一方で、この一連の裁判をめぐっては、司法の信頼性を揺るがしかねない疑惑が浮上している。地裁判決のうち二つの判決文が、その前の判決文からいわゆる“コピペ(コピー&ペースト)”された可能性があるというのだ。
疑惑について、同裁判に長年取り組む弁護士と、三重・津地裁で原告勝訴の判決を書いた元裁判長にそれぞれ取材した。(ライター・榎園哲哉)
「NHK受診料」“誤字”からコピペ疑惑が…
裁判所の信頼も揺るぎかねない判決文のコピペ疑惑。それは、判決文中の“変換ミス”で明らかになった。2021年5月に原告敗訴となった福岡地裁の判決で、判決文中に本来は「NHK受信料」と記されるべきところが「NHK受診料」と誤って記載された。そして、これと全く同じ誤字が、続く同9月の京都地裁、同11月の金沢地裁(ともに原告敗訴)での判決文でも見られたのだ。
判決文を書き写している際に誤字に気付いたという「いのちのとりで裁判全国アクション」事務局長の小久保哲郎弁護士は、「全国で行われている集団訴訟の判決において判断理由が似ていることはよくあるが、誤字まで同じというのは初めてではないか」と憤る。
「判決文は3人の裁判官と書記官の少なくとも4人がチェックする。(誤字を記した)福岡はもちろん、(コピペした可能性がある)京都、金沢の3地裁で12人以上が誤字を見逃していたということで、裁判官らの気の緩みを感じる」(小久保弁護士)
また文章も随所で酷似していることが分かり、メディアもこの「コピペ疑惑」を大きく報じた(「信濃毎日新聞」2021年12月16日付朝刊ほか)。
原告勝訴判決を書いた元判事「コピペ判決文が生まれる“背景”に問題がある」
そもそも、判決文の作成にあたってはどのようなルールがあるのか。判決文を作成するのは、審理を担当した3人もしくは1人の裁判官。
民事訴訟法253条では判決書(文)に記載しなければならない事項として、①主文、②事実、③理由、④口頭弁論の終結の日、⑤当事者及び法定代理人、⑥裁判所を定めている。
ただし、判決書の構成・書式等については、最高裁判所広報課によると「特定のルールを定めたものはない」という。
ページ数(文字数)についても決まりはなく、判決の結論を冒頭の「主文」で示した上で、それに続けて段落・項目ごとに細分化した「事実及び理由」を述べるという構成が一般的だ。
また、著作権法13条は、広く国民に開放する必要性から「裁判所の判決」等については小説や論文などに保障されている著作権を認めていない。
「いのちのとりで裁判」の津地裁で裁判長として審理を行い、判決文も書いた竹内浩史元判事(3月末退官。現在は立命館大学法科大学院教授、弁護士)は、「コピペ判決文そのものは、たいした問題ではない」とする。
「極端な話、自分の頭で考えて事実認定を行い、法を適用し、それが先行する裁判例とまったく同じ内容のものであれば、判決理由が同文となっても、何ら問題はないと考えている。
判決は分かりやすく、その論理・事実認定の過程が検証できるものでなければならず、かつ、それで足りる」
その上で、コピペ判決が作成される“背景”に問題があるとして、三つの要因を挙げる。
“思考停止”か…元裁判長が語る“コピペ判決”3つの背景
まず一つ目は、「判決文が長過ぎること」だという。前述した通り、判決文のページ数に決まりはないが、A4サイズで100ページ以上に及ぶものも少なくない。
竹内元判事は「それだけ長いと隅々まで目が行き届かない。裁判所には判決のデータがあり、全部をコピペすることもできる状態で、前の(裁判の)判決の使えるところは使おうと誘惑が働くのはある意味当然のことだ」と指摘する。
第二に、「いのちのとりで裁判」では、これまでに31の訴訟が争われているが、このように「(集団訴訟として)同じ裁判が同時に何十件も並行していること」も、同様の誘惑が働く理由の一つになっているという。
さらに竹内元判事は、より深刻な三つ目の背景を「裁判官が自分の頭で考えることをしなくなっていること」だと語る。
なぜ、裁判官が自分の頭で考えられなくなっているのか。竹内元判事は、「判決の表記や言い回しといった形式面の偏重」が原因だと分析する。
「漢字の送り仮名や、コンマ(,)ではなく読点(、)を使うことなど、細部にまでわたって裁判所が言い回しや表記を統一しようとしがちで、(裁判官が)思考を縛られてしまう」(竹内元判事)
また、上級裁判所の意向をおもんぱかり、「思い切った判決はしない」という個々の「裁判官の独立」に関わりかねない背景もあるようだ。
「単に過去の判例を引いてきて『こちらが勝ちです』という裁判だったら、AIの方がよほど優秀な作業を行うだろう。しかし裁判は、単に過去の判例を機械的にあてはめて結論を導くものではない。
判例といっても、あくまでも個別の事案に即したものであり、類似の事案すべてにあてはまるとは限らない。社会的な背景や、個々の事件が持つ事情や文脈を慎重に踏まえたうえで、法的妥当性を判断しなければならない」(同前)
実際、竹内元判事は、津地裁での判決文(令和6年(2024年)2月22日判決)に、生活保護費の引き下げについて「平成24年(2012年)の衆議院議員総選挙で政権復帰が想定されていた自由民主党が発表していた生活保護費を10%削減するとの方針ないし選挙公約に忖度」して引き下げたと、政治的背景にまで踏み込んだことが話題になった。
「先行する名古屋高裁判決(令和5年(2023年)11月30日判決)が完璧な理屈を組み立てていたので、別の角度からの表現を盛り込んだ。
言及するかしないかは別として、証拠を虚心坦懐に吟味すれば、自民党の政権公約への忖度があったというのは、常識的な事実認定だと考える」(同前)
憲法76条3項は、「裁判官はその良心に従い、独立して職権を行い、憲法と法律のみに拘束される」と定めている。裁判官が従うべきとされているものとして「憲法と法律」と並んで「良心」が挙げられていることの意味を、よくよく考える必要がある。
良心は“自由な思考”からしか生まれ得ないはずだからである。
■榎園哲哉
1965年鹿児島県鹿児島市生まれ。