起訴状によると、被告人は2024年5月14日午前4時10分ごろ、発熱で意識がもうろうとしながら大型トラックを運転。その数時間後、トラックや乗用車に追突し、乗用車を運転していた3人が死亡。追突されたトラックに乗っていた3人にケガを負わせたとされる。
捜査段階で被告人は、事故2日前から発熱、当日も抗ヒスタミン薬を飲んで運転していたと説明。事故現場では「事故の前から記憶がない」と話していたという。
東京地検は服薬が運転に与えた影響も視野に入れ、昨年6月から被告人を鑑定留置し、同年12月に起訴した。
事件前、被告人がとっていた驚きの行動
冒頭陳述で明らかになったのは、遺族も耳を疑う驚きの事実だった。被告人は、「勤務先に迷惑をかけられないから」と、市販の風邪薬を服用のうえで出勤したとしていたが、その前後2日間で親密な関係にあった知人女性と500件以上のLINEをやりとり。
事故直前も右手でハンドルを握り、左手ではスマートフォンを操作。知人女性とLINEでメッセージをやり取りしていたという。
また、被告人は事故後に離婚し、LINEの女性とは別の女性と再婚したことも明らかになった。
なぜ、“訴因変更”を断念したのか
被害者の遺族らは、死者数や悲惨な事故状況も含め、過失運転致死傷罪より刑罰が重い危険運転致死傷罪への訴因変更を求めていた。検察は、約6か月におよぶ鑑定留置により、当時の被告人の状況などもふまえ、さまざまな角度から訴因変更の可能性も探ったが、最終的には「断念した」という。
遺族の代理人を務める髙橋正人弁護士らは、被告人が事故当日、(1)発熱(2)抗ヒスタミン薬服用(3)2日間で500件以上の知人女性とのLINEのやりとりは自覚しており、眠気を故意に誘発していたことなどを根拠に、検察に対し訴因変更を迫った。
だが、被告人は小学校時から意識覚醒能力が高く、昼間に眠気を感じる自覚症状がなかった。そのため、医者にかかったこともなく、睡眠時無呼吸症候群の自覚もなかったという。
髙橋正人弁護士は、「被告人は事故当時、重度の睡眠時無呼吸症候群だったことは間違いない。ただし、被告人は昼間に眠気が生じない。こうした例外的なタイプもあることが最近分かってきた。故意でないから危険運転にならない。
被告人は重度ながら、『潜在的な』睡眠時無呼吸症候群ということで『自覚がなかった』。だから検察庁は訴因変更を断念したということです」と明かした。
被害者遺族らもこの判断を受け入れざるを得ず、「訴因を変更してほしいという強い思いはあるが、私たちも諦めた」(髙橋弁護士)と唇をかんだ。
被害者側は会見で無念さあらわに
初公判後、会見した被害者側弁護士や遺族らは、怒りと無念さをあらわにした。上谷さくら弁護士は「被告人にはLINEとは別の交際相手もおり、再婚しています。事故からまだ3か月の辛いはずの時期です。
会社に無理やり働かされたとの報道もありましたが、自分から『大丈夫です』と言っており、かわいそうな人ではありません。
それどころか、発熱の自覚があるにもかかわらず交際相手と延々とLINEをして睡眠を全くとっていなかったのです」と、被告人の事故前後の行動を批判した。
船本宏司さんを亡くした妻の恵津子さんは、「絶対に夫の仇を取ると誓って出てきました。初めて被告人をみたんですが、ずっと微動だにせず、表情を変えず、検事を見たまま話を聞いていました。
主人の亡くなる瞬間をドライブレコーダーで流されたんですけど、その時もまるで他人のことのように、犯人なのに下を向くとか申し訳ないとか全く見られない表情でなんとなく傍聴人と同じように見ていました。
事件記録も閲覧しましたが、一言で言うと、『一体、私たちはなにを見せられているんだろう』という強い怒りと落胆の気持ちでいっぱいでした」と涙ながらに語った。
杉平裕紀さんを亡くした妻の智里さんは、高校3年生の息子、将貴さんを帯同し会見にのぞみ、報道陣に協力を求めた。
「被告人は『休めない』と話したそうですが、『休まない』です。『め』が『ま』に変わるだけで世論の認識も変わります」(智里さん)
弁護団としては、訴因変更が難しくなった状況から、現状の最高刑となる「懲役7年」を求刑する意向という。
智里さんは「過失運転致死罪で有罪判決が下されても最高刑が7年。危険運転致死の最高刑20年との差があまりにも大きすぎます」と切実に訴えた。