
3月7日、政府は「国の特別の機関」とされている現在の日本学術会議法を廃止し、国から独立した法人格を有する特殊法人として新たに設置する日本学術会議法案を閣議決定した。
同月18日には日本弁護士連合会(日弁連)が「日本学術会議法案に反対する会長声明」を発表。
5月7~9日には市民団体や学者らが国会前でリレートークと「人間の鎖」アクションを行うなど、法案には多くの批判が寄せられている。
それでも政府は法案の成立に向けた歩みを止めておらず、国会での審議が速いテンポで進められている状況だ。
だが、その背後にある問題は複雑。報道は増えているものの、十分に周知されているとは言いがたいのが現状だ。
では、法案の本質的な問題とは何なのか。そもそも日本に学術会議が存在する意義とは何なのか。
2014年から2016年まで学術会議の第一部長を務め、2024年には『〈日本学術会議問題〉とは何か』(花伝社)を出版した、法学者の小森田秋夫氏(東京大学名誉教授・神奈川大学名誉教授)に話を聞いた。
小森田秋夫・東大名誉教授
人文・社会科学、生命科学、理学・工学の三部で構成され、各部にその分野の科学者が在籍する。「科学」といえばいわゆる「理系」のイメージも強いが、学術会議法では人文科学(=人文・社会科学)も「科学」と規定されている。
学問・学術に関わる権威ある団体、いわゆる「アカデミー」は諸外国にも存在するが、その多くは終身制を採用。
日本学術会議法の2条では、学術会議の目的が「科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」と定められている。
また、5条では、科学に関するさまざまな方策について学術会議は政府に「勧告」することができると定められている。小森田氏によると、発足当初の1950年代には勧告が活発に行われ、政府も勧告に対してある程度まで応じてきたという。
具体的には、1954年に学術会議が「原子力の研究と利用に関し公開、民主、自主の原則を要求する声明」を発表。これらの原則は、翌年に制定された原子力基本法の2条に反映された。
また、東京大学原子核研究所の設立(1955年)や南極観測への参加(1956年)も、学術会議の勧告をきっかけに実現したものである。
しかし、時代を経るにつれ、政府は学術会議を重視しなくなっていく。
とくに2001年以降は、内閣府の下に設置された「総合科学技術会議」(現「総合科学技術・イノベーション会議」)が科学技術政策の中心を担うようになり、政府から見た学術会議の役割はさらに小さくなっていった。
小森田氏によると、政府による問いに対して単に回答を与えるだけではなく、場合によっては政府の問いそのものを批判することもある点が、学術会議による提言の特徴であるという。
例として、2010年、政府(内閣府原子力委員会)は高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のゴミ」)処分場の選定がなかなか進まないことから、学術会議に対し処分についての取り組みのあり方について審議を依頼した。
これに対し学術会議は2012年に「高レベル放射性廃棄物の処分について」と題した回答を発表。
「そもそも原子力政策についての国民的合意がないままで、廃棄物の処分という部分的な問題について合意を得ようとするのは順序が逆である」という旨の指摘を行い、廃棄物を暫定的に保管する期間を設定しながら合意形成に取り組むべきであると指摘した。
ただし、学術会議の回答や提言などのいわゆる「科学的助言」はあくまで助言であって政府に対する強制力はない。
「とはいえ、審議を依頼しておきながら、政府は何ら応答していません。回答と異なる決定をするのなら、その理由について社会全体に説明すべきだと思います」(小森田氏)
一方、近年でも、学術会議の提言がきっかけとなって、2022年度から高校で日本史と世界史とを総合した「歴史総合」が必修科目になるなど、問題によっては政府も提言を受け入れている。
「つまり、都合のいい回答が出れば聞き入れ、都合が悪ければ無視するという態度を政府はとってきたのです」(小森田氏)
なお、政府や一般社会のほか、学問の世界に対しても学術会議は影響力を持っている。
大学教育の質保証のための教育課程編成上の参照基準を分野別に示したり、研究不正に対処する文科省のガイドラインを受けて規則案を提示したりするなど、科学者の自己規律に貢献。多くの大学も、学術会議の規則案をもとに研究倫理上のルールを整備している。
学術会議の会員は210人。任期は6年で、3年ごとに半数が交代する。当初は分野ごとに登録された科学者による直接選挙で選ばれていたが(公選制)、1983年に日本学術会議法が改正され、学術会議が推薦した候補者を内閣総理大臣が任命する制度となっている。
法改正の当時、中曽根康弘総理(当時)は「政府が行うのは形式的任命にすぎない」と答弁。
任命拒否の判断について、当時、菅首相は「推薦された方々をそのまま任命してきた前例を踏襲していいのか考えてきた」と記者会見やインタビューで答えていた。学術会議は任命拒否の理由について詳しい説明を求めたが、明確な回答はいまだ得られていない。
2021年10月に就任した岸田文雄総理(当時)も、任命手続きは終わっているとして会員候補6人の任命には応じておらず、以降、現在に至るまで学術会議は6名が欠員のままだ。
2024年2月20日、任命拒否された教授6名が原告となり、個人情報の不開示処分の取り消しを国に求める行政訴訟と、学者や弁護士ら166名が原告となり、行政文書の不開示処分の取り消しを求める行政訴訟が提起される。
関連記事:日本学術会議「任命拒否問題」の国賠訴訟が提起 「政府の説明責任」追求と「個人の名誉」回復を目的
昨年2月に提起された行政訴訟は現在も進行中(2024年2月20日都内/弁護士JPニュース編集部)
一方、小森田氏は以下のように指摘する。
「国の行政機関の中には、政府から独立した立場で機能することが想定された機関が存在します。たとえば人事院、原子力規制委員会、公害等調整委員会、会計検査院などです。
学術会議のように、国の機関でありながら、政府から独立した学術的立場から、ときには政府に批判的な見解を表明する機関が存在することは何ら矛盾ではなく、むしろ民主主義国家としての健全な姿です。
したがって、独立性担保の必要性を理由として法人化を肯定する議論は、前提から誤っています」(小森田氏)
そのうえで、法人化には「外部機関による組織運営への介入」と「財政面での政府の裁量への依存」の二点の問題があるという。
法案では、総理大臣が任命し業務を監査する「監事」、総理大臣が委員を任命し学術会議の活動を評価する「評価委員会」、会員外の者から会長が任命し、組織の管理・運営について意見を述べる「運営助言委員会」、そして同じく会員外の者から会長が任命し、会員の選定方針等について意見を述べる「選定助言委員会」と、多数の外部機関が設けられる予定。
法案が成立すると、確かに総理大臣は会員の任命権を持たなくなる。
しかし、監事が業務全般についての監査を行うほか、評価委員会が内閣府の下に設けられ、6年の「中期的な活動計画」を制定・変更するさいは、その意見を聴かなければならないなど、実質的には、政府による管理・監督の権限は、現在よりも強くなる。
「現在でも、学術会議は自律的な運営を保ちつつ、外部の有識者からも運営について助言や評価を受けています。それをわざわざ法律によって行おうとする点に、学術会議の運営を政府が『コントロール』しようとする強い意図がうかがわれます」(小森田氏)
しかし、財政について法案では、「予算の範囲内で政府が必要と認める金額を補助する」と規定するにとどまり、各種の財源については記載されていない。
法案に至る過程で学術会議のあり方について審議した「日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会」では、学術会議が外部のステークホルダー(利害関係者)と契約を結ぶことで外部から経費を調達する方法が想定されていた。
しかし、「高レベル放射性廃棄物の処分について」の回答などに示されていたように、相手の利害に忖度(そんたく)せず、科学的知見に基づき必要と判断される回答を出すのが学術会議の役割だ。ステークホルダーとの契約による経費調達では、この役割を全うすることが困難になる。
利害に左右されない、民間による寄付金も財源確保の手段のひとつだが、寄付文化が未発達な日本でこれがどれだけ安定した財源になるかは未知数であることは、誰もが認めているという。
「補助金については、政府(内閣府・財務省)が『中期的な活動計画』をふまえて予算案を査定することになります。現実的に財源を確保できる手段がほかにないため、学術会議の財政は政府の判断に大きく依存することになってしまうのです」(小森田氏)
2015年、防衛装備庁は全国の大学などを対象に軍事研究を公募・委託する「安全保障技術研究推進制度」を発足させた。これに対し、学術会議は「軍事的安全保障研究に関する声明」(2017年)で「将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ」ていると指摘。
また、学術研究は政治権力によって制約・動員される場合があるという歴史的な経緯をふまえ、研究の自律性や研究成果の公開性が担保される必要があると指摘したうえで、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって政府による研究者への介入が強まる懸念があると示した。
先述したように学術会議の声明に強制力はなく、防衛装備庁に「制度を廃止しろ」と要求することも、各大学に「応募するな」と命じることもできない。しかし、結果的に、声明をきっかけに多くの大学が公募に応じない方針を決定することになった。
このことが契機となり、政府は学術会議の事実上の影響力を問題視するようになったと見られる。
軍事に限らず、AI(人工知能)や生命科学、量子科学や宇宙科学などについても、政府は研究開発に投資する一方で、研究者に機微情報についての守秘義務を負わせようとしている。
「そのため、学問の公開性を重視する学術会議の立場は、政府にとっては『邪魔』になっているのです」(小森田氏)
小森田氏の著書『<日本学術会議問題>とは何か』(花伝社)
昨今では日本の「研究力」の低下が問題視されており、過去には政府が対策について意見を求めたこともある。その際、学術会議は「引用論文の多さ」など数量的な側面ばかりが注目されていることを批判し、「そもそも『研究力』とは何か」を問う姿勢を示した。
「政府や産業界は『時間軸や問題意識を共有した提言を出してほしい』と求めます。
しかし、高レベル放射性廃棄物処理のように、政権の任期をはるかに超えた長期的な視点から問題を考えることが必要な場合もあります。
科学的に考えるためには、考える『物差し』を広げることも必要であり、時間軸や問題意識が政府や産業界と異なることがあるのは当たり前と言えます」(小森田氏)
「コロナ禍の時期には専門家による委員会が設立されましたが、政府はその知見を都合がよい範囲で利用して、都合が悪い意見は無視しました。学問の知識を恣意的に選択して利用する傾向は強まっていると感じます」(小森田氏)
「科学のための科学」と「社会のための科学」については、これまでも国際的に議論されてきた。
社会に役立つ、応用的な科学的知見も、基礎研究の積み重ねがあってのものだ。しかし、国民からは「国がお金を出して保証する必要がどこにあるのか」「学者が好きなことをやるのを、社会が支える必要があるのか」との疑問が投げかけられることがある。
小森田氏も、基礎研究をふくむ科学・学術の意義について学術会議が国民に対し十分に理解を広めることができていなかった面があることを認めている。
「これまでにも学術会議は多数の提言や声明を出してきました。ウェブサイトで公開されていますので、ぜひこれらを読んでみてほしいと思います。学術会議の側でも、発信力を強化する必要があります。
そのためには財政的基盤を強化しなければなりませんが、必要なのは法人化ではなく、総合的な学術の立場から政府や社会の選択に寄与するという学術会議の公共的役割をふまえて、公費で支えるという政治的意思と社会の理解です」(小森田氏)
同月18日には日本弁護士連合会(日弁連)が「日本学術会議法案に反対する会長声明」を発表。
4月15日には、学術会議総会も、法案の問題点を具体的に指摘し抜本的な修正を求める声明と決議を採択した。
5月7~9日には市民団体や学者らが国会前でリレートークと「人間の鎖」アクションを行うなど、法案には多くの批判が寄せられている。
それでも政府は法案の成立に向けた歩みを止めておらず、国会での審議が速いテンポで進められている状況だ。
法人よりも国の機関の方が「独立性」が高い?
法案に対する主な批判は、「特殊法人化は学術会議の独立性を損なう」というものである。しかし、字面だけを見る限りでは、国の機関であるよりも法人となった方が「独立性」は高くなるようにも思える。だが、その背後にある問題は複雑。報道は増えているものの、十分に周知されているとは言いがたいのが現状だ。
では、法案の本質的な問題とは何なのか。そもそも日本に学術会議が存在する意義とは何なのか。
2014年から2016年まで学術会議の第一部長を務め、2024年には『〈日本学術会議問題〉とは何か』(花伝社)を出版した、法学者の小森田秋夫氏(東京大学名誉教授・神奈川大学名誉教授)に話を聞いた。
小森田秋夫・東大名誉教授
1950年代には多大な影響力を発揮したが
日本学術会議は、1948年制定の「日本学術会議法」に基づき、国の機関として1949年に発足。人文・社会科学、生命科学、理学・工学の三部で構成され、各部にその分野の科学者が在籍する。「科学」といえばいわゆる「理系」のイメージも強いが、学術会議法では人文科学(=人文・社会科学)も「科学」と規定されている。
学問・学術に関わる権威ある団体、いわゆる「アカデミー」は諸外国にも存在するが、その多くは終身制を採用。
これに対して、どの会員も6年のみの任期制であることが日本学術会議の特徴だ(会員の選出方法は後述)。
日本学術会議法の2条では、学術会議の目的が「科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」と定められている。
また、5条では、科学に関するさまざまな方策について学術会議は政府に「勧告」することができると定められている。小森田氏によると、発足当初の1950年代には勧告が活発に行われ、政府も勧告に対してある程度まで応じてきたという。
具体的には、1954年に学術会議が「原子力の研究と利用に関し公開、民主、自主の原則を要求する声明」を発表。これらの原則は、翌年に制定された原子力基本法の2条に反映された。
また、東京大学原子核研究所の設立(1955年)や南極観測への参加(1956年)も、学術会議の勧告をきっかけに実現したものである。
しかし、時代を経るにつれ、政府は学術会議を重視しなくなっていく。
とくに2001年以降は、内閣府の下に設置された「総合科学技術会議」(現「総合科学技術・イノベーション会議」)が科学技術政策の中心を担うようになり、政府から見た学術会議の役割はさらに小さくなっていった。
「核のゴミ」問題や「歴史総合」について提言
影響力や役割が縮小していく中でも、政府は諮問に代わって「審議依頼」を行い、学術会議もこれに対応してきた。小森田氏によると、政府による問いに対して単に回答を与えるだけではなく、場合によっては政府の問いそのものを批判することもある点が、学術会議による提言の特徴であるという。
例として、2010年、政府(内閣府原子力委員会)は高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のゴミ」)処分場の選定がなかなか進まないことから、学術会議に対し処分についての取り組みのあり方について審議を依頼した。
これに対し学術会議は2012年に「高レベル放射性廃棄物の処分について」と題した回答を発表。
「そもそも原子力政策についての国民的合意がないままで、廃棄物の処分という部分的な問題について合意を得ようとするのは順序が逆である」という旨の指摘を行い、廃棄物を暫定的に保管する期間を設定しながら合意形成に取り組むべきであると指摘した。
ただし、学術会議の回答や提言などのいわゆる「科学的助言」はあくまで助言であって政府に対する強制力はない。
「とはいえ、審議を依頼しておきながら、政府は何ら応答していません。回答と異なる決定をするのなら、その理由について社会全体に説明すべきだと思います」(小森田氏)
一方、近年でも、学術会議の提言がきっかけとなって、2022年度から高校で日本史と世界史とを総合した「歴史総合」が必修科目になるなど、問題によっては政府も提言を受け入れている。
「つまり、都合のいい回答が出れば聞き入れ、都合が悪ければ無視するという態度を政府はとってきたのです」(小森田氏)
なお、政府や一般社会のほか、学問の世界に対しても学術会議は影響力を持っている。
大学教育の質保証のための教育課程編成上の参照基準を分野別に示したり、研究不正に対処する文科省のガイドラインを受けて規則案を提示したりするなど、科学者の自己規律に貢献。多くの大学も、学術会議の規則案をもとに研究倫理上のルールを整備している。
6名の「任命拒否」は現在に至るまで継続
2020年、当時の菅義偉(すが・よしひで)総理は、学術会議からの新会員105名の推薦に対し、6名を任命から除外(拒否)した。それ以前にも良好とは言えなかった学術会議と政府との関係は、この問題によって明確に悪化する。学術会議の会員は210人。任期は6年で、3年ごとに半数が交代する。当初は分野ごとに登録された科学者による直接選挙で選ばれていたが(公選制)、1983年に日本学術会議法が改正され、学術会議が推薦した候補者を内閣総理大臣が任命する制度となっている。
法改正の当時、中曽根康弘総理(当時)は「政府が行うのは形式的任命にすぎない」と答弁。
以降も、この前提で学術会議の推薦どおり任命が行われてきた。
任命拒否の判断について、当時、菅首相は「推薦された方々をそのまま任命してきた前例を踏襲していいのか考えてきた」と記者会見やインタビューで答えていた。学術会議は任命拒否の理由について詳しい説明を求めたが、明確な回答はいまだ得られていない。
2021年10月に就任した岸田文雄総理(当時)も、任命手続きは終わっているとして会員候補6人の任命には応じておらず、以降、現在に至るまで学術会議は6名が欠員のままだ。
2024年2月20日、任命拒否された教授6名が原告となり、個人情報の不開示処分の取り消しを国に求める行政訴訟と、学者や弁護士ら166名が原告となり、行政文書の不開示処分の取り消しを求める行政訴訟が提起される。
関連記事:日本学術会議「任命拒否問題」の国賠訴訟が提起 「政府の説明責任」追求と「個人の名誉」回復を目的

昨年2月に提起された行政訴訟は現在も進行中(2024年2月20日都内/弁護士JPニュース編集部)
法人化すると「独立性」が損なわれる理由
今回の法案について、政府関係者や法人化を肯定する人々は「政府の一機関である学術会議が政府に批判的な立場をとるのは矛盾している」として、国の外にある法人とした方が独立性が担保できると主張している。一方、小森田氏は以下のように指摘する。
「国の行政機関の中には、政府から独立した立場で機能することが想定された機関が存在します。たとえば人事院、原子力規制委員会、公害等調整委員会、会計検査院などです。
学術会議のように、国の機関でありながら、政府から独立した学術的立場から、ときには政府に批判的な見解を表明する機関が存在することは何ら矛盾ではなく、むしろ民主主義国家としての健全な姿です。
したがって、独立性担保の必要性を理由として法人化を肯定する議論は、前提から誤っています」(小森田氏)
そのうえで、法人化には「外部機関による組織運営への介入」と「財政面での政府の裁量への依存」の二点の問題があるという。
法案では、総理大臣が任命し業務を監査する「監事」、総理大臣が委員を任命し学術会議の活動を評価する「評価委員会」、会員外の者から会長が任命し、組織の管理・運営について意見を述べる「運営助言委員会」、そして同じく会員外の者から会長が任命し、会員の選定方針等について意見を述べる「選定助言委員会」と、多数の外部機関が設けられる予定。
法案が成立すると、確かに総理大臣は会員の任命権を持たなくなる。
しかし、監事が業務全般についての監査を行うほか、評価委員会が内閣府の下に設けられ、6年の「中期的な活動計画」を制定・変更するさいは、その意見を聴かなければならないなど、実質的には、政府による管理・監督の権限は、現在よりも強くなる。
「現在でも、学術会議は自律的な運営を保ちつつ、外部の有識者からも運営について助言や評価を受けています。それをわざわざ法律によって行おうとする点に、学術会議の運営を政府が『コントロール』しようとする強い意図がうかがわれます」(小森田氏)
財政を「政府の判断」に依存させられる
法人化を主張する根拠のひとつは「現状では学術会議の経費は国庫から負担しているが、すべてを国の経費によって賄うのは困難であるため、学術会議自体で財源を確保して経費を稼げることを可能にする必要がある。そのためには法人化する必要がある」ということだった。しかし、財政について法案では、「予算の範囲内で政府が必要と認める金額を補助する」と規定するにとどまり、各種の財源については記載されていない。
法案に至る過程で学術会議のあり方について審議した「日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会」では、学術会議が外部のステークホルダー(利害関係者)と契約を結ぶことで外部から経費を調達する方法が想定されていた。
しかし、「高レベル放射性廃棄物の処分について」の回答などに示されていたように、相手の利害に忖度(そんたく)せず、科学的知見に基づき必要と判断される回答を出すのが学術会議の役割だ。ステークホルダーとの契約による経費調達では、この役割を全うすることが困難になる。
利害に左右されない、民間による寄付金も財源確保の手段のひとつだが、寄付文化が未発達な日本でこれがどれだけ安定した財源になるかは未知数であることは、誰もが認めているという。
「補助金については、政府(内閣府・財務省)が『中期的な活動計画』をふまえて予算案を査定することになります。現実的に財源を確保できる手段がほかにないため、学術会議の財政は政府の判断に大きく依存することになってしまうのです」(小森田氏)
「軍事研究」問題で政府の態度が悪化
任命拒否と法人化法案は、「学術会議をコントロールできるようにしたい」という政府の思惑に基づいている点で、地続きの問題だ。その背景には「軍事研究」をめぐる対立が存在する。2015年、防衛装備庁は全国の大学などを対象に軍事研究を公募・委託する「安全保障技術研究推進制度」を発足させた。これに対し、学術会議は「軍事的安全保障研究に関する声明」(2017年)で「将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ」ていると指摘。
また、学術研究は政治権力によって制約・動員される場合があるという歴史的な経緯をふまえ、研究の自律性や研究成果の公開性が担保される必要があると指摘したうえで、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって政府による研究者への介入が強まる懸念があると示した。
先述したように学術会議の声明に強制力はなく、防衛装備庁に「制度を廃止しろ」と要求することも、各大学に「応募するな」と命じることもできない。しかし、結果的に、声明をきっかけに多くの大学が公募に応じない方針を決定することになった。
このことが契機となり、政府は学術会議の事実上の影響力を問題視するようになったと見られる。
軍事に限らず、AI(人工知能)や生命科学、量子科学や宇宙科学などについても、政府は研究開発に投資する一方で、研究者に機微情報についての守秘義務を負わせようとしている。
「そのため、学問の公開性を重視する学術会議の立場は、政府にとっては『邪魔』になっているのです」(小森田氏)

小森田氏の著書『<日本学術会議問題>とは何か』(花伝社)
考える「物差し」を広げるのが学問の役割
科学や学問とは、問題を「そもそも」から考えるものだ。昨今では日本の「研究力」の低下が問題視されており、過去には政府が対策について意見を求めたこともある。その際、学術会議は「引用論文の多さ」など数量的な側面ばかりが注目されていることを批判し、「そもそも『研究力』とは何か」を問う姿勢を示した。
「政府や産業界は『時間軸や問題意識を共有した提言を出してほしい』と求めます。
しかし、高レベル放射性廃棄物処理のように、政権の任期をはるかに超えた長期的な視点から問題を考えることが必要な場合もあります。
科学的に考えるためには、考える『物差し』を広げることも必要であり、時間軸や問題意識が政府や産業界と異なることがあるのは当たり前と言えます」(小森田氏)
今後は国民への実質的なアピールが課題に
日本では政府の「学術に対する敬意」が非常に低い、と小森田氏は指摘する。「コロナ禍の時期には専門家による委員会が設立されましたが、政府はその知見を都合がよい範囲で利用して、都合が悪い意見は無視しました。学問の知識を恣意的に選択して利用する傾向は強まっていると感じます」(小森田氏)
「科学のための科学」と「社会のための科学」については、これまでも国際的に議論されてきた。
前者には、直接的・短期的な意義や応用方法は明らかでないままに、科学者が知的好奇心などに基づいて行う基礎研究もふくまれる。
社会に役立つ、応用的な科学的知見も、基礎研究の積み重ねがあってのものだ。しかし、国民からは「国がお金を出して保証する必要がどこにあるのか」「学者が好きなことをやるのを、社会が支える必要があるのか」との疑問が投げかけられることがある。
小森田氏も、基礎研究をふくむ科学・学術の意義について学術会議が国民に対し十分に理解を広めることができていなかった面があることを認めている。
「これまでにも学術会議は多数の提言や声明を出してきました。ウェブサイトで公開されていますので、ぜひこれらを読んでみてほしいと思います。学術会議の側でも、発信力を強化する必要があります。
そのためには財政的基盤を強化しなければなりませんが、必要なのは法人化ではなく、総合的な学術の立場から政府や社会の選択に寄与するという学術会議の公共的役割をふまえて、公費で支えるという政治的意思と社会の理解です」(小森田氏)
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