大阪・西成で、今も旧遊郭の名残りをとどめる「飛田新地」。
大正7年(1918)に開業したこの歓楽街は、戦後に赤線として遊郭の機能を引き継ぎ、昭和33年(1958)に売春防止法が施行されると“料亭街”に姿を変えた。
そして“客と仲居の自由恋愛”とすることで、遊郭・赤線時代の営業内容を現代に残している。
「なぜ飛田は必要なのか」
そう問いかけるのは、かつて飛田新地で親方(料亭の経営者)を経験し、現在は女性のスカウトマンとなった杉坂圭介氏。
飛田の中にいたからこそ語れる内情は、色街を単なる好奇の対象としてではなく、社会を深く考察する上で貴重な証言となるだろう。
連載第7回は、昔からいた親方にはどのような人が多いのか、そして近年増加してきているという“ニュータイプ”の親方について紹介する。
※ この記事は、飛田新地のスカウトマン・杉坂圭介氏の著作『飛田で生きる 遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白』(徳間文庫、2014年)より一部抜粋・構成しています。

50代~60代がもっとも多い

飛田の料亭経営者は、2店舗経営している人を含めて約100人といわれています。いちばん多い年齢層は50代~60代。親方歴数十年というベテランです。
彼らのすべてが料亭業で生活できているかというとそうではありません。稼ぎに浮き沈みがあるので、うまく女の子を回せている店は食べていけるし、回せていけなければ即閉店。
仮に稼げたとしても、昔から親方をやっているベテランの方々のなかには、バブル時代などに大儲けし派手な生活が染み付いてしまっているので、不況のあおりを受けた現在のさびしい稼ぎでは生活を維持することができない人もいます。家賃が払えなくなって借金がかさみ夜逃げしたというのはよく聞く話です。
そうした事情もあって、ここ何年間で昔からいた親方がいなくなり、その代わりに30代の新経営者が入ってきています。
すでに3分の1はそういう新しい世代の親方たちでしょう。

元ホストが新規参入

増えているのは元ホストの経営者です。売れっ子ならば開業に必要な資金はすぐに貯まります。日常的に女の子を扱っているので料亭経営もうまくいくに違いない。飛田でひと稼ぎしてやろう。そう思って参入してくるケースが多いようです。
ところが、ホストあがりの経営者が女の子の扱いに長(た)けているとは限りません。お店で女の子を接客するのと、女の子を自分の店で働かすのとではまったくノウハウが違うからです。
接客であれば手段はどうあれ、とにかく女の子を気持ちよくさせればよい。褒める、場合によってはしかるなどしながら、規定の時間を満足のいくように過ごさせてあげればいい。
しかし店で働かせる場合、教育が必要になってきます。女の子は、甘やかすと必ずわがままになる。なってからではなかなか直りません。

そこで嫌われずに、でもビシッとたしなめながら、なるべく長くきれいな子にいてもらえるようにケアしていかなければならないのです。元ホストの料亭経営者たちのなかには、苦戦している人たちも多いようです。

女の子が経営者になる

一方、店をうまく運営できている新規参入経営者もいます。それは、元女の子の女性経営者たちです。彼女たちは20代後半、30代前半で、それまで稼いだ資金を元手にお店を借ります。1000万円など、やる気のある子であれば1年間で稼げる額です。
「マスター、私も独立したいです」
たくさん稼いでくれた子に頼まれたら、親方も断れません。
「うちの女の子が独立するから、組合の加盟を認めてやってもらえまへんか」
組合に1本電話を入れてやったら、だいたいスムーズにことが進みます。
彼女たちが優れているのは、そのスカウト能力です。親方が女の子をどこで捜してくるのか長い経験で知っているし、どんな女の子を捜しているかもよく見ています。
自分もどこかから引っ張られて飛田にきた経験があるので、女の子の弱い部分、付け入る隙(すき)もよくわかっている。スカウトをするうえで、それは最大の強みだと思います。

この業界は同業者とのネットワークも作りやすい。仕事を終えた後にミナミのバーなどに行けば、風俗で働いている子が横に座っていることがあります。彼女たちは派手な格好をしているので一目でわかる。そんなとき、女の親方なら警戒心を抱かれにくいので気軽に声を掛けることができます。
「自分、どこで働いているの?」
「実は風俗やねん」
「一緒や、うちは飛田や」
「飛田いうたら……」
こうした会話をきっかけに友だちになり、その子のルートから広げて風俗嬢のネットワークを構築していくのです。
「今度、またおごったるから、興味ある子紹介してや」
今後は経営者だけでなく、女の子あがりのスカウトも増えてくるかもしれません。


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