罪を犯した受刑者が暮らす刑務所には、医師その他の医療専門職員が配置されている。また、日本には高度な医療が必要な受刑者を収容する医療刑務所が4か所ある他、医療重点施設も9か所設置されている。

これらは受刑者の健康管理が、再犯防止を支える重要な基盤となっていると考えられているためだ。
その一方で、深刻な医師不足が叫ばれている。刑務所では受刑者の高齢化が進み、医療体制がひっ迫。今、刑務所は「高齢化社会の縮図」とも言える状況に直面している――。
本記事では、刑務所医療の実情とその背景にある制度の変化について、関西学院大学名誉教授で、犯罪学・刑事政策が専門の鮎川潤氏が解説する。
※ この記事は鮎川潤氏の書籍『腐敗する「法の番人」 警察、検察、法務省、裁判所の正義を問う』(平凡社)より一部抜粋・構成。

「医師の確保すらままならない」刑務所の現状

日本の刑務所や拘置所における矯正の最大の課題は、医療の拡充である。もっと端的に言うならば医師の確保であろう。人の自由を制約している以上、生命と健康を保障する必要があるからだ。
とりわけ日本においては、日本国籍の有無にかかわらず、住民登録していれば国民皆保険制度の下で、国内で自由に医療機関を選んで診察してもらうことができる。設備の整った大規模病院や、先端医療を行っている病院で診察してもらう必要があると考えられる場合は、近隣のクリニックから大規模病院を紹介してもらえばいい。より高額の初診料を払えば、最初からそうした規模が大きく医療機器が整った大きな病院で診察してもらうこともできる。
筆者及び友人の経験に基づいても、アメリカ合衆国の医療制度は悲惨であり、日本と似た医療制度を持っている英国やスウェーデンでも適切な治療を受けるのは容易ではない。
確かにさまざまな問題を抱えてはいるが、世界の先進国のなかでも、日本は医療制度の整った国である。
じつは、そのことが、日本を世界の最長寿国の一つにしている。日本人の長寿は、健康食として世界に広まった日本食(和食)にあるのではなく、整った医療制度と医療体制の賜物である。これが、わが国が先進国のなかでも新型コロナウイルスの感染による死亡率が非常に低かった要因だと考えられる。
しかし残念ながら、矯正施設での医療体制はお粗末なものと言わざるをえない。それを刑務官が必死の努力で補っている。そもそも医師の確保ができていない。医療費も健康保険ではなく、国費で賄われる。
従来は大学病院の医局が力を持っていたため、医師免許を取ってまだ間もない駆け出しの医師を派遣してもらうことができた。しかし、今は若手医師が研修医を受け入れる病院を自由に選択できるようになっており、大学病院の医局が制約を課すことは不可能になっている。
医師の多くは給料と勤務条件や待遇のよい私立病院へと流れ、公立病院でさえも医師の確保に苦労している時代である。

職務規定を緩和しても続く医師不足

あまりにも欠員が多いため、国は医学生に対する奨学金制度を充実させ、矯正施設に勤務する医官には職務規定を緩和した。
すなわち、2015年12月から矯正医官特例法が施行され、勤務時間内に、出身大学の医学部や大学病院に出向いていって共同研究をしたり、1週間に2日半程度まで、民間の医療機関で非常勤の医師として勤務し収入を得る兼業も可能になったのである。

一時期、矯正医官は定員の70%台にまで減少していたが、2020年には90%にまで回復した。
しかし医師は、医療刑務所、矯正医療センター、都市部の医療重点施設の大規模刑務所に偏在している。地方の中小規模の矯正施設では、医師の確保ができない施設がある。大都市圏の外れに位置する刑務所のなかには、正規の医師の求人をアルバイトの求人サイトにアップして、医師を確保しようとしている施設もあるほどだ。
また、医師は確保されているように見えても勤務条件が緩和されたため、実際には医師が施設には不在という時間が長くなっている。筆者が詳しく知る矯正施設でも、常勤医と言いながらも、実際には1週間のうち2日半しかいない。名目的に8時間の日が2日、半日の日が1日である。もちろん土・日曜は不在である。
したがって常勤医の不在時に急病患者が出た場合は、ともかく地元の設備の整った病院へ搬送して、常勤医へも連絡してその病院に来てもらい、今後の治療をどうするのかを判断してもらうことになる。
早急に矯正施設の医療制度を整備しないと、刑務官が増大する過酷な負担に堪えられなくなってきている。受刑者から体調不良を訴えられても、医師がいなくては薬の処方さえ難しい。

刑務所の高齢化で増える刑務官の負担

刑務所は、急速に高齢化している。その年に刑務所へ新しく入所した65歳以上の高齢者の割合を見てみよう。

男性は、1.4%(1990年)、3.2%(2000年)、7.8%(2010年)、12.9%(2020年)である。女性は1.7%(1990年)、4.2%(2000年)、11.2%(2010年)、19.0%(2020年)である。入所者のうち男性でも10人に1人以上、女性では5人に1人が65歳以上の受刑者となる。
若年者とは異なり高齢者のなかには突然体調を崩す者が多い。とりわけ刑期が長く、受刑者が高齢化しているLB級――Lは長期刑を、B級は刑務所へ複数回入所していることを表す。初めて刑務所に入所する場合は、A級の刑務所となる――の刑務所では、高齢受刑者の突然死も予想され、とりわけ医師のいない夜間の巡回など、あえて言えば綱渡りのような毎日を送っている施設もあるのだ。
もし受刑者の体調が非常に悪く、施設外の病院に緊急搬送して入院させる必要が生じたら、その病院に複数の刑務官を24時間体制で張り付ける必要がある。その場合、刑務官に過重な負担を課すとともに刑務官の勤務シフトのやりくりにも支障をきたすことになる。
2022年に刑法が改正され、「懲役」刑と「禁錮」刑が廃止となり、25年6月までに拘禁刑が実施される。
すなわち受刑者は、刑務所内で工場に配属されて刑務作業をすることから、再犯防止のための処遇を受けることへと移行する。義務として画一的な刑務作業を行うのではなく、各人に応じた処遇プログラムを受けることになるので、受刑者の自由度は増加し、それとともにさまざまな要望が増えることが予想される。

無期・長期受刑者も増加…求められる対応策

加えて、長期刑の判決を受けて受刑する者が増えている。
女性受刑者で無期刑(無期懲役)の受刑者も増加している。ここでは人数の多い男性受刑者に焦点を当てて考察しよう。
男性刑務所の2005年と20年の年末(12月31日現在)の全受刑者に占める長期受刑者の割合の推移を見てみる。
無期刑の受刑者の割合は、2005年が2.2%で、20年は4.5%になった。15年から20年の刑期の者は、2005年が1.0%のところ、20年は3.0%である。
無期刑の割合が約2倍になっていることが分かる。刑期が15年から20年の割合も3倍になった。
しかし、じつは長期受刑者は、これ以上に大変動をきたしている。20年を超える刑期の受刑者が激増しているのだ。
すなわち2005年には、たった32人しかいなかった受刑者が、2020年には488人と約15倍に増加しているのである。その後も増え続け、2022年12月末には521人となっている。
このように、重罰化、長期刑化が顕著となっているが、これは刑法改正によって重罰化が促進され、長期刑を科すことができるようになったこと、さらに実際に検察官によって長期刑が求刑されるようになり、その求刑に基づいて判決が下されていることによる。

刑の長期化によって、刑務所に長期収容されて加齢をする受刑者が増え、高齢受刑者の割合が増えているのである。
無期刑に限らず、長期刑で、刑務所内で一生を終える受刑者も増えている。刑務官や医官による受刑者の看取りの可能性が増加しているということである。
つまり刑務所の医療には、病気治療に加えて、今や終末医療も求められている。身柄を拘束しながら終末医療を行うのは、たいへん気を遣う作業である。
初犯の長期受刑者を収容するLAの刑務所はもとより、とりわけ累犯の長期受刑者や無期刑の受刑者の割合が高いLBの刑務所は、未曽有の課題に直面していると言っても過言ではない。
医師の充足の必要性は言うまでもなく、さらに医療や介護、看護に関して根本的な対応策の検討が求められている。


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