生活保護基準引き下げの「取り消し」を求める集団訴訟で、なぜ国が「敗訴」を重ねている? “オウンゴール”の理由とは
10年以上にわたって全国で争われてきた集団訴訟が、今年6月、最高裁での判決言い渡しというクライマックスを迎えると見られる。それは、2013年8月に実施された「生活扶助基準引き下げ」の取り消しを求める集団訴訟「いのちのとりで裁判」。

これまでに原告が地裁で19勝11敗、高裁では7勝4敗と、大きく勝ち越している。
公権力側が有利といわれる行政訴訟では、異例のことといわざるを得ない。その理由は、裁判を通じて国側の露骨な「不正」が明らかになったことにある。その「不正」は国側の「オウンゴール」を招いてきた。最高裁判決を前に、裁判の経緯を振り返ろう。(みわ よしこ)

それは、“自民党の公約”から始まった

2012年12月、衆議院選挙によって自民党が圧勝し、民主党政権から自民党政権への政権交代が行われることとなり、第二次安倍内閣が発足した。
自民党の選挙対策の目玉の一つは、生活保護基準のうち生活費分(生活扶助)を10%引き下げ、不正受給に厳しく対処することであった。
生活保護が「ゼイタク」と言えるほどの生活水準を保障していた時期はない。金額ベースで0.5%程度の不正受給が、いわゆる“本当に困っている人”を苦しめていたという事実もない。
しかし、「ゼイタクすぎる生活保護のせいで、私たちの税金が無駄食いされる」「不正受給のせいで、本当に困っている人に助けが届かない」といった言説の人気に対して、ファクトはあまりにも無力だ。
さらに、2012年4月からゴールデンウィークにかけてメディアをにぎわせた「人気お笑い芸人の母親が生活保護受給」というメディアスクラムと世間の反応も重なった。お笑い芸人と母親の対応には違法性は全くなかったにもかかわらず、「炎上」の格好のターゲットとされた形であった。
結果として、生活保護基準を引き下げて利用しにくくする“正義”を掲げた自民党は、年末の総選挙で勝利した。
そして2013年1月、厚生労働省は生活保護基準の引き下げ方針を示した。
引き下げ幅は、全国平均で6.5%。自民党の当初案「10%」よりは少なく抑えられたが、それでも生活保護世帯にとっては大打撃だ。
この方針は、同月に取りまとめられたばかりの社会保障審議会・生活保護基準部会(以下、基準部会)の報告書を参照して決定されているべきものだった。しかし、引き下げ幅のうち87%分の根拠である「デフレ調整」は、報告書のどこにも書かれていなかった。

「生活保護基準は引き下げるべき」という根拠は「なかった」

生活保護基準は、政治的な動きとは一応は無関係に、専門的・科学的に検討される。基準部会は2011年より、5年おきに予定されている生活保護基準見直しのために検討を継続していたところだった。
同部会が2013年1月に公開した報告書には、当時の生活保護基準が低すぎた可能性、特に地方在住者および単身者世帯に対して低すぎた可能性、さらに参照する所得階層や計算方式について検討を要する可能性が示されていた。
しかし、「生活保護基準は引き下げるべし」と読み取れる文言は全くなかった。
具体的な給付水準の上下を決定するのは厚生労働大臣(厚生労働省)の役割である。基準部会の役割は、専門的な見地から、その重大な決定に際して踏まえるべき事項を提示することである。
にもかかわらず、2013年1月に示された政府方針において、基準部会報告書の内容は「ゆがみ調整」という名目で、引き下げに用いられた。さらに、基準部会で全く議題に上ったことのなかった「デフレ調整」が、引き下げの主要な根拠に用いられた。

後に、基準部会の委員たちの中から「承知していない」と異議の声が上がることとなった。

「こんなん、あり得ん!」ジャーナリストの直感

厚生労働省のいう「デフレ調整」とは、「生活保護世帯の消費においては物価が下落していたので、対応させるために給付水準を引き下げるべきである」という内容であった。厚生労働省は、独自の物価指数「生活扶助相当CPI(CPI=物価指数)」を開発し、生活保護世帯における2007年から2012年にかけての物価下落幅を「4.78%」とした。
ジャーナリストの白井康彦氏(当時、中日新聞社)は、見た瞬間に「こんなん、あり得ん!」と直感したという。もともと経済記者だった白井氏にとって、約5%という物価下落は恐慌レベルであり、生活保護世帯限定であっても平時に起きるわけはなかった。
白井氏はメディアのみならず、政界・学術界を巻き込み、2013年末ごろまでには「生活扶助相当CPI」の内実をおおむね明らかにしていた。
品目の選択においては、なぜか電気製品や情報機器の購入が異様に多かった。計算においては、現在はほとんど使用されていない計算方式が、なぜかツギハギ的に用いられていた。参照する年においては、「2012年と5年前の2007年」といった自然かつ妥当な選択ではなく、「2011年と2008年」という謎の選択が行われていた。
2011年は東日本大震災、2008年はリーマンショックの年なので、いずれも通常時には見られない物価の動きがあり得る。そもそも、そのような年を含める必然性がなかった……すべては、恐慌レベルの物価下落を算出するための操作であった。その後、他のジャーナリストの活動によって、隠れていた疑惑の計算がさらに発見された。
なお、厚生労働省が独自に物価指数を計算して政策決定に用いることには、計算が妥当であっても「なぜ、総務省の物価指数ではないのか」という問題がある。

もし、こうした方法が許されるのであれば、各省庁間で見解が対立する場合、それぞれが独自に根拠となる統計や算定方法を乱立させても良いことになる。
そのような混乱を防ぐために、総務省統計局がある。基幹統計における重大な不適切事案は、統計法違反による処罰の対象になる。生活保護基準は、基幹統計に含まれていないため、厚生労働官僚が不適切な操作によって処罰されることはない。とはいえ、重大であることに変わりはない。

誰かが「訴える」しかなかった

さらに、もし物価下落が事実であったとしても、年金と同様の「物価スライド」を生活保護に持ち込むことに問題があった。1980年代以来、生活保護基準と消費者物価の関連づけは、物価そのものを直接参照するのではなく、「水準均衡方式」によって行われていたからだ。
年金と生活保護は、目的も給付水準の根拠も全くの別モノである。基準部会を差し置いて「物価スライド」を持ち込むことには、生活保護基準という重要な政策決定に関する適正手続きという面からも問題がある。しかし、事実上、異議申し立ての手段は司法だけである。つまり、誰かが裁判に訴えるしかない。
2013年8月に生活扶助引き下げが開始されると、生活保護を利用している当事者たちが、全国で取り消しを求めて審査請求を行ったが、「お約束」として却下された。
その後、全国29都道府県で31原告団の約1000人が引き下げの取り消しを求めて提訴し、10年以上にわたって裁判を継続している。
この集団訴訟は、作家・社会運動家の雨宮処凛(あまみや かりん)氏の命名による「いのちのとりで裁判」という名称で知られている。他に、個人で同様の訴訟を行った事例もある。

異例尽くしの裁判、地裁でも高裁でも原告勝訴の連続

日本の行政訴訟は、おおむね「国が勝つ」と相場が決まっているようなものである。原告が勝訴すれば国に多大なインパクトが及ぶと予想される場合、まず、原告は最終的には勝訴できない可能性が高いと考えておくべきだろう。
生活保護においては、2006年に完全廃止された老齢加算に対して、廃止の取り消しを求める集団訴訟という前例があった。この訴訟においては、福岡高裁で原告勝訴となったものの、他は地裁・高裁ともすべて原告が敗訴。2014年に最高裁で原告敗訴が確定した。
老齢加算が廃止されたことの影響は、現在も、生活保護での高齢者の暮らしを非常に厳しく締め付け続けている。
「いのちのとりで裁判」も、当初、弁護団の弁護士たちは「老齢加算の時と同様の経緯をたどるのではないか」と予想していることが多かった。しかし、すでに言い渡された地裁判決30例のうち19例で勝訴、高裁判決11例のうち7例で勝訴となっている。まことに異例である(【図表】参照)。
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【図表】これまでの原告の勝敗一覧(5月12日時点)(出典:いのちのとりで裁判全国アクション)

異例の原告勝訴の秘密は、最初に仕込まれていた“オウンゴール”

「いのちのとりで裁判」が老齢加算裁判と最も異なるのは、国のやり方があまりにも「お粗末すぎる」点である。
老齢加算廃止においては、生活保護で暮らす高齢者たちの生存権は侵害されたが、形式的には「国は妥当だった」「裁量権の範囲」と主張できる要素が整っていた。
しかし「いのちのとりで裁判」においては、白井氏らが明らかにした計算の恣意性とデタラメさに加え、基準部会を差し置いて引き下げが決定されたプロセス、年金の「物価スライド」を強引に生活保護基準に持ち込んだ事実、省庁が政策決定と実行のための仕組みを自ら「骨抜き」にした経緯……いわゆる「あれもありの、これもありの」だ。

もちろん、生活保護で暮らす人々は生活水準を強制的に引き下げられ、生存権が保障されているとは言えない状態に置かれるという被害を受けている。
さらに、元「中の人」による証言という「追い風」も吹いた。
引き下げが決定された当時、基準部会の部会長代理(内容に関する実質的なトップ)を務めていた岩田正美氏(日本女子大学名誉教授)が、原告側証人として自らの経験と見解を語った。
2019年、岩田氏は名古屋地裁の証人席において、基準部会が引き下げの根拠や“お墨付き”を与えた事実はないこと、部会と委員たちのあずかり知らぬ形で引き下げが行われたことを、明確に述べたのである。
とりあえず裁判においては、不適切な根拠に基づく不適切な政策決定が行われ、実施され、被害を与えていることを示せば十分である。政権に忖度しない裁判官なら、敗訴させる理由がない。
原告勝訴となった判決文は、おおむね、「……の枠組みで、……の事実や根拠を検討すると、この引き下げには妥当性がなく、裁量権の濫用であり、国が憲法25条の定める生存権を保障することを阻害し、生活保護受給者を苦しめている。『取り消すべき』という結論しか出てこない」というトーンである。
他方で、原告敗訴となった判決文を読むと「自民党がそうしたいと言って、選挙民が勝たせたんだから、仕方ないじゃないか」といった、まるで開き直りのような文言が見られたりもする。

試されているのは司法、三権分立、そして日本

2013年以来、生活保護で暮らす人々の受難は続いている。2013年の生活扶助引き下げの後も、冬季加算および住宅扶助の引き下げ(2015年)、そして再度の生活扶助引き下げ(2018年)が続く他、細かな締め付けは数え切れない。
生活保護での医療を国民健康保険よりも劣悪な位置に置く方向の法改正や通知も続く。
そこに収束の気配も見えない物価上昇やコロナ禍の影響が重なり、酷暑の夏や厳寒の冬には生命を危険にさらされる場合もある。
日本における「健康で文化的な最低限度の生活」、すなわち日本の生活の基本が、このままであって良いわけはない。しかも生活保護基準は、国だけでも約60の制度について参照基準となっているため、日本の多くの人々にとって文字通りの「わが事」であるはずだ。最高裁判決には、心から期待したい。
同時に、最高裁で原告が勝訴した場合も敗訴した場合も、きわめて大きなインパクトが予想される。
原告が勝訴し、国が生活保護基準を2013年水準に戻すことを命じられる場合、数千億円が必要になる。さらに次年度以後も、その数千億円を生活保護費に上積みし続ける必要がある。
生活保護費削減を求め続けてきた財務省や自民党は、大転換を強いられることになる。日本にとって必要なことではあろう。しかし、どれほど困難であろうか。
逆に原告敗訴となった場合も、悲観するには及ばない。すでに、地裁および高裁で示されてきた多数の判断がある。それらの判断は、何らかの形で今後の政策決定に反映される可能性が高い。2013年の引き下げを決定した厚生労働省は、その後の司法判断を重く受け止めているようだ。
とはいえ、楽観はできない。基準部会の委員の人選を行うのは厚生労働省であるから、そこに財務省や自民党の意向を反映できるようにしておいた上で、「司法判断は重く受け止めたことにする」という成り行きもあり得る。
いずれにしても、「最高裁判決が出れば、一件落着」というわけではない。生活保護政策決定の仕組みの改善を含め、引き続き、注視していく必要がある。最高裁判決をスタートラインとして、生活保護を通じて日本の明日をどのように変えていくのか。日本に暮らすあらゆる人々が、試されている。


■みわ よしこ
フリーランスライター。博士(学術)。著書は『生活保護制度の政策決定 「自立支援」に翻弄されるセーフティネット』(日本評論社、2023年)、『いちばんやさしいアルゴリズムの本』(永島孝との共著、技術評論社、2013年)など。
東京理科大学大学院修士課程(物理学専攻)修了。立命館大学大学院博士課程修了。ICT技術者・企業内研究者などを経験した後、2000年より、著述業にほぼ専念。その後、中途障害者となったことから、社会問題、教育、科学、技術など、幅広い関心対象を持つようになった。
2014年、貧困ジャーナリズム大賞を受賞。2023年、生活保護制度の政策決定に関する研究で博士の学位を授与され、現在は災害被災地の復興における社会保障給付の役割を研究。また2014年より、国連等での国際人権活動を継続している。
日本科学技術ジャーナリスト会議理事、立命館大学客員協力研究員。約40年にわたり、保護猫と暮らし続ける愛猫家。


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