「ユスリカ大量発生」は“必然”だった? 万博協会が“無視し続けた”夢洲の生態系価値
大阪・関西万博が開催されている「夢洲(ゆめしま)」で、「ユスリカ」が大量発生し、万博を運営する日本国際博覧会協会(万博協会)や大阪府などが対策に追われている。
突然のトラブルのように思える「ユスリカ問題」だが、実際にはこのような事態を“予知”していた団体がある。
民間の自然保護団体である「公益社団法人 大阪自然環境保全協会」だ。
その会長であり、名古屋大学名誉教授の夏原由博(よしひろ)氏が、なぜ万博会場でユスリカが発生するに至ったのか検証する。(本文・夏原由博)

開発が奪い去った夢洲の「いのち」

4月13日に開幕した大阪・関西万博の会場でユスリカが大発生したとマスコミが報じた。
筆者も5月20日の夕方にウォータープラザで開催されていた「アオと夜の虹のパレード」でユスリカが群飛し、観客が手で追い払っていたのを目にした。
ユスリカは蚊のように刺すことはなく、ほとんどの人にとっては無害であるが、目の前を飛び回るのは気持ち良いものではないようだ。
夢洲はもともと浚渫土(しゅんせつど)、建設残土、廃棄物の焼却残渣(ざんさ)などの埋め立て処分場(北港南地区)として1977年に埋め立て免許が取得された。
埋め立て途中に湿地や砂礫地(されきち)ができ、コアジサシやシギ・チドリ類など貴重な鳥の生息場所となった。
特に絶滅危惧種のコアジサシは数千羽が飛来して繁殖した年もあった。また、日本では数か所でしか繁殖していないセイタカシギも繁殖した。3000羽を超えるホシハジロが記録された年もあり、これはラムサール湿地登録の条件を満たす数である。
ガン・カモ類については1989年から、シギ・チドリ類については2004年から環境省が実施している全国規模の調査の対象となっている。
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夢洲で“求愛”していたコアジサシ(撮影:大阪自然環境保全協会)

大阪府は2014年に夢洲を府の「生物多様性ホットスポット」Aランクに指定した。
夢洲のある淀川河口域は昔から干潟や藻場(もば/海藻や海草がまとまって生えている場所)が広がっていて、多くの水鳥の生息場所であった。
一度は干拓や埋め立てによって失われた自然であるが、鳥たちの渡りの経路は変わっておらず、好適な環境が再生するとそれに気づいて飛来するのだろう。
ところで、万博が開催されている現在も夢洲は埋め立て中であり、焼却残渣を埋めた場所ではメタンガスが発生し、隣接するIR予定地では土木工事が続いている。

なぜ「生物多様性ホットスポット」が万博会場に?

生物多様性にとって重要で、かつ工事中の土地がどうして万博会場となったのだろうか。
万博構想の検討は2015年に大阪府が設置した「国際博覧会大阪誘致構想検討会」によって開始され、2016年の「2025年万博基本構想検討会議」に引き継がれ、2017年経産省による「2025年国際博覧会検討会」で決定された。
当初の会場6案には夢洲は含まれていなかった。それを当時の松井一郎知事が夢洲を会場とすることを提案し、決定した。IRとセットで開発を進め、地下鉄などのインフラを整備しようということらしい。
検討会では夢洲が生物多様性ホットスポットAランクに指定されていることは知らされていなかった。

無視された市民の声

大阪自然環境保全協会は2019年から夢洲の生物調査を続けていた(その内容はHP等で報告している)。
その経験を踏まえて、大阪市が「環境影響評価条例(※)」をもとに2021年12月11日に開催した「環境影響評価準備書に関する公聴会」で、保全協会の会員が夢洲の豊かな生物多様性が湿地、草地、汽水池、雨水池、ヨシ原と環境が多岐にわたっているからだと説明した。
※ 大規模な事業が環境に与える影響について、事業者自らが環境アセスメント(環境影響評価)を実施し、その結果を公表し、住民などの意見を聞きながら、より良い事業計画を立てるための制度を定める条例。
さらに、「今の夢洲は虫の王国です。多くのバッタ、多くのトンボ、多くのチョウ、そして“恐ろしいほどの数のユスリカ”がいます。それらが多くの生きものの命を繋いでいっています」と訴えた。

しかし、万博協会はこうした指摘に耳を貸すことはなかった。
なお、準備書に対する市長意見では、「鳥類の生息・生育環境に配慮した整備内容やスケジュール等のロードマップを作成し、湿地や草地、砂れき地等の多様な環境を保全・創出すること」とされている。
こうした意見があったのに対し、万博協会は、「つながりの海」の造成に当たってシギ・チドリが泥の中の餌を食べる浅瀬を無くし、ユスリカの天敵のクモが網を張りオオヨシキリがさえずるヨシ原もなくしてしまった。

魚とクモが生息できる自然が残されていれば…

実は、それより以前からユスリカの発生は問題視されていた。
大阪市立環境科学研究所(現大阪市立環境科学研究センター)は夢洲でユスリカを調査していたが、ユスリカ類は1997年頃から増加し、2023年の調査でもシオユスリカの発生が報告されている。
琵琶湖や諏訪湖など死水域(しすいいき/水がほとんど流れず、静止または渦巻く状態になっている場所)では富栄養化(※)がすすむとユスリカが発生することは普通である。汽水域でも三陸地方で震災後にシオユスリカなどが発生した。
※ 窒素やリンなどの栄養塩類が過剰に増え、植物プランクトンが増殖して水質が悪化する現象
重要なのは、ユスリカが生態系を支えていることだ。諏訪湖では半数以上のユスリカ幼虫が魚に食べられていると推定されている。
また、無農薬栽培されている水田ではユスリカを餌とするクモが増え、そのことによってイネを食害するカメムシが減少することが知られている。
推測にすぎないが、万博会場の水辺でも魚が泳ぎ、クモが営巣できる自然が残されていたら、ユスリカの発生もこれほどにはならなかったかもしれない。

アマチュアでも見抜ける“フェイク”盾に進んだ会場建設

わが国では公害や開発による環境破壊によって命と暮らしが脅かされた過去を教訓に「環境影響評価」の仕組みがつくられた。
制度は何度か変わったが、現行の法律(環境影響評価法)では、厳密な影響評価を行う前に複数の事業案を比較検討する環境影響評価配慮書の手続きを実施することとされる。

しかし、大阪市の条例では配慮書の手続きは省かれている。それが生物多様性ホットスポットAランクである夢洲の自然を万博協会が配慮しなかった原因のひとつであろう。
そして、それ以上に問題なのは、鳥の生態をまったく無視した「環境影響評価準備書」を作成したことである。
シギ・チドリ類の予測結果であきれるのは、「グリーンワールド及び静けさの森の植栽は、本種の餌となる昆虫類が開催中も利用することが可能と考えられる」と書かれている。
「ユスリカ大量発生」は“必然”だった? 万博協会が“無視し続けた”夢洲の生態系価値

夢洲に生息していたセイタカシギ。浅瀬の湿地で採餌する(撮影:大阪自然環境保全協会)

森の植栽に昆虫が生息するであろうことは考えられるが、湿地で採餌するシギ・チドリ類が森の昆虫を食べることはない。
また、「会場外の夢洲1区の内水面を利用する」とあるが、これはエアレーターが稼働する曝気処理池(ばっきしょりち/水に空気や酸素を送り込み、水中の酸素濃度を高くするための池)であり、水深は深い。当然、これまでにシギ・チドリ類は利用していなかった。
アマチュアの野鳥愛好家でも嘘だと見抜ける“フェイク”を、専門家に調査を委託し「いのち輝く」社会を掲げる公的組織が論じることは許されない。
ネイチャーポジティブを掲げる行政や民間団体とともに、豊かな自然を享受できる大阪湾を目指す必要がある。
「ユスリカ大量発生」は“必然”だった? 万博協会が“無視し続けた”夢洲の生態系価値

自然豊かなころの夢洲。現在の「つながりの海」(撮影:大阪自然環境保全協会)

■夏原由博
名古屋大学名誉教授(元環境学研究科教授)。
公益社団法人 大阪自然環境保全協会会長。


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