TBS『水曜日のダウンタウン』やYouTubeチャンネル『丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー』で“タイで終身刑を受けた男”として取り上げられ、現在は日本でスナック「ここあ」を経営する竹澤恒男さん。
竹澤さんはかつて、職を転々とし、ギャンブルにはまり、5年間で3度服役。
その後、栃木県で雑貨店を営むが、タイで流行していた「ヤーバー」と呼ばれる錠剤型の覚醒剤の密輸に手を染めるようになっていた。
タイでは違法薬物が比較的容易に入手できる一方、タイ政府は違法薬物犯罪を厳しく取り締まっており、その結果、竹澤さんはタイでヤーバー1250錠の密輸容疑で逮捕され、一審でまさかの「死刑」を求刑されてしまう。
本連載では竹澤さんが経験した、タイの凶悪犯専用刑務所での出来事などを紹介。第4回は、密輸容疑で起訴された竹澤さんが経験した、タイの裁判所での“まさか”の出来事と、「死刑」求刑に至った経緯について取り上げる。(全8回)
※ この記事は竹澤恒男氏の書籍『タイで死刑を求刑されました』(彩図社)より一部抜粋・構成。

逮捕から2か月以上経過、ついに裁判開始と思いきや…

2003年3月。空港での逮捕、そしてボンバット刑務所での移送から2か月以上経ち、ようやく私の裁判が始まった。
裁判所までは護送車で向かう。足かせはつけたままで、逃走防止のために別の囚人とペアを組み、手錠と足ヒモを付けられる。
最初は予備審問だ。ここで起訴状の内容を認めるか、それとも裁判で事実関係を争うか、の選択を迫られる。今後の裁判を占う意味でも重要な局面だ。しかし、いきなり国選の通訳が現れないというトラブルが発生。
予備審問が延期されてしまう。通訳がこないなんてことがあるのか、私は驚き、呆れてしまった。

担当弁護士が裁判をすっぽかす

数日後、再び裁判所で予備審問が行われた。
今回はしっかり通訳がいた。60歳くらいの華僑のタイ人男性だ。裁判所の待合室で順番がくるのを待っていると、その通訳が私のもとにやってきた。そして携帯電話を取り出すと、電話をしろと言ってきた。携帯電話の持ち込みは禁止のはずだが、私に電話をさせるためにわざわざ持ち込んでくれたのか。
私は御礼を言って電話を受け取ると、柱の陰に隠れて電話をした。相手はバンコクの知人だった。挨拶もそこそこに面会にきてくれるように頼んだ。そこで警備員に電話が見つかってしまう。通訳は携帯電話を取り上げられ、厳重注意を受けた。
私のせいで申し訳ないと謝ったが、とくに気にする様子はない。
予備審問に合わせて、私にもようやく弁護士がつけられた。担当になったのは、いかにも頭の切れそうな若い男性弁護士だった。
私は裁判で争うつもりだった。錠剤はカオサンで知り合いに渡された、ヤーバーだとは知らず、睡眠薬だと思っていた……。その線で行きたいと相談すると、弁護士は力強くうなずいた。頼りになる男だと、このときは思った。
予備審問では罪状認否はせず、一審に持ち越すことを表明した。さあ、あとは裁判で争うだけである。
数日後、いよいよ一審が開かれる。私は軽い緊張を覚えながら法廷に向かった。タイの法廷は日本の法廷とよく似ていた。
日本でも何度か被告人席に座ったことがあったので、緊張は徐々にほぐれていった。
しかし、おかしなことに裁判の時間になっても担当の弁護士が現れない。被告側の弁護人席はいつまでも空いたままだ。
さすがにこれはおかしいのではないか。法廷がざわつき始めた。すると裁判官が傍聴席に向かってなにやら語りかけた。視線の先には40歳くらいのタイ人女性がいる。女性はうなずくと、傍聴席を通り抜けて法廷に侵入し、私の隣に座った。
私は弁護士です、とその女性は日本語で言った。続けて、あなたの弁護士は今日はこない、だから代わりに私が弁護しますと言う。弁護士が裁判をすっぽかすなど、そんなことがあっていいのだろうか。

代わりの弁護士「罪を認めれば5、6年で出られるかもしれない」

あとになって思えば、私が裁判で争うといったのが悪かったのだろう。国選弁護士は金にならない。
事実関係を争うとなれば、当然、裁判が長引く。弁護士にとってみればわりに合わない仕事なので、きっと面倒臭くなって逃げたのだろう。
裁判官が厳粛な顔でなにやら言い渡した。通訳がたどたどしく伝えるところでは、この女性弁護士が代わりの弁護を了承したので、10分後に裁判を再開するという。
たった10分しかないのか。私はあわてて女性弁護士に向き直り、戦法を相談した。睡眠薬だと思った、という作戦で行きたいと伝えると、女性弁護士は反対した。
タイの裁判は認めるべきときは認めた方が得なのだという。ヤーバー1250錠というと、日本の感覚で言えば多いが、タイでは少量。一審で素直に罪を認めれば、求刑はせいぜい懲役25年程度。
判決は求刑の半分になるのが常なので、懲役12、13年。タイは頻繁に特赦があるため、早ければ5、6年で出られるかもしれない。
女性弁護士は自信満々な顔でそう言った。
タイの刑務所に入るのは嫌だが、罪を犯したのは事実。5、6年で済むのだったら、安いものではないか。私は女性弁護士の提案を受け入れることにした。

求刑はまさかの「死刑」…頭が真っ白に

ボンバット刑務所での暮らしも4か月目に入り、知り合いも増えていた。彼らの多くは未決囚であるため、会話の内容も裁判の話が中心になる。この頃、ボンバット刑務所は1人の台湾人の話題で持ち切りだった。
この台湾人はヘロイン500グラムを密輸した罪で捕まっていた。ヘロインは数ある薬物の中でもとりわけ罪が重く、500グラムとなれば相当な量だ。しかし、下された判決は求刑が死刑だったにも関わらず懲役25年。普通なら終身刑になってもおかしくないのに、驚くべき軽さである。
この台湾人の話を聞いていたら、にわかに希望が湧いてきた。先ほども述べたが、私の密輸したヤーバーは決して多い量ではない。
女性弁護士の言うとおり、求刑は懲役25年程度で収まるかもしれない。
2003年4月、運命の一審・2回目の公判が開かれた。
この公判で、検察側から求刑がなされることになっていた。警察などの証言の後、タイ語のみで書かれた調書や起訴状の確認がとられた。相変わらず日本語訳や英語訳はないので、何が書いてあるのか、一切わからない。
そして、いよいよ求刑のときが訪れた。検察官が起訴状を読み上げて、求刑を告げる。いったい何と言っているのだろうか。
隣にいる弁護士の顔を見ると、彼女は正面を見据えて青白い顔をしている。通訳の顔を見ると、ショックを受けたような表情をしている。
私の求刑は何だったのか。通訳は妙に聞き取りやすい日本語で“死刑だ”と言った。求刑死刑……。なぜそうなったのか。懲役25年程度が妥当なのではなかったか。
理由を説明してほしくて弁護士の顔を見つめたが、彼女はかたくなにこちらと目を合わせようとしない。
予想もしなかった求刑の重さに、身体が平衡感覚を失うほどのショックを受ける。これが夢であってくれたら……。私はだれに祈るでもなく両手を合わせた。

見過ごした運命の分かれ道

公判後に裁判所の待合所で待たされる。戻ってくるなり、落ち込む者もいれば、喜びの声をあげる者もいた。いま喜んでいる男はきっと大麻で捕まったのだろう。大麻はタイでも比較的罰則が軽い。あの喜びようを見ていると、このまま釈放されるのかもしれない。
しかし、私といえば……。タイの裁判では、一審の判決は求刑の半分になることが普通だ。求刑が死刑ということは、判決は終身刑。私はすでに50歳だ。いくら特赦があるとはいえ、生きて再び日本の土地を踏むことはないだろう。
今思えば、この裁判には勝算がないわけではなかった。タイでは密輸が営利目的であると判断されれば、量刑がグンと重くなる。
営利か否か、判断のポイントは密輸量と、そこに含まれる成分量の2つあった。まず密輸量の場合、ヤーバーなら1000錠が営利の最低量だった。たった1錠しか違いがないが、999錠ならば営利がつかず、量刑が大幅に軽くなるのである。
一方、成分量の場合は、営利とみなされるのはアンフェタミン(覚せい剤の成分)が20グラム以上。私が密輸したヤーバーのアンフェタミン量は、成分分析の結果、19.8グラムしかなかった。ようするにギリギリ営利にならない量だったのである。
この点にもっと早く気がついていれば、きっと一審の結果は違ったことだろう。しかし、私はもちろん、頼りになるはずの弁護士もこの点がまったくわかっていなかった。
この女性弁護士は、おそらく薬物関係の事件の弁護経験が一度もなかったのではないか。なにしろこの弁護士は、囚人たちの間で常識だった、営利の一級薬物(ヘロイン、覚せい剤など)の密輸の求刑が必ず死刑になるということすら知らなかったのだ。
懲役5、6年で出られる、などというあまりに都合のよい見方を信じた私もバカだった。
しかし、いまさら何を言っても後の祭りだ。このときの感情は、悲しいとか、驚いたとか言うよりも“無”に近かった。

判決は終身刑“重罪犯専用”刑務所への移送が決定

それまで私を支えていたのは、再び生きて日本に帰ろうという思いだった。しかし、求刑死刑を受けたことで、その望みはほぼ絶たれた。意思や希望が一瞬で打ち砕かれてしまったのだ。もう私に残っているものは何もない。
刑務所に戻ると、未決囚たちが私の帰りを待っていた。求刑死刑だったことを告げると、みなショックを受けているようで、口々に慰めの言葉をかけてくれた。
そして、2003年5月、一審の判決が下された。私はまだわずかな希望を持っていた。あの台湾人のように懲役25年で済むのではないか。だが、下された判決は無常にも終身刑だった。
当時、タイの刑務所は量刑によって分かれていた。終身刑となった私はボンバット刑務所から、バンコク北部のノンタブリーにあるバンクワン刑務所に移送されることになった。
バンクワン刑務所は、懲役30年以上の刑を受けた重罪犯専用の刑務所。ボンバットの囚人たちに聞くと、殺人犯や強盗犯、強姦犯などの凶悪犯がウヨウヨしており、死刑囚までいるという。私は不安の中、移送の日を待ったのだった。


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