
同法は5月2日から施行されており、6月13日告示・22日に投開票の東京都議選や、7月20日に投開票が想定されている夏の参院選でも適用される。
改正の背景には、過去最多の56人が立候補した昨年の東京都知事選挙で、動物の写真や風俗店の広告など候補者と無関係なポスターが大量に掲載される「掲示板ジャック」と呼ばれる事態が起こったことも影響している。
とはいえ、選挙ポスターといえども「表現」や「政治活動」の一環ではある。改正公職選挙法によってポスターが規制されることは、それらの自由の侵害にはあたらないのだろうか。
憲法学者の志田陽子教授(武蔵野美術大学造形学部)が、改正公職選挙法と「表現の自由」の関係について解説する。(本文・志田陽子)
公職選挙法の対象となる「表現」の種類は?
2025年3月26日、公職選挙法(以下、公選法)の一部を改正する法律が成立しました。この改正法には、ポスターに他人やほかの政党の名誉を傷つけるなど品位を損なう内容の記載を禁止するルール(品位保持規定)や、営利目的で使用した場合は100万円以下の罰金を科すことなどが盛り込まれています。
また、選挙に関する偽情報がSNS上で拡散する問題や、当選の意思のない候補者がほかの候補者を応援するという状況(「2馬力」と呼ばれるもの)があることについて、(候補者間の公平を確保するため)必要な措置を講じるための検討を行っていくことが付則に明記されました。
ここでまず、公職選挙法が関心の対象としている「表現」について確認しておきます。
選挙ポスターや候補者演説をはじめとする公選法上の表現活動は、選挙期間中にその選挙に立候補した人物ないし政党が、その存在と政治的主張を有権者に知らせるための表現であり、その公正性と公平性が、とくに公共の関心事となります。
日常生活のなかで自分の考えをSNSに投稿することや、文芸・芸術、営利のための広告などは、これとは異なり、表現者各人の自由が最大限尊重されます。 また、「報道」は、その公共性にかんがみ真実報道の原則などが課されていますが、国や自治体の管理には属さない、一般の表現に属します。
いわゆる「政治的表現」は、「公選法の対象となる表現」と、公選法の関心外である「一般の表現」との両方にまたがっています。
法的には分けて考える必要があるのですが、区別がわかりにくい部分については、規制対象外の政治的表現にまで萎縮が生じるおそれもあります。
立法者には、無用の萎縮を招かないように、規制の趣旨と規制対象をわかりやすく明確に言語化することを求めたいところです。
選挙ポスターの自由は有権者の「知る権利」に関係
では、選挙ポスターに対する法的な規制と「表現の自由」の間には、どのような関係があるのでしょうか。日本国憲法は、前文の冒頭で、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、…」と述べ、代表制民主主義と選挙を第一の関心事として明言しています。この「正当に」という部分を守るために、公選法で各種のルールが定められているのです。
なかでも「投票」と「選挙ポスター」は、国や自治体に設置された「選挙管理委員会」が管理責任を負っています。選挙管理委員会は、公選法に基づいて、選挙の公正・適正な運営を確保するために、選挙ポスター掲示板の設置や維持管理などを行います。
ただし、ポスターそのものを作成・掲示する責任は、候補者や政党にあります。その内容については自由であることが原則です。
もしポスターの内容が法に違反している場合、選挙管理委員会が指摘を行う場合もありますが、直接的な責任は候補者側にあります。今回の法改正では、この点に関連する新たな規定が盛り込まれました。そして、ここで「表現の自由」とのバランスが求められるわけです。
選挙や政治活動においては、候補者・有権者ともに、時の政治的権力や社会的権力に束縛されることなく、自分自身の主張と判断ができることが重要です。
そして、表現内容についても規制を受けない「自由」が強く求められます。
したがって、公的機関が管理の名のもとに主張内容に干渉することは認めるべきでなく、公的な管理はあくまでも不正行為を防ぐことにとどめ、候補者の表現が有権者に公正・平等に届くことを関心事として行うべきです。
憲法学者の志田陽子教授
曖昧な基準で規制することの問題
先述したように、今回の改正では「品位を損なう内容」の記載が禁止されます。しかし、この基準は抽象的であり、なんらかの自由を制限するための基準としてふさわしくないと思われます。
そもそも、選挙ポスターは政治活動の重要な手段の一つです。規制により候補者の政治活動が萎縮する、という懸念はないでしょうか。また、仮に規制が許容されるとして、どこまで許容されるでしょうか。
先述したように、選挙ポスターの「内容」については原則として規制を課すべきではありません。今回の改正は、原則に対し例外的なルールを設けたことになります。
あくまでも原則は「自由」であるべきため、規制は「その規制がどうしても必要」と言える事柄に絞るべきです。
その点、「品位を損なう内容」という文言は、かなり漠然としていて不明確であるため、「表現の自由」との衝突が起こることが懸念されます。
規制の対象は「誹謗中傷」に限定すべき
「品位」という言葉をこのまま使っていくのであれば、まず、この規制が必要とされた経緯(立法事実)が忘れられていかないようにしっかりと認識を共有すべきです。行政の運用や裁判理論を通じて、より具体的な定義を確立させて、絞りをかける必要があるでしょう。少なくとも、公選法における「品位」という言葉は「選挙ポスターとして掲示できる表現を、行儀の良い上品な表現に限る」とか「趣味の良いデザインに限る」といった意味合いで使われるべきではありません。
そうではなく、「いわゆる誹謗(ひぼう)中傷または『言葉の暴力』というべきものを排除するために使う言葉である」ということが、現時点では一般社会において合意されていると思います。
しかし、その合意が時間の経過によって忘れられることで、公権力による内容干渉に道を開くマジック・ワードに変化してしまうおそれもあります。そうならないように、有権者全体が見守っていく必要があるのです。
私見ですが、ポスターの「表現内容」と言ったとき、政治的表現としての「実質的な内容」と「そこから逸脱した誹謗中傷」とを見分けることが可能か否かについては、ほとんどの場合には「可能である」と期待しています。
したがって、「品位を損なう内容」への規制は、「実質的な政治的主張」から逸脱した「誹謗中傷」などの表現に限定すべきであり、この規制が実質的な政治的主張の部分を抑える方向で運用されることは、厳に慎むべきです。
もし規制がこの部分に及んでしまったときには、その事例を憲法違反(適用違憲)とすべきでしょう。
なお、いざ品位規定の運用が始まってみると「政治的表現としての『実質的な内容』と『そこから逸脱した誹謗中傷』とは弁別できる」という筆者の期待が実際には成り立たず、「この規定を運用しようとすると、どうしても実質的内容への公権力介入を防ぐ歯止めがない状態が起きる」という事態になる可能性もあります。
その場合には、この規定自体を憲法違反(法令違憲)と見るべきことになり、「もっと法文を絞り込むべきだ」という判断となるかもしれません。
そこまでの事態が起こるかどうかは、運用者の見識にかかっています。
「名誉毀損」が免責されるケース
誹謗中傷のなかでも「名誉毀損(きそん)」にあたる表現については、刑法230条の2の3項に、「公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合」には、その内容が「真実であることの証明があったときは、これを罰しない」との規定があります。一見、名誉毀損にあたる表現であったとしても、「不正や汚職があったことの指摘(真実情報)を有権者の判断に供するために行った」などの場合には名誉毀損を成立させない、という免責ルールです。
これは一般の表現(報道など)に適用されるルールなのですが、選挙活動としての表現のなかでも、街頭演説や政見放送でこうした発言が行われる可能性はあります。
選挙ポスターの表現内容に、他の候補などに対するネガティブ・キャンペーンが盛り込まれることは稀だとは思いますが、その可能性自体は否定できません。
そうした表現があったときには、こうした免責規定がわざわざ置かれていることの意味が「品位保持規定」によって損なわれることのないように、運用にあたって留意が必要です。
「営利目的」の禁止も意味の絞り込みを
なお、改正公選法では「営利目的での使用」も禁止されています。選挙ポスターには明確な制度趣旨と目的があり、その管理維持は公金によって賄われているので、目的外使用を防ぐルールがあってもいいでしょう。
ただし、当選を目指さないとしても「とりあえず社会的認知を得たい」といった目的による立候補や、「社会にこの政策や論点を認知してほしい」などの議論喚起を目的にした立候補による選挙ポスターの使用は、代表制民主主義の趣旨から外れているとまでは言い切れず、禁止すべきではないと考えます。「営利」という言葉は狭い意味で考えるべきです。
これに対して、狭い意味での「営利」目的での使用については、代表制民主主義の趣旨を逸脱しており、禁止する必要性があります。また、禁止しても政治的信条や主張にまで介入する危険も少ないので、この規制はあっていいように思います。
ポスターのサイズも統一されるが…
改正公選法では選挙ポスターのサイズについても統一する規制が設けられました。この項目については、認知機会の平等という観点からの理屈が立てやすく、合意しやすかったでしょう。こうした統一基準が選挙ポスターに限定して用いられるのであれば、「表現の自由」を不当に圧迫することにはならないと思います。
ただし、これはあくまでも「認知機会の平等」という観点からのサイズ統一です。
仮に、将来的に「ポスターのなかで用いる文字や背景色などの表現内容になんらかの統一ルールを課す」という案が出てきたときには、正当な必要性のない規制となり、憲法違反になると考えます。
ちなみに、こうした規制が一般の政治的表現にまで及ぶことがあれば(たとえば一般市民の街頭デモで掲げるプラカードにサイズ統一を課すなど)「表現の自由」への不当な干渉となり、憲法違反となるでしょう。
■志田陽子
武蔵野美術大学教授。博士(法学)。憲法理論研究会運営委員長(2022-2024)、全国憲法研究会運営委員、日本科学者会議共同代表、日本女性法律家協会・憲法問題研究会座長。芸術・文化政策に関連する憲法問題の理論研究を続けながら、表現の自由と多文化社会の課題に取り組んでいる。著書に『表現者のための憲法入門 第2版』(武蔵野美術大学出版局、2024年)、『「表現の自由」の明日へ 一人ひとりのために、共存社会のために』(大月書店、2018年)など。