私は行政書士として、過酷な労働に苦しんでいるという人には、「迷わず、すぐに辞めてください」とアドバイスすることにしています。
なぜなら、まずは自分の身を守ることが第一であり、収入がなくなることなど、経済的なリスクは、これから説明する、さまざまな公的支援のしくみによって、後で何とかなるからです。
また、無理した結果、心身の障害を負ってしまうと、取り返しがつかなくなるリスク、経済的にさらに苦境に陥るリスクもあります。
たとえば、働いて収入を得ることが困難な状態に陥った場合のセーフティーネットとして、障害年金の制度があります。しかし、障害年金の受給要件には、あまり知られていない「落とし穴」があります。それを知らないと、障害年金を受給できないことがあるのです。
ただし、日本の社会保障制度は、そういう人も救済を受けられるようになっています。
実は、障害年金の受給要件をみたさない場合でも、それとは別に「生活保護」を受けることができます。あるいは、障害年金を受けている人も、それだけでは最低限の生活を営むのに足りないならば、障害年金とともに、生活保護を受給することができます。
今回は、語られることの少ない障害年金の受給要件の「落とし穴」と、障害年金と生活保護の関係などについて説明します。(行政書士・三木ひとみ)
受診せず会社を辞めると「障害厚生年金」を受け取れないリスクも
もし、ご自身が過酷な業務やハラスメント等によって身体や精神の障害を負ってしまったならば、退職する前に何としても、病院に受診してください。なぜなら、障害の原因について初めて医師の診療を受けた「初診日」が在職中でなければ、障害年金のうち「障害厚生年金」を受け取ることができないからです。
労働者の場合、障害年金は「障害基礎年金」と「障害厚生年金」の「2階建て」になっています。
「障害厚生年金」は、単なる「上乗せ」ではなく、精神障害を抱える方々の多様な就労状況にも対応する「3級」が設けられています。つまり、治療を受けながら可能な範囲で働く労働者が、減収分を受給できるようになっているのです。
また、若い会社員や公務員が事故や病気で早期に働けなくなってしまった場合には「みなし300月」と呼ばれる救済措置も用意されています。
これは、厚生年金の加入期間が300か月(25年)に満たない人が障害厚生年金の受給対象となったときは、300月(25年)分の厚生年金保険料を支払ったものとして年金額が計算される仕組みです。
実際の加入期間が仮に1か月しかなくても、働けない状態に陥った場合には、この「みなし300月措置」により救済されるのです。
障害厚生年金・傷病手当金を受給するため、「退職前」に病院へ
「うつ病」や「不眠」など病状を自覚しながら受診しないままに退職してしまうと、それまでどんなに長期間働きその分の厚生年金保険料を納めていても、1階部分の「障害基礎年金」しか受給できません。「残業と休日出勤に追われ、責任感から仕事を優先して病院に行くこともできず、ぎりぎりまで踏ん張り限界となって退職代行を使って会社を辞めた。やっと病院に行けると思って受診し、診断してもらったが、受診日が退職後だったために、障害厚生年金を受給できなかった」
私は行政書士として、そんなケースをたくさん見てきました。しかも、障害年金はすぐに受け取れるわけではありません。たとえば、精神疾患の場合は、初診日から1年半通院して、障害年金を申請、審査を経て実際に障害年金を受け取るまでには2年ほどかかるケースが多いです。
それまでの間、「傷病手当金」を受給する必要があります。傷病手当金は、最長で1年6か月間、目安として従前給与の3分の2程度が保障されます。
「傷病手当金」も「障害年金」も、受給するには、退職する前に病院を受診して、働けない程度の病状があるとの医師の診断書を得ることが必要です。
したがって、たとえば、
「手足のしびれや痛みで通常の勤務ができなくなり、たびたび上司から注意され周りにも迷惑をかけている」
「不眠で朝まで眠れず出勤するとミスばかりで居たたまれない」
など、業務に起因するとみられる症状がある以上は、退職前に必ず病院へ行き、初診日を記録してください。
ブラックな労働環境で“頑張る”とかえって地獄を見ることも
それに加えもう一点、注意しなければならないことがあります。過酷な労働環境やハラスメントに耐え、「生活のため」「次が見つかるか不安」などと考え、心身にムチ打って無理をしてパートタイム勤務など仕事をしている人がいます。
しかし、本当は、できるだけ早く医師に受診したうえで、仕事を辞めるべきです(受診が必要な理由は、前述の通り、そうしないと、障害厚生年金ないしは傷病手当金の受給要件をみたさないからです)。
障害年金の等級認定において、「働いている」という事実が不利に働くケースが少なくありません。
たとえば、本来であれば障害等級2級に相当するほどの病状であっても、申請時に就労していることを理由に、実態よりも軽いと判断され、障害厚生年金3級と認定されてしまうことがあります。3級では障害基礎年金は支給されず、受け取れるのは障害厚生年金のみで、支給額も少なくなります。
さらに深刻なのは、そもそも厚生年金に加入して働いていた期間に初診日がないために「障害厚生年金」の対象とならず、基礎年金だけで2級相当と認められなければ、障害年金自体が支給されないという事態にもつながります。
つまり、本来であれば公的支援が必要な病状であるにもかかわらず、「無理をして働いている」というだけで障害等級が引き下げられたり、制度のはざまでまったく年金が支給されなかったりするケースが、実際に数多く発生しているのです。
現に働いている以上「就労可能だ」と認定されやすく、不支給となってしまうリスクが高まるだけです。
つまり、ブラック企業で無理をして働き続けても、頑張れば頑張るほど、かえって地獄を見るということです。心身の障害を負っている・いないにかかわらず、我慢などせず、一日も早く退職した方が、いろいろな意味でメリットが大きいのです(ただし、くどいようですが、退職前に医師に受診してください)。
保険料の「駆け込み納付」はできない…必ず減免申請を
仕事をやめて収入がなくなり、国民年金保険料を納めることが難しいときは、役所で一日も早く保険料の免除申請をしてください。保険料を全額免除された期間については、あとで老齢年金を受け取る際、保険料を全額納付した場合の年金額の2分の1を受給できます。
また、減免申請さえしておけば、過去10年分さかのぼって保険料を追納することができます。
したがって、くれぐれも、「免除してもらうのは申し訳ない、今払えなくてもあとで支払いたい」などと考えてはなりません。
免除の手続きをせず未納の状態が続くと、将来その分の年金を受け取れません。そればかりか、若いうちに病気やけがで障害年金の対象となったときも、年金の受給要件を満たさず受け取れなくなってしまう可能性があります。しかも、後でさかのぼって支払うことは、過去2年分しか認められていません。
生活保護は障害年金より柔軟性が高い
長年会社勤めや公務員として働き、在職中に病気やけがで働けなくなってしまったのに、病院に行かないまま仕事を辞めてしまう人もいます。そして、病院にも行けないまま保険料も滞納し、障害厚生年金も障害基礎年金も対象外となってしまったケースを、数多く見てきました。
しかし、そういう場合でも、生活保護があるので、悲観することは全くありません。
障害年金は、審査基準の厳しさや、前述した例にもみられる制度の複雑性から、実際には働けないほどの病状であるにもかかわらず不支給となるケースが後を絶ちません。
本来であれば障害年金によって支えられるべき人が、最後のセーフティーネットである生活保護に頼らざるを得ない現状について、制度のゆがみと批判する声もあります。
しかし、実際のところ、障害年金を受給していても、それが2階建ての障害厚生年金の場合であってもなお、国の定める最低生活費に届かないために、生活保護制度と障害年金を併給しているケースはよくあります。
たとえば、会社員として10年働き、その間の平均報酬が月額25万円の人が、障害等級2級になった場合、受け取れる障害年金がいかに少ないのか、試算してみましょう。
障害基礎年金の額は年間83万1700円です(2025年5月時点)。また、障害厚生年金額は、前述した「300月みなし救済策」が適用されてもおよそ月額3万5000円(年間約42万円)です。
障害基礎年金と障害厚生年金を合計すると、年間約125万円にしかなりません。
これに対し、生活保護費は、たとえば35歳で障害等級2級程度の状態にあり、大阪市内で家賃4万円の住居に住んでいる人であれば、年間約161万円です(金額は個別の事情により前後します)。
生活保護と障害年金を併給すると、障害年金は「収入認定」され、生活保護費から差し引かれます。上記の例だと、生活保護で年間に受給できる額は約161万円から障害年金約125万円を差し引いた36万円ということになります。
障害年金のみ受給するよりは、多くの額を受給できるのです。
「制度の壁」も「心の壁」も取り払い、すべての人が安心して生きられるように
障害年金の申請件数は増加傾向にある一方で、不支給となる割合は高止まりしています。その理由は、社会保障費の抑制という観点からの審査の厳格化や、精神障害や発達障害など目に見えない障害に関する認定基準の曖昧さだけではありません。それらに加えて、申請手続きが複雑で自力で行うのが困難だという事情があります。
そういう場合には、上述した通り、生活保護がセーフティーネットとして機能します。
しかし、このこと自体、あまり知られていないように思われます。
本人が「助けてほしい」と声を上げるのが難しいのに加え、今世紀に入ってから日本社会で「自己責任論」が蔓延し、「生活保護」に対する偏見が根強いことも影響しているのは否定できないでしょう。
「働かざる者食うべからず」といった、現実をわきまえない粗雑な論理による「生活保護バッシング」が時折湧き起こります。私が生活保護に関する記事を書くたびに、「自己責任」を強調するコメントや、真偽すら怪しい「不正受給」の情報や、明白なデマをうのみにしての「外国人バッシング」などのコメントが多くつきます。
そもそも、病気やけがにより働くことも日常生活を送ることも困難となった状態で、冷静な判断を自力ですることは至難の業です。
「自助」が期待できない状態だからこそ、「公助」につなげるための手助けをする支援こそが、求められています。
さしあたって、私たち一般市民にできることは、経済的に困窮した人がいることを知った場合に、その情報を役所に提供することです。困窮者の情報提供を受けた役所には、職権で困窮度合いを調査し、場合によっては緊急措置を講じる責任があります。
日本最大規模の繁華街、大阪ミナミは、関西万博開催に伴い、いかにも繁栄に沸き立っているかのように見えます。中心地である難波駅前ロータリーには、新しい開放的な広場が開設され、心斎橋駅まで高級ホテルや商業施設が数多く立ち並び、関西万博開催に伴い、御堂筋のイルミネーションが毎晩街を彩っています。
しかし一方で、「大金を稼げるよ」という風俗の求人バスが大音量で毎日存在感を放ちながら走っています。また、街中で目をこらすと、投資詐欺まがいの勧誘や、売買春のやりとりが行われています。さらに、インターネット上ではいわゆる「闇バイト」の募集も日常的に行われています。
本来、世界に誇れるような生活保護制度があるのに、それが十分に活用されず、最低生活を維持するため「闇バイト」や「売買春」といった犯罪にまで追い込まれる若者が増えている日本社会を危惧せずにいられません。
※障害年金に関する箇所については社会保険労務士・山田六郎氏に監修していただきました。厚くお礼申し上げます。
■三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)。官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に「わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)」(ペンコム)がある。