私がよく聞かれる質問のひとつです。「親の借金を返すためやむにやまれず……」
「旦那に先立たれ子どもを育てるために……」
「大学の学費を自分で稼がなければならず……」
など、皆さん「不幸でわけありな子」を想像されることが多いようですが、実際は8割から9割が自分の派手な生活が原因で自ら飛田に来ることを選んだ女の子たちです。
昔は地方の農家の娘が家の食いぶちを減らすために遊郭に売られるということがよくあったと聞きますが、いまではそうした家庭の事情で飛田にくる子はまれになっています。
学生やOL、主婦など風俗業界未経験の子から、キャバクラ嬢、ヘルス嬢、ホテヘル嬢、ソープ嬢など業界経験者まで人種はさまざま。飛田にくる理由は共通していて、ずばり金です。
ブランドものを買いすぎて消費者金融に手を出してしまい給料では返せなくなってしまったOLや、ホスト遊びで出費がかさみより多くの収入がほしくなったキャバクラ嬢など、みんなそれぞれお金の事情を抱えて飛田にやってきます。
思いのほか多い“厳しいお家柄”の子
出身地は多岐にわたっており、地元大阪や関西近県はもちろん、北は北海道から南は九州・沖縄まで、全国各地から来ます。名古屋や岡山に住む学生さんが、「通勤できますか」と面接にやってくることもありました。通勤しても働ける時間は限られています。新幹線で新大阪まで1時間半程度。そこから電車を乗り継いで飛田まで来たとして最低でも2時間はかかる。終電の時間を考えると勤務できるのは6時間ほどです。
「1週間、泊まりで働いてくれるんやったら交通費出すけど」
するといつも答えは一緒です。
「家が厳しくて、外泊できないんです」
開業当初はこうした子が思いのほか多いことに驚きました。厳しいお家柄の子がわざわざ飛田で働こうとする理由っていったいなんやろう。そのうえ学生さん? 勉強せなあかんやん、と思わず説教したくなったことも何度もありました。
しかし10年以上飛田で生きてきたいまではまったく驚きません。いまどきの若い子は行為に対する抵抗があまりないのか、握手するかのように軽い感覚で仕事をサクサクとこなしていきます。毎年夏休みや春休みの時期になると、1人や2人は学生がアルバイトで働きにくるほどです。
2年前は、現役の国立大学の学生で家がお医者さんの子が、夏休みの間だけ働いていました。
関東出身で風俗初経験。飛田なら研修も必要ないし大阪だから親ばれ、友だちばれの心配もないと踏んだのでしょう。
飛田の近くにマンスリーマンションを借り、2か月近く、生理のときもほぼ毎日働いて、300万円近いお金を貯め帰って行きました。
地方からきている子でいちばん多いのが九州・沖縄の子です。地元にいても仕事が少ないので、飛田を収入源にして、大阪で一人暮らしをしているのです。
私の店にも九州の子がいました。地元に彼氏がいるので月に1回帰っていましたが、帰るのは大阪で仕事のできない生理の日。これでは彼氏もかわいそうです。久しぶりに会うのだから、彼氏としてはエッチをしたいのに、毎回帰ってくるときは生理なのです。
さすがに彼氏も怪しみ出す。なんでよりによって帰ってくるときは必ず生理なんだろう? しかもなんで帰ってくるごとに羽振りが良くなっているんだ?
だんだん生活が派手になってきていることに本人は気づいていないのです。口のたつ子なら、
「私、大企業に入って今大阪に転勤してるの」
とでも言いわけをするのでしょうが、その子はうまく言い逃れできなかったらしく、彼氏にばれたあと親にもばれ結局九州の実家に戻っていきました。
“普通の主婦”が旦那公認で働く
飛田で働く子にとって重要なのはばれずに働くということですが、不思議なことに、遠くから来ていてもばれるときはばれる。北海道から出稼ぎに来ている女の子がばれたケースもあります。大阪なら安心だろうと4月から働き始めたのですが、ゴールデンウィークに親戚が大阪旅行に来て、伯父さんに店で座っているところを見つかってしまった。よりによって北海道の伯父さんが飛田に遊びに来てしまい、そのとき運悪く座っていたというのです。
その伯父さんも飛田に目的があってきたわけでしょうから、きまりが悪いことこのうえないはずです。ほかのお店の話なのでその後どうなったかはわかりませんが、以降その子を見かけなかったところをみると、親御さんに連れ戻されてしまったのかもしれません。
リーマンショック以降は、風俗などとは無縁に生きてきたごく普通の主婦が面接に来ることも増えてきました。旦那がリストラにあい、夫婦話し合いのうえ、旦那公認で働き始める。送り迎えは旦那で、店の近くまで車で来て、「頑張ってね」と言って送り出すのです。
これまで何度もこうしたケースを見てきましたが、次第に旦那が働く意欲をなくしていくことがほとんどです。
「あかん、早く仕事を探さんと」
最初はそう思っているのに、子どもの世話をするようになるとますます働く気をなくし、「子どもの面倒は僕が見とるから、お金のほう頼むわ」と専業主夫になっていく。
「奥さん飛田で働かせて、旦那は家でゴロゴロしてるんやろう? なんで離婚せえへんの?」
そう聞いてみても、彼女たちはなにも言わずにもくもくと働きます。
家に帰った奥さんを旦那がきちんとねぎらっていればそれもまた役割分担としてはいいのでしょうが、だめ出しをする旦那もいるから救いがありません。「もっと稼げるやろう」と勤務日を増やすよう要求するのです。
それで、「もっと稼がせてください」と泣きつかれたことが何度もありました。なぜそこまでして頑張るのか不思議です。子どもと一緒に実家に帰ればいいのに、なぜか頑張る人のほうが多い。勤務態度がまじめであればあるほど見ていて痛々しくなります。
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