
厳格な採点で知られたある非常勤講師の男性は「学生に不人気」と大学側にとがめられ、雇用契約の更新を断られた。
理不尽な雇い止めか、厳格さが嫌われる時代なのか。男性は不当な対応だとして司法の判断を仰いだ。
※この記事は『まさか私がクビですか? なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』(日経BP)より一部抜粋・再構成しています。
アンケート調査を理由に突然の「雇い止め」
「来年度は契約更新しません」。2020年12月、関西の私立大で英語を教えていた50代の男性は、大学側からの突然の宣告にがくぜんとした。2016年度から学期ごとに5~6コマの授業を担当。必修科目の英語はコマ数も多く、当然のように講師の仕事を続けられると思っていた。
雇い止めの理由として突きつけられたのは、大学が学生に実施したアンケート調査だった。「授業がわかりにくい」「声が小さい」…。自由回答欄に男性の授業に対する学生のクレームが連なっていた。
授業の満足度や理解度を尋ねた5段階評価で、男性はいずれの項目も中間評価の「3」は超えたが、教員全体の平均は下回っていた。最も差が大きかった項目は0・9ポイント低かった。
合格点に満たない学生が続出
大学側がそれに加えて重視したのが「不合格率」だ。教員が合格と認めなければ学生は単位を取得できず、翌年に改めて同じ科目を受講し直さなければならない。他の英語の非常勤講師の不合格率は軒並み1%前後にとどまり、最大20%の男性は際立っていた。「学生の英語能力の向上に資する有益な授業をできていない。受講した学生や他の教員から担当変更の申し出が多数あった」
大学側はこうした状況を挙げ「他の非常勤講師と比較してふさわしくないとされる評価内容が多い」などと追及した。男性は労働組合を通じて大学側と交渉したが解決に至らず、雇い止めは無効だとして2021年4月に大学を提訴した。
「空気」を読まない姿勢が裏目に?
事件の概要(『まさか私がクビですか?』より転載)
訴訟で男性側は「成績評価は大学側から示された基準に従っている」と反論した。大学は授業に関する指針で、配点割合を「提出課題30%、授業態度20%、筆記試験50%」と示していた。課題をこなして真面目に授業を受けていても、試験の点数があまりに低ければ単位は認定されない仕組みだった。
男性は授業や試験についても大学の教育方針に基づいていると主張した。学生の学力を考慮すると大学指定の教科書は難しすぎると感じていたが、試験を簡単にすれば大学の求めるレベルを満たさないと逡巡(しゅんじゅん)し、難易度を維持する代わりに授業で繰り返し復習を呼びかけた。試験問題も解きやすいように教科書の一部をそのまま出題した。
それでも合格点に満たない学生が続出した。他の講師らは同じ状況で、本来なら不合格になるはずの学生を独自の裁量で合格させるなどしていた。
「空気」を読まず、容易に合格としない男性に不満や恨みを抱いた学生がいてもおかしくない。結果的に不合格率が頭一つ抜き出た男性に対し、大学側は是正を求める指導などはせず、突然雇い止めを言い渡した。
非常勤講師の平均年収は300万円程度
学生の顔色をうかがいたくなる大学側の事情もある。河合塾によると、2022年度入試における全国の大学志願者数は約65万人で、2017年度と比べて3万人近く減った。学部新設が続き、受験者数が定員を下回る「大学全入時代」は迫る。「顧客」の学生を確保し続けられるかは大学経営における死活問題だ。

大学全体の志願倍率は大幅に低下している(『まさか私がクビですか?』より転載)
一方で、大学の非常勤講師が置かれた境遇も厳しい。
授業や試験の準備に伴う負担は大きいが、平均年収は300万円程度とされる。雇用は不安定で、研究職を目指す若者らが本来打ち込むべき研究に取り組めず、博士課程進学者が世界的にみて少ない一因との見方もある。
学生アンケートの妥当性は?
京都地裁は2023年5月の判決で男性側の主張をほぼ受け入れた。学生アンケートは「どこまで学生の真摯(しんし)な意見が反映されているのか、教員の指導能力や勤務態度を判定できているのか明らかではない」と指摘。不合格率の高さについても「むしろ(大学側の指針に)忠実に従ったために多数の不合格者を出した」と認めた。合理的な理由を欠く雇い止めだと認定した上で「講師の地位にあることを確認する」と結論付けた。大学側が控訴したが、2023年12月に大阪高裁で和解が成立した。
大学側が1000万円の解決金を支払い、訴訟は「雪解け」の季節を迎えた。ただ、そもそも対立の前に双方が円滑なコミュニケーションを取れていれば回避できたトラブルかもしれない。前途ある学生らに向けて、紛争を避ける知恵も示したかった。