ただし、子の「意思」を確認することは容易ではない。特に、子が一方の親の影響下にある場合、子が発する言葉や表現が本心を表しているかは、慎重に吟味する必要がある。その場面で重要な役割を果たすのが、家裁調査官である。
家裁調査官はどのようにして子の真意を探り出すのか。そして、それをもとに最終的に裁判所がどのような判断を下すことになるのか。今日も現場で奮闘する現役の家裁調査官・高島聡子氏(京都家庭裁判所・次席家裁調査官)が自身の実務経験をもとに語る。(最終回/連載全6回)
※本記事は家裁調査官・高島聡子氏の著書「家裁調査官、こころの森を歩く」(日本評論社)より一部抜粋・再編集したものです。なお、記事中の具体的な事実関係はモデルとなった実際の事件とは異なるものに設定しています。
【第5回】毒母”が張りめぐらした「クモの巣」…父と共に家を出た“娘の真心”を知り、母がとった“行動”とは【家裁調査官解説】“
「ぼくのパパはおにみたいな人です」と小1息子に書かせた母
机の上の手紙を見ると、またため息が出た。今から面接をする母親が提出してきたものだ。便箋のアニメキャラの絵柄は可愛らしく、鉛筆書きの筆跡もあどけないが、内容は穏やかではない。
「はいけい、さいばん官さま/ぼくのパパはおにみたいな人です/ママにお金もあげなくて、ばりぞうごんをいって、ママをくるしめます/こわいかおでぼくをにらみました/しゅくだいがわからないとあたまをギューとしました/かおをみるのもこわいです」
書いたのは小学1年生の男の子。
平成25(2013)年に施行された家事事件手続法では「子の意思の把握(65条)」という条文が新設された。その内容は以下の通り。
「家庭裁判所は、親子、親権(中略)未成年者である子がその結果により影響を受ける家事審判の手続においては、子の陳述の聴取、家庭裁判所調査官による調査その他の適切な方法により、子の意思を把握するように努め、審判をするに当たり、子の年齢及び発達の程度に応じて、その意思を考慮しなければならない」
この規定を知ってか知らずか、この母は、家庭裁判所の審理に、子どもが書いた手紙を出してきた。しかし、面接で母の話をどれほど掘り下げても、子がここまで父を嫌う理由になりそうなエピソードは出てこず、話はいつの間にか母の父に対する嫌悪感に帰着していく。
なのに母は言う。
「これを読めば、いかに父親が子を苦しめたかわかるでしょう。私は息子の本当の気持ちを知ってもらいたいだけなんです」
「なるほど。これはどんな状況で書かれたか教えてもらえますか」
「えっ? 状況? 息子が自発的に書いたんです。ええ、自分から。賢い子ですからね、調停のことも聞きたがるんで、あちらが出してくる書面の中身も説明します。『パパお金の話ばっかりだね』って言います。
「すぐ書けましたか」
「いえ、すぐには。だから、前のおうちであんなことがあったわよね、って話をしましたよ」
「そう。あなたはこれを読んで、お子さんに何かおっしゃった?」
「とってもよく書けたわよって。あなたがパパと暮らしたくない気持ちを、これでみんなわかってくれるわよって言いました。私が無理に書かせたんじゃないっておわかりでしょ?」
母も父も条件は「互角」…だが
子を自宅に残し、母が単身で家を出たのは3か月前のことだ。離婚に応じない父に業を煮やしたと母は言うが、子を置いて出た理由の本当のところはわからない。しばらくして母は父に面会交流を求め、週末ごとに子を自宅に泊めていたが、ある週突然「これからは私が子を育てる。子も帰りたくないと言っている」とだけ父にメールを送り、そのまま父宅に子を返さなくなった。
父は家裁に子の監護者の指定、子の引渡し、保全処分事件を申し立てた。
ほぼ同時に母が申し立てたのは夫婦関係調整と婚姻費用事件で、父がすんなり婚姻費用の支払いに応じるわけもなく「金の話ばかり」なのはそのためだ。
条件は互角だ。どちらも失格ではないが、満点とも言いがたい。両親の子に対する愛情に優劣があるとは思わないが、母は少しばかり感情的でルーズ、父は少しばかり神経質で口うるさい。
双方仕事があり、祖父母の援助を得てはじめて成り立つ子育てだ。同居中の監護実績も、母が夜勤のある仕事だったせいもあり、どちらが中心と言い切れるほどの差もなかった。
子の監護を始めた経緯から自分の旗色が悪いとでも思ったのか、決め手とばかりに母が提出してきたのが冒頭の手紙だった。
父は面接で、疲れた表情で「もう妻に何を言われてもこたえないが、これは正直しんどい。こういうのが私にとって一番ダメージが大きいとわかって出してくることが許せない」と言った。
「いじわるなパパ」と書かれた父の正体は…
数日後、私は子に会いに行った。サッカーのユニフォームを着た丸坊主の男の子が、くりくりした目でじっとこちらを見上げている。母も交えてひとしきり日常生活の話を聞く。最初は警戒していた子も、私がやり方を教わりながらお気に入りのカードゲームに興じると緊張がほぐれてきた様子だった。
母には「子に気配を感じさせないように」と依頼し、席を外してもらって話を始める。しかし、子の視線はたびたび母の出ていったドアに向く。
「あのさ、お手紙書いてくれたね? ポケモンの便箋で」
「パパ怒ってる? 会いたくない」
「怒ってないよ。心配してたの?」
「パパに何も言わずにこっちに来たから。
「あのお手紙、どうやって書いたか教えてくれるかな」
「ママがね、ママを助けるために書いてって」
「そっか。『ばりぞうごん』ってどんな意味なの?」
「いじわるのことだってママが教えてくれた。パパだめだよね」
子からも、そこまで父を嫌うだけの話は出てこない。そして子は、話しながらも隣室の母が立てる物音にピクリと反応している。
息子はパパから離れなくなった
子の面接の後、裁判所内で親子が実際に会う場面を観察する「親子交流場面観察調査」を実施することにした。「会わせないとは言ってない。離婚が成立して私が親権者に決まったら会わせると言ってるのに」と母は当初拒否したが、子の心情を正しく把握するためには必要な調査だと伝えると、渋々了承した。
調査に際しては、父母に二つだけ約束を求めた。子の前では穏やかに振る舞うこと、子にどちらと暮らしたいとか、父に会いたいかなどと聞かないこと。
児童室で、まず母子で遊んでもらう。父が入室すると、子は母の腕にぎゅっとしがみついたが、母が穏やかな声で「パパに元気な顔を見てもらおう」と背中を押すと、子はおずおずと父に笑顔を見せた。
父も、母に「寒かっただろう。
室内の様子を見ることができるモニター室で様子を見ていた母は青ざめていたという。
子の意思は「二者択一」ではない…裁判官が下した“納得の決定”
「子の意思の把握」という言葉から、単刀直入に父母どちらと暮らしたいかと子に聞くかのように思う当事者もいるが、それは違う。多くの場合「子の意思」は二者択一ではない。普通の親子なら、どちらの親とも楽しい思い出があり、叱られて苦い思い出がある。
父母の不和によりぎくしゃくした雰囲気になったり、余裕を失う親もいたりするが、それでも多くの親は、夫婦の不和があっても懸命に子に愛情を注ぐ。だから、子どもの親に対する感情というのは、色とりどりのマーブルチョコのように、好悪さまざまな感情が混ざっているのが自然な姿だ。
ただし、父母の紛争に巻き込まれる時、子が示す言葉は極端なものになりやすい。一方の親との別離を経験した子は、親との関係が不変ではないと感じ取り、残るもう一方の親にしがみつく。
また、同居親が意図する、しないにかかわらず、別居親に対する自分のマイナスイメージを伝えてしまっていることも多い。
この手紙のように、合理的な理由もないのに子が別居親に極端な拒否を示す場合、調査官はそれが書かれた状況はもとより、背景にある親子関係全体の動きを含めて考える。
さまざまな要素で甲乙つけがたかったこの事案で決定打となったのは、皮肉にも例の手紙だった。ただし、母の望む方向ではなく。
裁判官は「父と暮らしても母を嫌いにはならないが、母と暮らせば父を嫌いになる。条件が互角なら、どちらが子どもにとって幸せかわかるでしょう」ときっぱりと言い、父の申立てを認めた。
高島 聡子
京都家庭裁判所次席家裁調査官。1969年生まれ。大阪大学法学部法学科卒業。名古屋家裁、福岡家裁小倉支部、大阪家裁、東京家裁、神戸家裁伊丹支部、広島家裁、神戸家裁姫路支部などの勤務を経て2025年から現職。現在は少年事件を担当。訳書に『だいじょうぶ! 親の離婚』(共訳、日本評論社、2015年)がある。(役職は2025年5月現在)